【シルクロード10】ウルムチ(一) ナイフに削られるナイフ
世界で最も海から遠いと言われる都市、ウルムチ。
そこを目指すバスに乗って、くもり空の吐魯番(トルファン)に別れを告げた。
細かい砂がしみこむアスファルト道で、バスが速度を上げる。
途中、あのやんちゃな郭くんの自転車を追い抜いた。
(世界一周の自転車旅行、無事を祈るよー!)
と手を振ったけれど、見えてくれたかどうか……たぶん見えなかったと思うけど、ひっそり、念は飛ばしておいた。
ウルムチへは、たった3時間で到着。
ここの博物館には、かの有名な〔楼蘭の美女〕が眠っているので、それを拝見しないわけにはいかない。
砂漠で発見された当時は、まるで生きているかのごとく眠るミイラだったそうだ。
「生きているがごとく……かなあ。でも発掘後で空気に触れると、こういうのって途端に変質しちゃうって聞くしなあ」
なお、この日の日記には「博物館を出たところで〔麦趣尔(MaiQuEr:マイチューアル)〕ケーキ店のアイスを食べた」と書いてあった。さっぱり思い出せないけど、
「余計な甘みを抑えていて美味しかった」
という感想が記してある。
麦趣尔は、今あらためて調べてみると、新疆ウイグルの有名な食品メーカーらしいことがわかった。
日本では不二家がケーキ店を出していたりするけど、ああいう感じの出店だったのかもしれない。
7月ではあるけれど、そこそこの標高もあるし、タクラマカン砂漠の北部とはいえ、むしろ山岳地帯で涼しい。
ここでの目的地は〔天池〕と呼ばれる湖。
なんでも、中国神話の女神・西王母が行水につかった湖らしい。
多分、そういう謂れができたいきさつとして、きっとこの天池を発見した中華文化圏の誰かが、
「お、ここはでかくて神秘的だし、神話の西王母が行水とかしてそうだな」
なんて考えたかして、そういう伝説が形成されていったのではないか……と推測している。実際のところはどうかはわからないけど、ウルムチは中華文化圏とはずいぶんと遠く離れているし。
〔天池〕はウルムチからさらにバスにのって、長時間ゆられながら移動する必要がある。
この日はホテルに一泊したのち、翌日早朝に出発するとして、バスのチケットを購入だけしておく。
となると暇になるし、博物館をじっくり見てもまだ時間がたっぷり残されている。
何しろ、中国では西へ行けば行くほど、日の沈む時間が遅くなるのだ。
全国一律、北京時間で統一するのが建前だからだけど、たとえ現地の「ウイグル時間」を適用したところで、二時間しか違わないので、いずれにしても午後9時をすぎても昼間の明るさだ。
二道橋という市場にある、民族用品売り場の通りをぶらぶら歩く。
ここは完全に、中国文化圏とは明らかに異質な、ウイグル人の世界。
イスラム文化圏で、何もかもが金銀きらきらぴかぴかしている。
人々の顔立ちも、ほりが深くて東洋人とはかなり違う。
そんな市場の中で、ぶらりと立ち寄ったウイグルナイフのお店で、少年が(カモが来てくれたぞ。日本人はカモりやすい)とでも思ったのか、わたしへ執拗にナイフを売り込んでくる。
ウイグルナイフには〔イェンギサル(英吉沙〕)というブランドがあって、少年が見せつけるナイフにも、その銘が刻んである。
こういうブランドものは、偽物だらけだし、本当にイェンギサルのナイフなのかどうか、怪しいものだ。
そもそも、ナイフに用はない。
「まあ見てよ」
少年が北京語で自信満々に宣言すると、別のナイフを取り出し、いきなりその刀身を削り始めた。
「え、何すんの!?」
イェンギサル(仮)がよほど硬くて鋭いのか、削られるナイフが柔らかすぎるのか、とにかく金属の削り破片がシャカシャカと落ちてゆく。
「すげえ!」
うっかり、買ってしまった。
ちなみにそのイェンギサル(もしかして真?)、本当にとても丈夫で切れ味もよくて、なんのかんので旅行中に役立ってくれた。
乗せられたとはいえ、悪い買い物ではなかったと思う。
……が、一ヶ月ほど後の、タクラマカン砂漠の南道のホテルで、護身用に枕の下にしのばせておいたまま、忘れて行ってしまった。
寝坊したわたしを、バスの運転手が血相変えて迎えに来て、慌てたわたしは、ナイフの存在を思い出すこともなくチェックアウトしたのだ。
さ、次回はいよいよ中国の女神が沐浴したとかいう、天池だ。
わたしはそこで、人生最大級とも言える危機に……(おもに、人間としての尊厳にかかわる方向で)
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