【東京】松葉 伝説を支えたラーメン
去年、A先生が亡くなられた。
その訃報をきいたとき、伝説に、ひとつの区切りがついた気持ちで、わたしは空を見上げた。
小さい頃から藤子不二雄が好きで、特にF先生のドラえもんで育ったわたしは、よく模写をしていた。
今でもドラえもん単体だけなら、さらっと描ける。
F先生が先に逝かれ、ついにA先生もまたそちらへ逝かれた。
A先生からは、小学生の頃に読んだ〔まんが道〕で、トキワ荘伝説を教えてもらった。
以来、トキワ荘は憧れとしてわたしの心に君臨した。
漫画家になりたいな……という淡い夢は、しかしまあ中学生になったあたりでいつしか霧散していたけれど、それでもトキワ荘は心のどこか深いところで、輝き続けていた。
……で。
大学以来東京へ出てきたわたしは、当然のようにトキワ荘跡地を訪れる訳で、その足で向かうのはやっぱり〔松葉〕のラーメンということになる。
A先生やF先生ら、トキワ荘メンバーが味わっていた、あの伝説のラーメン!
それは想像にたがわず、典型的な東京のラーメンだった。
ラーメンと言うと、人それぞれに好みがうるさく分かれていて、或る人が『んまい!』と絶賛しても、別の人には『そうか?』なんて首をひねることも珍しくない。
わたしなどは家系のこってりしたのが一番好き。
でも、もし、
「ラーメンたる存在の基本形は?」
と問われたら、やっぱり醤油ラーメンという気がする。
東京の、昔ながらのラーメンとして思い浮かべるのは、醤油の濃い色合いながらもスープそのものは透き通っている代物で、決して濁ってない。
洋食の老舗で有名な〔たいめいけん〕のラーメンがその最たる例で、東京のラーメンをとても上品に昇華した究極形だと思っている。
〔松葉〕のラーメンは、実にノーマルな醤油ラーメンだった。
何十年も前に、トキワ荘の漫画家さん達が食べた伝説の味は、何も気をてらわない普通の味で、だからこそ感動は倍増した。
今なおずっと営業をつづけていてくれる奇跡に感謝しながら、どきどきした胸をおさえつつ、一歩、お店の中へ。
実に狭い店内だった。
これが変にオシャレだったり、あるいはよくあるこだわり系ラーメン店的なおもむきだったら、きっとがっかりしたと思う。
有名店であれども変な気負いもなく、どこにでもある『町のラーメン店』として風景になじんでいる。
これこれ、わたしが求めていたのは、この雰囲気だ。
ラーメンは、たらふく食べなきゃ嫌な性分なので、ライスのセットにした。
「おまちどうさま」
ステンレスの、そっけないトレーごとテーブルに置かれたラーメンのたたずまいは、感動的なまでに『普通』だった。
ほんのり緑かかっているようにも見える、白藍色の器。
こんもり持ってある白飯、それから真っ白なたくあん。
暗褐色ながらも透明なスープにしずんだ中太麺と、その上に乗る住人たち。中央にチャーシューと煮卵。その脇をかためるワカメ、めんま、たっぷり刻んだネギ。
奇抜なものは何もない。
我が右手にはレンゲ。少し沈め、その中へスープを導き入れる。
左手には割り箸。いざ麺をすくい上げ、レンゲの中のスープへ。
これが、猫舌なわたしの食べ方。
──んまい!
転瞬、〔まんが道〕に出てくるあらゆるシーンが、わたしの奥深いところから湧き出でて、体の中心を駆け巡り、霧散していった。
(これと同じ味を、あのトキワ荘の人たちが味わっていたんだ……)
想像するしかなかった、伝説の向こう側へ、わたしもつま先の部分を一歩分だけ足を踏み入れた──。
そんな気分にひたれた。
繰り返しになるけど、わたしは何と言っても、こってり濁った、がつんとニンニクたっぷりなラーメンが大好き。
週に一度は食べたくなる。
でも〔松葉〕のラーメンはすっきり心と体にしみとおり、毎日食べられる味だ。
藤子不二雄のお二人の作品で産湯につかったと思っているわたしには、まさしく『ここへ帰ってきたい』と思えるラーメンだった。
○
F先生『よお、やっと来たなあ』
A先生『あーあ、ついに来ちまったよ』
F先生『よし、こっちへの引っ越し祝いだ。引っ越し蕎麦には松葉のラーメン』
A先生『ああ、テラさん以来の伝統だもんな』
トキワ荘住人たち『ラーメン来たら、とりあえずチューダーで乾杯しようぜ』