2021年5月の園だより
ごしょがだにが立ち上がって1ヶ月。園舎を作っていく過程も見てきた子どもたちは、大切な園だと理解しているはずですが、子どものパワーは底知れず、ツリーハウスが壊れたり、おもちゃが壊れることは日常茶飯事。ぬいぐるみは裸ん坊でほったらかしにされている。見るに見かねて、大人たちは伝えますが、本当に伝わっているのかと半信半疑、繰り返し伝える度に少し強い口調になってしまうこともあります。「今、何が大切か」そんなことと葛藤しながら、日々大人たちももがいています。
先日『「心からの謝罪、矯正教育こそ」18、19歳厳罰化に疑問抱く遺族』という西日本新聞の記事に目が止まりました。衆院を通過した少年法改正案について、交通事故遺族として約20年にわたって少年院や刑務所で講話を続ける片山さんが、取材に対して、『18、19歳への厳罰化は、少年院などで矯正教育を受ける機会を減らし「再犯が増える」』と指摘。自身の遺族の経験も踏まえつつ、立ち直りの過程で初めて「心からの謝罪が生まれる」として、教育によって更生させる保護主義の重要性を訴えています。つまり、心からの謝罪が生まれやすいのは刑罰を与えることではなく、教育が重要だと。だから若くして罪を犯した場合は、刑務所ではなく少年院で教育によって再犯を防いでほしいという内容でした。
また『プリズン・サークル』という、2年にわたり、警備や職業訓練などを民間に委託している刑務所「島根あさひ社会復帰促進センター」で、4人の若い受刑者を追ったドキュメンタリー映画を、少し前に観ました。依存症などの問題(症状)を抱える当事者を治療の主体とし、受刑者が相互に影響を与え合い、新たな価値観や生き方を身につけることによって、人間的成長を促すアプローチの中で、受刑者が更生していく過程を目の当たりにし、人が生きる上で何が大切なのかの極限が描かれているようでもありました。
これらを見聞きしながら、人が人として生きていく上で大切なことは「生まれてきてよかった」という自分の存在を認めてもらうこと、自分も大切にされていると実感した上でこそ、相手の存在(ものも含む)を本当に大切にしようという気持ちが芽生えるのではないかと感じています。
園が立ち上がって初めての5歳児は、次は小学生というさらに広い社会へ出ていく準備期間でもあります。「卒園までに伝えたいことが山のようにあるのに、毎日ジェットコースターのように過ぎていく。本当はのんびりしながら子どもの気付きから拾っていきたいのに、不本意ながらも活動に集中するためには多少のルールも作ってしまわなくてはいけない。そんなもどかしい気持ちが生まれている」と保育者が隣で真剣に話してくれます。しかし「だけん、面白いとよ」とも。「何が大切なのか、どうしたらいいか、その瞬間に子どもも大人もみんなで考えて学び合っていく、そうやって生きることを楽しもうとしているから」。大人も間違えながら、「生きること」そのものを、真剣に、正直に、対等に子どもたちと認め合っていきたいと思っています。その過程を保護者の皆さんとも分かち合っていきたいです。