ソーシャルワークを極める講義NO.5 医療保険制度や年金保険制度の発展・歴史
今回の内容は、YouTubeで視聴できます。
年金保険制度の発展・歴史について触れておきます。
2.年金保険制度
年金保険の発展過程としては、医療保険制度よりも20年程度遅れて、1941年に労働者年金保険法が公布されております。
1941年12月に勃発した太平洋戦争を遂行するため、軍需工場や鉱工業で働く労働者の確保が急務でした。そこで、働けば年金をもらえるというアメ玉で誘う狙いで、真珠湾攻撃の直前の1941年3月に労働者年金保険法を成立させたとも言われています。
この労働者年金保険法で対象としていたのは、民間企業の被用者のうちの工場等で働く男子労働者でした。
労働者年金保険法制定までの過程
真珠湾攻撃の準備段階に入る➡軍需工場や鉱工業で働く労働者の確保が急務➡年金という飴を与えれば労働者が確保できるかも➡労働者年金保険法制定
その後、1944年になると、労働者年金保険法は、厚生年金保険法に名称変更するとともに、その対象を広げて、工場で働く男性労働者だけではなく、女子や事務職員までに拡大しています。
しかし、厚生年金制度はたちまち敗戦(1945年8月)という国家の崩壊に巻き込まれます。加入者約832万人が敗戦直後には約433万人に半減しています。
1955年頃から高度経済成長期へ入っていきます。国が豊かになってきて、いろいろと制度が出来ていく時期になります。
まず、1959年には、国民年金法が成立しています。
国民年金法は、他の公的年金制度が適用されない者が対象になっています。どういうことかというと、1944年ころは、厚生年金など被用者保険の整備は進んでいましたが、農家や自営業者などを中心にして、国民の多くが年金制度の対象ではありませんでした。そこで、被用者年金制度に加入していない自営業者等を対象として、国民年金法が制定されたわけです。
それから、1959年の国民年金法では、既に高齢になっていた者等に対しては、国庫負担による、無拠出性の福祉年金が発足した点が特徴的です。
福祉年金には、既に高齢だった人に対する「老齢福祉年金」、既に障害を有する人に対する「障害福祉年金」、既に遺族だった人に対する「母子福祉年金」等がありました。
「福祉年金」は、無拠出制であることがポイントです。
福祉年金の費用は全額国庫負担で賄われていました。ここをしっかりおさえておいてください。
1959年に国民年金法が制定されたわけですが、1961年に施行され、20歳から60歳までの国民全員を対象とした国民皆年金制度が発足しています。
国民皆年金制度というのは、一定の要件を満たす国民すべてが何らかの公的年金制度に加入するという仕組みになります。
ちなみに、1961年に国民皆保険も実現しました。
1961年という同じ年に、国民皆年金制度と国民皆保険制度の実現がなされております。
日本の社会保険としての年金は、1961年の発足時には、共済組合年金、厚生年金保険、国民年金の3つの制度が並立していました。
やがて経済成長を背景に国民年金の給付額が幾度となく増額されていき、国民年金財政に深刻な問題が生じることとなります。
この問題を解決するために、1985 年、公的年金の大胆な制度改革が行われました。
すなわち、すべての制度が国民年金(基礎年金)を救済することとなりました。
具体的には、全制度に共通する国民年金(基礎年金)を創設し(1階部分)、その上に報酬比例の厚生年金と共済年金を置き(2階部分)、2階建ての制度となって今日に至っているわけです。
日本の基礎年金制度は、1985年(昭和60)の公的年金制度改正により1986年4月から導入されました。
この制度では、原則として日本国内に住所のある20歳から60歳までのすべての者が強制的に国民年金の被保険者となります。
国民年金(基礎年金)の被保険者は、3つに分けられています。
自営業者や農林漁業者や学生等は、第1号被保険者
会社員や公務員等の被用者は、第2号被保険者
被用者の被扶養者である配偶者は、第3号被保険者
このように、いずれかに分類されるという仕組みになっています。
ですから、制度を超えてすべての被保険者が1階部分(基礎年金)の給付に関わっています。
厚生年金保険の被保険者も、国民年金の被保険者になっているという部分はしっかりと押さえてください。
*1941年、太平洋戦争を遂行するため、軍需工場や鉱工業で働く労働者の確保が急務でした。そこで、働けば年金をもらえるというアメ玉で誘う狙いで、真珠湾攻撃の直前に労働者年金保険法を成立させたとも言えます。
社会保険制度として最初に創設されたのは、健康保険制度でしたが、この健康保険制度も第一次世界大戦という戦争がきっかけでできた制度になります。
第29回第49問の選択肢
日本の社会保障の歴史的展開に関する問題で、「被用者を対象とした社会保険制度として、まず健康保険法が施行され、その後、厚生年金保険法が施行された。」〇か✖か
この選択肢は、正しいです。
健康保険法が施行されたのは、1922年です。これに対し、厚生年金保険法が施行されたのは、太平洋戦争が始まった1941年になります。厚生年金保険法は、1941年の時は、労働者年金保険法でしたが、1944年に厚生年金保険法に名称変更されました。
第30回第52問の選択肢
公的年金制度の沿革に関する問題で、「社会保障制度が本格的に整備されるようになった第二次世界大戦後、厚生年金保険制度が創設された。」〇か✖か
この選択肢は、誤りです。
厚生年金保険制度の創設は、第二次世界大戦後ではありません。年金保険としては、1941年に労働者年金保険法が公布されており、その後、1944年になると、労働者年金保険法は、厚生年金保険法に名称変更するとともに、その対象を広げて、従来の工場で働く男性労働者だけではなく、女子や事務職員までに拡大しています。
第30回第52問の選択肢
公的年金制度の沿革に関する問題で、「国民年金法が1959年(昭和34年)に制定され、自営業者等にも公的年金制度を適用することにより、国民皆年金体制が実現することになった。」〇か✖か
この選択肢は、正しいです。
第29回第49問の選択肢
日本の社会保障の歴史的展開に関する問題で、「日本の国民皆年金は、基礎年金制度の導入によって実現した。」〇か✖か
この選択肢は、誤りです。
国民皆年金制度の発足は、1961年です。
全制度に共通する基礎年金制度の導入は、1985年の年金制度改革のときになります。
同じような問題が、第35回第49問でも出題されています。
第35回第55問の選択肢
公的年金制度に関する問題で、「厚生年金保険の被保険者は、国民年金の被保険者になれない。」〇か✖か
この選択肢は、誤りです。
日本の年金制度は、国民年金を基礎に、厚生年金保険である被用者年金などがあります。なので、厚生年金保険の被保険者は、国民年金の被保険者になれます。