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Fungry! ⑩ 【創作大賞2024 ホラー小説部門 応募作品】

Day3




多分、夢なのだと思う。
だって私は、彩花の両親の顔を一度も見たことがないのだから。
けれど二人ははっきりと、彩花に似た温和な笑みを浮かべて、タオルにくるまれたまだ生まれたての彩花を大切に抱きかかえて、幸せそうにあやしていた。
次の瞬間には、これも一度も行ったことのない彩花のおうち。
慈愛に満ちた表情で、お母さんが彩花におっぱいを上げる傍ら、お父さんは目じりをめいっぱい下げ、彩花の頭をなでていた。
それからというもの、情景は目まぐるしく展開した。
初めて彩花がママと、パパと呟いた日。
初めて彩花が補助輪を取って走り出した日。
初めて彩花がテストで百点を取った日。
初めて彩花が作文で入賞を果たした日。
両親にとってのかけがえのない彼女との思い出が、まるで走馬灯のように駆け巡った。
その一切が私には心当たりのない風景だったけれど、なんとなく、これは確かに現実に起きたことなんだろうって思った。
急に、目の前が真っ暗になった。
どこかから、厳かなおじいさんの声が聞こえる。
はっとして前を見ると、黒いローブをまとって厳しい視線で私を見つめる、裁判官たち。
そしてその横には、彩花のお父さんとお母さんが。
ああこれはきっと、初めて娘を殺した犯人と対面した日、だ。
私を無言で見つめる二人の顔は、見るに堪えないものだった。
まるで悪魔でも見るかのような、およそ言葉にはできない様々な感情が混ざり合った黙示録のようなその顔が、私に向かって、向かって!


ぱっと目を開けると、大粒の雨がリビングの窓を打っていた。
ふと視線を巡らせば、Lの字型のソファの反対側に、同じようにして眠る海咲の姿が。
スマホを確認すると、すでに13時を周っていた。
私たちは、明け方までかかって何とか無事に彩花をばらし終えたのだ。
そうして作業を終えた私たちは、彼女だった肉塊を冷凍庫と冷蔵庫にがむしゃらに詰め込んで、そのまま倒れるようにしてソファで寝てしまったのだ。
ふと、急激な空腹感が私を襲った。
それはとても、懐かしい痛みだった。
そういえば、彩花を殺して以来、私たちは何も食べていなかった。
上体を起こして確認すると、あの夜買ってきたピザがキッチンのテーブルでかぴかぴになっている。
まだ食べられるだろうか。
そう考えながらも、鉛のように重い体を起こす気力もわかず、私は再び、瞼を閉じたのだった。


教室の真ん中で、誰かが肩を震わせている。
机に突っ伏し顔を覆い、わなわなと。
すすり泣く声も、聞こえた。
ああ彩花だなって、思った。
そんな彼女を、無数のクラスメイト達が囲んでいた。
一人が、わざとらしいどもりかたで、彩花の口調をまねだした。
それをきっかけに、クラスメイト達が次々に、心無い罵詈雑言を彼女に浴びせ始めた。
聞くに堪えなかった。
それはどれも、人が人に浴びせていい言葉ではなかった。
あんまり、酷かった。
無性に腹が立った私は、叫んだ。
お前ら何言ってんだ!
お前らみたいなウジに彩花の何がわかんだよ!
彩花はお前らみたいな人間が住んでる世界にはもったいなすぎるくらいにいい子なんだよ!
なんか言えよクズども!
やめろって!
やめろって!
クソ共が、死ね!
死ね!
死ね!!!
けれど、そのどれもが私の口から発せられることはなかった。
私は一人、まるでスクリーンを隔てた観客席に座っているみたいに、ただぼーっと彩花の姿を見つめていることしかできなかったのだ。
その間も、罵詈雑言は止むことなく、風に揺られた森の木々のごとく、さわさわとあたり一面に満ち足りて。
いよいよ我慢できなくなった私は、ついに泣き出してしまった。
そうして、ひりだしたようなか細い声で一言。
「もうやめてよ…」
はっとして顔を上げると、あたりは真っ暗で、罵詈雑言はいつの間にか無くなっていた。
目の前には、相変わらず机に突っ伏す彩花が一人。
「彩花…」
微動だにしない彼女に、私はゆっくり近づいていく。
辛かったね。
よく耐えたね。
私は味方だからね。
彼女に向かってかける言葉を慎重に選びながら、私はゆっくり、彩花に近づく。
そうして、すっと彼女の肩に手を伸ばした。
瞬間。
ぱっと、彩花の姿が消えてしまった。
途端。

『アナタハドウナノ?』

生ぬるい息が、私の耳をくすぐった。
はっとして振り返った。
その眼前。
頭皮ははがれ、脳漿を垂らし、真っ赤に染まった青白い彩花の顔が!!!!!


飛び跳ねるようにして起き上がり、目を開ける。
窓の外は、相変わらず雨で。
ふと海咲の方を見ると、いつの間に起きたのか、気だるげに目を半分開いて、天井をじいっと見つめていた。
「みさ…」
彼女に声をかけようとしたところで、私はようやく、海咲が彩花から貰ったげろ便ちゃんのキーホルダーを大切そうに握りしめていることに気づいた。
よく見れば、うわごとでも呟いているのか、口をしきりにパクパク動かしている。
その姿に、私の心臓は鈍く傷んだ。
あれだけのことをしておいて、未だに彩花に執着でもしているのだろうか。
胸のあたりに広がった痛みはそのまま倦怠感となって全身に広がり、私は再び、目を閉じた。


どれだけ眠っていただろう。
目を覚ますと、外はすでに真っ暗だった。
穏やかな寝覚めの中、暗黒の窓をしとどに濡らす雨の音にしばらくぼーっと聞き入っていると、ふと、キッチンの方から何やら物音が。
目をやれば、慌てた様子の海咲が、冷蔵庫の扉を閉めるところだった。
「なに、してんの…?」
重たい体を起こして聞けば、海咲はぎょっとしたように目を見開いて私を見た。
そのあからさまな表情で、私は彼女の答えを待たずとも、彼女が何をしでかそうとしているのかがはっきり分かった。
「ねえ、どうするつもり?」
見れば、彼女の手元には、冷蔵庫から取り出したジップロックが一つ。
海咲も誤魔化せれないと気づいたのか、ゆっくりと立ち上がった私を睨みつけた。
「どうするもなにも、持ってくんだよ」
「どこに?」
「警察」
ぼそっと、海咲がつぶやいた。
その瞬間、私の脳裏を、さっき目が覚めたときにみてしまった海咲の姿が駆け巡った。
「なんで…。なんで、彩花なの…?」
「は?」
海咲が意味が分からないといった風で、私を見つめている。
「もう、死んでんだよ?それ見てよ。その中に入ってるの、全部彩花だよ?ねえ、なんで。なんでまだ…」
私がすべてを言い切る前に、ふと、海咲の口元が歪んで、そうして、にいっと、大きな口を三日月形にまげて、笑った。
笑って、笑って。
それは、およそこの世のものとは思えない、不愉快で、おぞましい笑い声で。
その恐ろしさに委縮して、じわりと一歩、私が後ずさりした時だった。
首元に、ふっと、生ぬるい息がかかって。

「モエカチャンハ、イツマデタッテモ、ホッテオケナイダケノヒトダカラ」

ぞっとするほど冷たい、彩花の声が耳殻をくすぐった。


飛び起きた私は、急激な覚醒と最低の夢のせいでひどく高鳴る胸の鼓動で、しばらくはうまく息を吸うことができなかった。
ようやく少し落ち着いたところで海咲を見れば、未だにキーホルダーを握りしめながら、虚空を見つめていた。
一応、今は海咲が裏切るつもりはないことに一安心し、彼女に声をかけようとしたところで、自分が尋常じゃない量の汗をかいていることに気づいた。
グレーのスウェットは汗で真っ黒に変色して、昨日着替えたはずなのにひどく臭っていた。
脳裏にはまだ、夢の中の彩花の気配がこびりついている。
気分転換にシャワーでもと立ち上がったところで、私はよろめき、そのまま吸い寄せられるようにしてソファーに座り込んでしまった。
途端、極度の空腹感と一緒に、腹部の辺りに鈍い痛みが走った。
「ねえ海咲、なんか食べた?」
海咲は無反応だった。
ため息一つ、私はもう一度、今度は力を振り絞って立ち上がり、よろめきながら冷蔵庫に向かう。
途中、テーブルの上で干からびたピザが視界に入ったけれど、どうにも食べる気にはなれなかった。
そういえば、三日前の買い出しの時、がんがんにクーラーを利かせた部屋で鍋をやろうと言い出した海咲に促されて、たくさんの野菜や肉を買ったのだった。
うん、鍋。
いいね。
期待に胸を膨らませ冷蔵庫を開けた私は、思わず飛び上がって悲鳴を上げてしまった。
中には、真っ赤な血を滴らせた彩花の肉が、ジップロックにぎゅうぎゅうに詰められ、所狭しと並べられていたのだ。
その中には、陰唇の形をくっきり残すものから、子宮、目玉、そして爪まで!!!
その異様な光景に強烈な吐き気を催し、私は慌ててシンクに向かった。
けれど出てくるのはほのかな酸味を含んだ胃液と唾液だけだった。
それでも吐き気は収まらず、私はしばらくの間息も絶え絶ええずき続けた。
ようやく少し収まったところで、強烈な倦怠感と頭痛に襲われ、私はその場でへたり込んでしまった。
一体誰があんなこと。
なんであんなところに。
そう心中呟きながらも、記憶の彼方で、彩花を解体する自分自身の姿を、私はちゃんと思い出していた。
そう、これは全部私がしでかしたことなのだ。
私が、彩花をあんなふうにしてしまったのだ。
酷い罪悪感と後悔、嫌悪と絶望は、頭痛と倦怠感というはっきりとした形を司って、今まさに、私に襲いかかってきているところだった。
その時ふと、二週間後に控えるモデルの仕事が頭をよぎった。
確か、ノノンの撮影だったような。
途端、旅行から帰宅してくる明日美さんと和樹さんの笑顔がよぎる。
と今度は、あれだけ付き合うのが面倒だと思っていたモデル友達やクラスメイト達の笑顔が、堰を切ったように眼前に溢れだした。

生きなきゃ。

そう、思った。
生きて、この困難な状況を打破しないと。
私は絶対、うまくやらないといけない。
急に溢れ出した活力に押されるようにして、私は立ち上がり、再び冷蔵庫の中身と対面した。
よくよく見れば、彩花の名残を残す部位がちらちらあるとはいえ、ほとんどはその辺の家畜の肉と変わらない、鮮やかな赤い肉塊に過ぎなかった。
とりあえず、何とかして処理しなければ。
私は乱暴にシンクの下の扉を開けた。
フライパン、包丁、ボウル、ざる、菜箸、水切り…。
あった。
収納スペースの奥深く、銀色に光っていたのは、大きな大きな鍋だった。
他の調理器具を押し倒しながら無理やりそれを引き出すと、鍋の中には、さらに一回り小さい鍋、さらにはもう一回り小さい鍋と、マトリョシカ方式でいくつもの鍋が収納されていた。
そこから大きなものの順に三つ取り出し、水を注ぎ、三口コンロに並べ立てる。
「何やってんだ?」
いつの間にか起きてきた海咲が、不思議そうに私を見ていた。
「あのね、前にポッドキャストで聞いたのよ。死体を処理する時、カレーにしちゃうのはかなり有効な手段なんだって」
「カレー!?」
素っ頓狂な声を上げる海咲。
「そう。カレーにしてドロドロに溶かしちゃえば、臭いも誤魔化せれるし、処理もしやすいって」
「た、食べんのか?」
「まさか!捨てるのよ。カレーにして、どっか海にでも流しちゃえばいいだけじゃない」
「そ、そうか…」
海咲は呆気に取られて立ち尽くしている。
そんな彼女をよそに、私は冷蔵庫の中にあったジップロックを片っ端から取り出し、鍋に開けていく。
「た、足りんのか?」
「一回でできなかったらまたやればいいだけ」
とは言いつつも、どれくらい煮込めば肉が溶けるのかもわからないので、できる事なら一回ですべて煮込んでしまいたい。
途中で少し水を減らし、鍋の底にぎゅうぎゅうと彩花を押し込んでいく。
そこではっと、私はあることに気づいた。
「スマホ…スマホ!」
「ああ?」
怪訝そうな顔をする海咲に、私はまくしたてる。
「彩花のスマホ。ご両親から連絡来てたらまずいから、なりすまさないと」
「なりすますって…」
「パスワード、パスワード知らない?」
「知る訳ないだろ」
「知らないなら心当たりある数字入れる!ほら、早く!」
手は休めずがなりたてる私に気圧されたのか、海咲はめんどくせえな、なんて言いながらも彩花のスマホを探しに行く。
「なあ、肉は処理できても骨はどうすんだ?」
彩花のバックをまさぐりながら、海咲が聞く。
「後でミキサーとかすり鉢使って粉々にすればいいでしょ!」
「んな簡単に言われても」
「難しくてもやるの!!」
「でもよお」
「でももだってもない!」
実際、骨は臭いの原因にはならない。
後でゆっくり砕いて、海にでも捨ててしまえばいい。
それよりも早く、この肉を何とかしないと。
「おい。おいおいおいおいおいおい!」
「あったの?」
海咲を見れば、どうやら彩花のスマホを見つけたようで、手に持ちながら、何かせわしなくしている。
「どうしたの?」
「パスワード、あいつ、パスワードかけてなかった!」
その言葉は、さらに私を勇気づけた。
「これならライソ使えるぞ!」
「ご両親からきてる?あと友達も!」
「ちときてんな」
「うまくやってよ!」
「任せろ!」
そう言って、海咲がにこっと笑った。
だから私も、にこっと笑った。
よし。
とりあえず、一番大きな鍋いっぱいに彩花を詰め込んだ私は、コンロに火をかけるべく、ガスのスイッチをさげた。
ちちちちち、と音が鳴り、一瞬ガスのにおいが鼻をかすめる。
火が付いたことを確認した私は、キッチンに備え付けられた引き出しからカレールーを取り出して、鍋の中に投入する。
ふわっと、まるで本物のカレーのようなにおいが鼻腔をくすぐった。
いや、これは確かに本物のカレーなのだ。
食材が彩花だということを除けば。
しかし、これなら本当に、臭いだって誤魔化せれる。
全く、あのポッドキャストには感謝しないと。
そんなことを考えながら、次の鍋に投入すべく、再び冷蔵庫の扉に手をかけた時だった。

ぐるるるる、ってお腹が鳴った。

その瞬間、何かとてつもない既視感にかられたと思うと、あの日食べた半解凍の食パンとケチャップの味が、じわあっと、口内でフラッシュバックしたのだった。
しばらくは、その衝撃に体が動かなかった。
舌が、じいんと痺れている。
ふと、カレーの蠱惑的な香りが鼻腔をついた。
その匂いはさしずめ、地獄の底で手招きする、妖艶な美女に化けた悪魔のようで…。
「ねえ、海咲…」
「ああ~?」
リビングで、呑気な返事が聞こえた。
「海咲もまだ、何にも食べてないんだよね?」


⑪に続く
Fungry! ⑪ 【創作大賞2024 ホラー小説部門 応募作品】|霧島はるか (note.com)


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