【シルクロード】国境の崖を越えろ!(7)口八丁の税関突破
前回のあらすじ:
波村さん、パスポートを紛失したら、ビザ取り消しの国外退去が、なかったことに!
北京でパスポートの再発行をうけるべく、もと来た道をひきかえす波村さんへ想いをはせながら、残った男女3人は歩き出す。
行く手は、ただっぴろい青空と茶色い地平線。
次の宿が確保できるタシュクルガンという町へは、100キロほどもある。
男性2人組のコントを聴きながら笑い、そして途方もない道のりを歩く。
(ここは、三蔵法師・玄奘やマルコポーロが通ったのと同じ道。同じ経験を、わたしはしてるのだッ!)
感激にひたることに決めていた。
やがて……。
工事車両が、前方からやってきた。
うん、期待してたよ!
先に渡っていた人たちを送って行った車両、きっと戻ってくると期待してたよ。
トラックの荷台は、土ぼこりが厚くつもったタールにまみれていて、ちょっと座る程度なら大丈夫だが、そのうち黒くてねっとりした物体が服についちゃう素敵な移動手段。
全部で3箇所あると聞いた難所の2番目は、人が通れる細い道として復旧されていた。
その先は親切な現地人により、バイクに乗せて行ってもらう。
最後の、一番かるい難所など、アスファルトが被ってないだけで、まあ余裕で車両が通れるようになっていた。
こうして、車両のリレーでどんどん送っていってもらい、ついに到着、タシュクルガン。
ここは三蔵法師・玄奘が、インドから唐へ戻る際に立ち寄っている地で、もともと王国があった。
沙漠がちな山岳地帯の中で、ここはちょいと湿地帯のようになっていた気がする。
ホテルでは、他の日本人グループと合流できた。
◯
翌日。
北京時間で10時、現地ウイグル時間では8時。(日本時間なら11時に相当)
パキスタン側のスストという町へのバスのチケットが販売開始。
ようやく、バスだ。
道は舗装されていても険しく、左手に激しい濁流なのは相変わらずだけど、片側の車線がその濁流に沈んでいたりする箇所もある。
時には、アスファルトが丸く陥没している箇所も。
これは、落石なのだ……。
こんな峻険な場所に通した「カラコルム・ハイウェイ」なら、そりゃもうちょくちょく道が塞がるよね。
中国側のイミグレへ到着したところで、そこを通り抜けた者たちの名簿が置いてある。
「おお、あった、あったぞ。先発してた8人パーティの連中の名前が!」
沖さんだったか誰だったか、興奮気味に教えてくれた。
わたし達より一日はやくパキスタンへの強行突破を試みた男女グループだ。
ついに中国とパキスタンの国境を越える。
パキスタン側のイミグレは、スストという町。
イミグレとは言っても、空港にあるような立派なものではなく、屋台とさほど変わらないささやかさ。
係員から質問を受けた。
『なんでお前らは北京でビザを取らなかったんだ』
『ええと、カシュガルにいた時、パキスタンは美しい国だと聞いたので、ぜひ訪れたいと思いました!』
久々の英語は、とっさながらも、北京語よりは脳内作文がしやすかった。
日本人なら、ビザがなくても、短期間ならパキスタンへの入国が許されるのだ。
お金も、両替してもらう。
書類はピンクの薄い紙で、用が済んだところで、係員さん、いきなり丸めて、むしゃむしゃ食べ始めた。
「え、それ美味しいです?」
「いや、くっそ不味い。でもこれやると、ウケるから……」
ヒゲづらのサングラスおじさんだったが、そのおちゃめさ、嫌いじゃないよ。
さて、先を急ぐ沖さんと小野田さんとは、ここでお別れ。
代わりに、タシュクルガンのホテルで合流した他の日本人と行動をともにすることになる。
女性の勝山さんと、〔ジョジョ〕第三部の老ジョセフに似た佐伯さんとの3人組となる。
これからの3日間を、一緒にすごす仲間となった。
それは夢のような3日間で、それが1ヶ月にも感じられるほど、悠然たる時を過ごした。
それはまた、今度の機会にでも。
この初パキスタンにて、最も印象に残り続けた光景は、くれなずむ中、パキスタン人たちが賑やかに夕食へありつく様子。
でっかい羊肉が、どかっと載ったピラフの美味しさは、一生忘れないと思う。
国境越えの崖登り、以上が顛末ということで……。
これにて、おひらき!