酒井剛志

酒井剛志です。ラップトップ・ワープロは情報収集には欠かせない道具。老人会に行く時も、友達と会う時も、ほとんどいつでも持ち歩きます。講義中にはノート代わりにワープロでメモを取ります。この3か月間、紙と鉛筆を使ったことがありません。

酒井剛志

酒井剛志です。ラップトップ・ワープロは情報収集には欠かせない道具。老人会に行く時も、友達と会う時も、ほとんどいつでも持ち歩きます。講義中にはノート代わりにワープロでメモを取ります。この3か月間、紙と鉛筆を使ったことがありません。

最近の記事

酒井剛志 <農業国から工業国へ>

貧しい農業国だったベトナム1990年代のベトナムでは、ハノイ市とハイフォン市をつなぐ道路を、ドライバーがものすごいスピードで車を走らせていました。狭い道の両側を人が歩き、自動車やモーターバイクが並行して行き来しています。 日本の常識では考えられないような危険な追い越しで、反対から来る車に正面衝突しないかと冷や汗をかくこともありました。 周りは、ほとんどが農村地帯でした。なにしろベトナムは、70%が農民という農業国家だからです。 その農民の生活が極貧状態に近いことは、車から外

    • 安藤温規・高島屋ニューヨーク事務所長夫人のエリザベスさんは日本料理の先生だった。グリニッチビレッジに教室を開き、日本人駐在員の奥さんらにも料理を教え、また講演、新聞への寄稿と活躍。2冊目の著書「アメリカでの日本の味」の出版記念パーティーには約50人のマスコミ関係者が集まった。

      • NY競り見学記/酒井剛志

        アメリカのニューヨーク市の中心部「マンハッタン地区」の対岸、「ブルックリン地区」の川岸に1987年暮れ、「フィッシュポート」が店開きしました。 ボストン沖のヒラメ、イカ、アンコウ、はるかノルウェーからのサケなど、横付けした漁船から次々に運び込まれてきます。 売買成立の様子 大学の階段教室に似た部屋で競りが始まりました。ここでは日本と反対に“競り下げ”です。値段を示す時計の針が最高値から安値へとピコピコと回ります。仲買人が手元のボタンをぽんと押します。針が止まって、「はい

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