Fungry!あとがきと自己紹介的何かとこれからのこと
まずは、Fungry!を読んでいただいた方、スキをくれた方、コメントをくれた方、皆さまに最上級の感謝の意を。
このあとがきについてはネタバレを含むので
「ああ!?そろそろ読んでやろうと思ってたんだけど!?どつきまわしたろうかおい」
と思っくれた心優しいそこのあなたは、そっとこのページを閉じてとっとと本編へいきやがれくださいでございます。
読む気はねえけどあとがきは読んでやんよ、な紳士淑女の皆さまはそのまま続きを読んでくださりやがれですわ(お嬢様風)。
一応自己紹介風の記事にもなっているので、『Fungry!』に興味はなくても霧島には興味あるという希代な方もそのまま読み進めてくださいな。
noteを始めてからだいぶ経ちますが、自己紹介的な記事を書いたことがなかったので、自分自身のことに触れるのはこれが初めてになります。
まずFungry!についてですが、この作品を書き上げたおかげで、随分と大きな気持ちの変化を感じることができました。
後から読み返してみたら誤字脱字が酷かったり、つじつまの合わない描写が出てきたりと、未熟な点が多々あり、理想形とは程遠く、自分の力不足を痛感する作品ではあったのだけど、それ以上に、萌香というキャラクターを書けたこと、そしてFungry!という作品を生み出せたことにとても満足していて、個人的にはお気に入りの作品になりました。
というのも、今作の主人公である萌香は、今まで僕が書いてきた作品に登場するキャラクターたちとは明らかに違う側面を持っているからです。
そう、彼女は確かに、生きることを肯定し、人生に向き合おうと努力していたキャラクターでした。
これまでに僕が描いてきたキャラクターは、どいつもこいつも生にひっっっっじょうに消極的で、仕方なく生きてるけど、死ねるならこの上ねえな、なんてキャラクターばかりでした。
唯一異彩を放っているのが『タイダルリバー』の深雪ですが(一見人生を楽しんでいるように見える)、彼女もその壮絶な生い立ちから、どうせ生きるのなら『負』の全てを楽しみつくさなきゃ損じゃないか、そうして最後はこの上なくみっともない死に方をさせてくれる人に殺してもらおうという行動原理を持っていて(本編で彼女の生い立ちには触れていません)、結局は、死を救いと考える消極的な人間でした。
自主映画を撮っていた頃の作品や趣味で書いていた小説を含めてみても、全員が全員、愛を傷のなめあいの手段としか捉えておらず、セックス・ドラッグ・暴力!な日々を送り、ああ死にてえええええ、なんて常々考えているやつらばかりでした。
その点萌香は、一線を画しています。
とはいえ、萌香もやっていることはそれまでのキャラクターたちとあまり変わりません。
彼女は結果的に、いじめを受けてもなお前向きに生きようとする彩花を衝動的に殺してしまうという最悪の事態を引き起こします。
もちろん、萌香が彩花にしでかしたことは、彼女がどんな背景を背負っていようが許されることではありません。
けれどこの展開は、僕が伝えたかったことを理解してもらううえで、最も重要な展開であり、この作品に必要不可欠な描写でした。
その伝えたかったことというのが、虐待された人間の心が、その傷によっていかに壊れてしまっているか、例えどれだけ本人が前向きに人生と向き合おうとしても、ひょんなことでその傷口から溢れかえった歪みが被害者を飲み込み、絶望の底へ叩き落とすことになる、その抗いようのない悪夢が一体どれほど恐ろしいものか。
そんなテーマです。
彩花を殺したこと自体は、恋愛感情の絡んだ怒りが原因でネグレクトとは無関係に思われるかもしれませんが、抑えの効かない怒り、それも相手が死ぬまで我にかえれないという尋常ではない怒りは、萌香が海咲に抱いていた強烈な執着に由来しています。
そして海咲への執着は、『悪魔の味』に囚われていた頃の自分に戻りたくないという萌香の強い願いから生まれたのです。
その諸悪の根源である『悪魔の味』に萌香が囚われた原因こそが、ママのネグレクトでした。
こうした一連の流れから、本来なら『虐待』と『いじめ』という負の側面を経験し、お互いの苦しみを分かち合えるいい友人になれたかもしれない二人が、結果的にあのような結末を迎えてしまったこと自体に、虐待で負ってしまった傷の恐ろしさを知ってほしいという想いを込めていました。
だからこの結末は最初から決まっていました。
ただ僕は常々、酷い環境で育っても前向きに生きようとする人間を描きたいと考えていました。
でもそれが出来なかったのは、僕の創作に対するスタンスゆえでした。
僕は、創作をすること=自分の吐き出したい気持ちをぶちまけるもの、として捉えていました。
これは間違いではないし、今でもそう捉えていますが、問題は、その吐き出したい気持ちでした。
僕は創作を、恨みつらみを吐き出すための手段、として使っていたのです。
様々な違いはあれど、僕もまた、萌香に近い環境で育った当事者の一人です。
だからこそ、エンターテイメントの力を借りて、これから生まれてくる新しい命、今まさに虐げられている子供たち、深い傷を負ったまま立ち直れずに成長してしまった大人たち、僕の作品はまだ世界の片隅にひっそり存在しているだけだけど、ほんの少しでもそういった人たちの力になれればと、そう思い創作をしてきたつもりでした。
けれど蓋を開けてみれば、自分の中で堪えきれなくなったどす黒い感情を吐き出すためだけに創作を始めた高校生の頃と、何ら変わりないスタンスを、ついこの間まで続けてしまっていました。
それは自分でもよく理解できていたことでした。
こんな作品を書きたかったわけじゃない。
こんな主人公にしたかったわけじゃない。
悩みながら、なんとか改善しようと頑張ってみても、やっぱり創作というのは自分の心理状態をこれみよがしに反映してくるやっかいな野郎で、憎しみを涵養し続けた僕が魅力的な主人公を書くことなんてできませんでした。
そう気づきながらも、長らく僕は、自分の恨みつらみを並べ立てる作風をやめることができませんでした。
だましだまし作品を作り続けていましたが、二年ちょっと前、いよいよ我慢の限界が来ました。
noteで公開している『like…』という小説を書き上げたときでした。
「俺は一体いつまでこんなクソみたいな主人公を書きづづける気だ…?」
そう自問した途端、何もかもが嫌になりました。
それからしばらくは、小説も脚本も書くことができませんでした。
その頃からnoteに上げ始めたのが、詩、という体をとった恨み言連発の目も当てられないようなクソ作品の数々です。
嫌になったと言いながらも負の感情を吐き出すことだけは忘れないとは、いやはや何とも…。
丁度その頃、創作だけでなく、人生においても色々な転換点を迎えました。
まず、家が無くなりましたw(ここ笑っていいとこ)
長らく住んでいたアパートを、家賃が払えず出ていく羽目に…(あの大家さん、ほんとよく我慢してくれたほうだと思います…まじで迷惑かけたなあ…)。
さらに、自主映画仲間数人と取り返しのつかない大喧嘩をかまし、絶縁。
そして、こんなどうしようもない僕を三年半近く支えてくれていた恋人とも別れることに。
24歳。
色々ありすぎて、笑うしかできない年でした。
といっても、すべて僕の自業自得でしたが。
ほんと、どうしようもねえクソ野郎ですよ。
それからというもの、僕はリゾートバイトを始めました。
だって、帰るとこねえし…。
新しい家を借りる金もないし、家賃未納状態だったので、保証会社のブラックリスト的なものにも入っていたことでしょう。
選択肢はありませんでした。
そこから僕の、全国放浪記が始まります。
リゾバ先で出会う人たちには、小説書くいい経験になると思って全国旅しててー、なんて調子のいいことを言いつつも、裏では全く創作ができない日々。
そうこうするうちに、時間だけが過ぎていきました。
気づけば、昔夢中になっていたアニメや映画にどっぷり浸り、現実逃避する日々。
恋人を作っても、すぐに別れてしまう。
挙句の果てによくわからないお姉さんとセフレになり、よくわからないまま捨てられる始末。
ついこの間まで、ほんと、クソしょうもない人間になり果てていました。
最初に変化が訪れたのは、今年の一月一日。
そう、石川で地震があった日です。
noteにも呟きましたが、あの日僕は、友人と旅行で金沢に来ていました。
地震の瞬間、僕は兼六園の近くにあるアーケード街のど真ん中にいました。
最初はシャッターががしゃがしゃ揺れてすごい音が鳴っていて、でも揺れは感じず、正月なのに工事か?なんて呑気に考えていました。
けれど次の瞬間には、ものすごい地響きと共に、強烈な揺れに襲われました。
その場にいた全員が、アーケード街の出口、広い道路を目指して一斉に走り出しました。
その時、あれだけ死にたい死にたい言い続け、ダス・ゲマイネで馬場が言っていた『うまく災難にひっかかる』ってやつが自分の身に起きたらなんて素敵なことなんだろう、なんて常々考えていた僕も、みんなと一緒になって出口まで全力疾走していました。
そんな僕を、冷静なもう一人の僕がずうっと嘲笑っていました。
なんだよおめえ、やっぱ生きたいじゃんかって。
あの日から、ものすごくかすかにですが、自分の中で再び湧き上がる熱を感じ始めていました。
このままじゃやべえ。
なんかしねえと、って。
だって、最低の環境で育ったのに、大人になって今度は自分から最低の環境に身を置くなんて、馬鹿もここに極まれりって感じじゃん?
映画仲間と喧嘩した話にも繋がるのですが、僕は今でも自分は小説よりも、映像を使ってキャラクターの心情や自分の伝えたいことを表現するほうが向いている、とは思っているのですが、コストの面はもちろん、何より僕が創作において非常に集団行動を苦手とする性格で、人をまとめ上げるような器でなかったこともあり、うまいこと映画に集中できず、長らく、映画を作りたいのか、小説を書きたいのか、小説を選択した場合、それは自分の欠点に向き合うことを放棄したただの逃げの選択なのではないか、そんな悩みまで同時に抱えていました。
けれど、何かしなければ確実に腐っていく一方であることだけははっきりわかっていました。
それで、ここはとりあえず、小説でも書いてみようとなったのです。
あの時はどっちにしろ、映画を撮りたくても撮れなかったしね。
そうして、いくつかの作品の原案を書き始めました。
そのうちの一つが、現在noteで連載中(一時ストップしてますが)の『なでと君むなしき空にきえにけん』です。
なでとはそんな経緯で生まれた物語でした。
さらにこのいくつかの中には、『げろ便スレイヤー』という作品も含まれています。
そう、Fungry!で萌香が溺愛していた、あのげろ便ちゃんが出てくる物語です。
我慢しきれず、出しちった。
とまあ、書き始めたはいいものの、最初はやっぱり、例の恨みつらみの連続のような物語ばかりが頭に浮かんでいく。
何度一人でキレ散らかしたことか…。
きっとそれまでの僕だったら、再び創作を投げ出していたと思います。
それまでに書いてきた主人公たちが極めて生に消極的であったように、僕もまた、自殺という安易な手段に逃げようとしたかもしれません(前科二犯)。
けれど、げろ便ちゃんを書いているうちに、僕の中にわずかな変化が生まれました。
げろ便ちゃんの主人公であるこんちゃんは、メタルが大好きな高校二年生です。
そんなこんちゃんの日常を書いていた時です。
そういえば僕の今の姿を、僕がずっと憧れていたミック・トムソンやコリー・テイラー、オジー・オズボーンが見たら、なんて言われるんだろうって。
答えはきっと、こうです。
「お前、クソつまんねえ人生送ってんな」
どかんと、頭の中で大きな大きな爆発が起こりました。
ああそうだ。
俺はほんとに、クソつまんねえ人生を送ってる。
生きたいと願っても生きれないよう人々が、たとえ悪魔に魂を売ってでも欲しがるような命の有効期限を存分に残しているにも関わらず、俺はそれを、まるでどぶに捨てるみたいにしてしょうもない方法で消費してんだ。
そう思い当たった途端、ぱっと脳裏に、創作を道を本格的に志したいと思ったあるできごとが、蘇ってきたのです。
それは、高校二年生の秋、コーエーテクモが制作したホラーゲーム『零 赤い蝶』をプレイし終わった日のことでした。
そのあまりに衝撃的なストーリーと、細部まで作りこまれた人間ドラマを目の当たりにして、俺もこんな作品を作って世に送り出したいと、興奮で震えながら、決意したのです。
そう、僕が創作の道を志したきっかけは、映画でも小説でもなく、まさかのゲームなんです。
ちなみに零シリーズで一番好きな作品は、全て、と答えたいですがしいて言うなら三作目の『刺青ノ聲』です。
零についてここで語ると大幅に話がそれてしまうので控えますが、当時すでに化石になっていたPS2を買うためにこっそりバイトをし、チャリで爆走しながら中古ゲーム屋を巡り、ようやく手に入れたそれをこっそりプレイしていたことはいい思い出です(バイトしてたりゲームを買ってるなんてことがばれたら、まずそのお金は自分のものにはならなかったので、こっそりです)。
とすでに話がそれつつありますが、零のおかげで創作の道を志し、高校卒業後、バイトをしながら上京資金と映画学校の学費を貯めていたあの頃の僕は、確かにものすごく燃えていて、そうしてとても、生に対して積極的だったのです。
そう、そんな時代が、この僕にもあったのです。
自分のことなのに、きれいさっぱり、すっかり忘れていました。
俺だってやりゃあできんじゃねえか…。
そう思った途端に、僕の中で何かものすごく燃える、抑えがたい激情が急激に沸き上がりました。
それは、今まで抱いていたじっとりとした憎しみとは、まるで違う、とても爽やかで、それでいて体の細胞一つ一つを躍り上がらせる強烈な感情でした。
それからというもの、僕はげろ便ちゃんを書き続けました。
もちろん、恨みつらみはありません。
こんちゃんは、とても生に積極的な主人公として生まれ変わったのです(『なでと』の杏子も、このタイミングで一気にキャラを変えることになりました。といっても、現状公開している部分ではまだそこまで詳細な描写はないですが)。
そうして書き続けているうちに、ある台詞が、ぱっと、頭の中に降ってきました。
それは、主人公であるこんちゃんに、げろ便ちゃんとしての使命を授けに来たメタルゴッドが言い放った一言でした。
他人を救うには、まずは自分から救わんとな。
きっとこの言葉は、ずっと昔から、僕の中に確かにあった言葉なのだと思います。
けれど僕は、恨みつらみを吐き出すという安易な方法に頼り、ひたすらにその言葉を無視してきました。
だって自分を救うのって、とっても難しいから。
かたや恨みつらみを爆発させるのは、まるでドラッグみたいに、一時的にとっても感情が安らぎます。
やってることは、Twitterやヤフコメで人のこと叩いてるやつとなんも変わんなかったんだよね。
でもそれはあくまで一時的な快楽であって、その裏では自分が吐いた呪詛の言葉が、どんどん心の奥に溜まって、ドロドロになったそれがいよいよ取り返しがつかないくらいに強大な力を身に着けて、ついには自分自身を食い尽くしてしまう。
Fungry!本編にある、『涵養された憎しみほど質の悪いものはない…』、から始まる萌香のあのセリフは、それまでの自分の経験からでた発言なんです。
げろ便ちゃんを書き始め、ようやくそれに気づいた僕は、ある決意をしました。
一つ目は、生に積極的になること。
二つ目は、憎しみを抱かないこと。
そして三つめは、これは二つ目に通じるのだけど、正しい怒り方を身に着ける事。
怒りは、うまく付き合えば、人生を好転させることのできるとんでもなく有効な感情であると同時に、付き合い方を間違えると、憎しみになり果て、最悪の結果を招くことにもなる、とても扱いの難しい感情だなと思っています。
そんな怒りを正しくコントロールして、正しく発散できる力を身に着ければ、憎しみなんかを抱かなくても済むんじゃないかと、そしてそれは、生に対して積極的になれることに繋がっていくんじゃないだろうかと、ようやく、気づけたのです。
僕の作品の性質上、『怒り』は必要不可欠な要素であるから、余計にこの怒りとは、うまく付き合わなければいけないんです。
そうして色々な感情の変化が起こる中、僕は手始めに、脱リゾバをすることに決めました。
げろ便ちゃんのおかげで創作に対するスタンスだけでなく、そもそもの人生に対するスタンス自体が大きく変化し始めた僕は、それでもまずは、安定した生活を手に入れないとまた心が不安定になって創作にも支障をきたすのではと考えたのがきっかけでした。
また、当時いた京都の派遣先での任期が、ちょうど終了を迎えるタイミングだったことも大きなきっかけになりました。
これは完全に流れが俺に向いている。
そう思った僕でしたが、そこは霧島はるか。
ひっじょうに見通しの甘い見切り発車をしてしまいます。
なにせ昔から思い立ったらそれが例え突拍子もない考えでも、即行動に移してしまう癖があり(そう考えると、やっぱり意外と僕って、生に積極的だったのかもしれない)、就職先も家もまだ何も決まっておらず、そもそも貯金すらそんなになかったタイミングで、ぱっと担当者にリゾバやめますと告げ、昔から住んでみたかった静岡に、単身特攻しました。
そんな状態で、静岡でホテル暮らしをしながら、夜職のスタッフを中心に就職活動を始めました。
つい最近、『ホテル AM3:26』って詩で『家も仕事もなくなった』って書いてますけど(例の悪癖がすでに復活しかけていた詩でした…決意したはなから……)、ちょうどあの詩を投稿したのが、そのホテル暮らし期間でした。
夜職に関しては、昔副業でデリのドライバーをやっていたこともあり、すぐに受かると思っていたのですが、なんと僕、免許証失効してたんですね…。
更新、忘れちった。
うん、とまあそういうことで、デリの店舗スタッフを中心に職探しするも、東京ならともかく、地方都市では免許証は必須。
かといって、東京に戻るつもりはありませんでした。
あそこに戻ってしまえば、昔の悪癖が蘇ることは確かでしたから。
そうこうするうちに貯金が尽きはじめ、こりゃさすがにまずいっすわ、なんてことで、結局リゾバに逆戻り。
幸いお世話になっていた担当者の方は、僕と同い年の26歳だったため話も合い仲良くしてくれていたので、すぐに仕事も紹介してくれました。
紹介された、とあるリゾート地にある飲食店のバイトはとても環境がよく、すぐになじむことが出来ました。
あれだけ仕事に行くのが憂鬱だった昔の僕って、何だったのだろうと思うほど、今の場所は環境がいいです。
といっても、今まで働いてきた場所、特に東京時代にお世話になったライブハウスは、今思い返せばとてもいい環境のところだったので、多分、自分の精神状態なんでしょうね。
外国人観光客が多いおかげで、英語が使えるのもよきです。
どこかで本格的に英語力を培っておきたいと考えていたので、彼らと喋るのが楽しく、それも今の環境がいいと思える一因なのかもしれません。
といっても、僕は全く喋れませんが…。
それなのに、外国人と認識した瞬間滅茶苦茶ぐいぐい行くので、向こうからしたら喋れるやつ来た!なんて思うでしょうし、帰りの飛行機で、なんだったんだあいつは、なんて思われてるかもしれませんね。
水村美苗さんの小説かなんかで、日本人にとって英語を書く、読む、聞き取るはすべて別の能力、みたいなことが書かれていましたが、まさにその通り。
聞き取ることはできても、咄嗟に文章を構築することがまあ難しい。
なので、僕は基本単語の連発、あとはノリと勢いです。
まれに構築に成功しても、つっかえつっかえするので、結局ノリと勢いに頼ります。
それでも会話が成立しているから、やっぱノリと勢いって大切なんですね(定期的にSorry?と怪訝な顔で聞き返されてますが…)。
唯一の難点と言えば、タトゥーを隠さなきゃいけないとこ。
両腕ですが、左腕は煙草の箱より少しでかいくらい、右腕に至っては煙草の箱より小さいんですけどね。
それでもアームカバー着けなきゃだから暑いのなんの。
位置が位置だけにリスカ痕と思われても嫌なので、タトゥー隠しのようなシールはあまり使いたくないんですよね(リスカはほぼ未経験)。
この二年ちょっとのリゾバ生活では常にタトゥーを隠してきたので、慣れたっちゃなれたけど、それでもこの時期はやばいです…。
いや、まじで…。
とはいえタトゥーに関しては全く後悔してません。
どころかゆくゆくは全身うめたいです。
とまた少し話がそれましたが、新たな仕事とアパートを手に入れたこと、さらには人生を立て直すための設計とそのために必要な貯金額を決めて目標を定めることができたことで、精神的にもとても安定し、創作に集中できるぞおっ、となったタイミングで創作大賞が始まりました。
なでとは元々賞を狙ったものではなかったし、げろ便ちゃん含め創作に向き合うために再び書き出した小説はどれも、すでに応募しようと決めている賞がある状態でした。
そこで、自分の創作に対するスタンスを明確にするためにも、ここは新たに一つ、何か新しい小説を書いてやろうと考えたのです。
そこで生まれたのが『Fungry!』でした。
目標は、生に積極的な主人公を書くこと。
そして、恨みつらみを並び立てないこと。
とはいえ、『虐待』は僕にとって切っても切り離せれないテーマであることは変わりなく、できれば生涯、その問題について触れる作品を作り続けたいと、そう考えているので、虐待を取り上げない作品を書くわけにはいきませんでした。
なので、まだ自分の新しいスタンスを確固たるものにできていなかった僕には、結構難しい挑戦でもあったのです。
でも、結果は投稿された内容の通り。
萌香はどれだけママに嫌なことをされても、ママを愛そうと努力し、結果的にその性格が、人生に前向きな姿勢を作り出していました。
私はうまくやらなければならない。
この一種強迫観念じみた萌香の考えも、彼女自身が自分の人生を生きていくための道しるべとして設定していた、人生のテーマです。
地獄の門のくだりでも、私は人生を悲観してるわけじゃないと言ってみたり、萌香は確かに、生に対して非常に積極的で、ほんの片隅にも、死を意識していません。
海咲に救われる前の萌香と、救われた後の萌香の考え方の違いは、今までの僕と、これからこうなりたいと考えている僕の姿を投影させたものです。
内容が内容だけに、萌香が迎える結末は報われるものではないですし、(どちらが生き残ったかはご想像にお任せしますが、萌香が海咲を殺すことに成功していたとしても、その後の萌香を待っているのは地獄でしょうから)まだ悪癖が散見される小説ではありましたが、この萌香を書けたという事実は、今確かに、僕の中でとてつもない自信と活力になっています。
そして冒頭でお話しした大きな変化、それは、新たなスタンスで臨んだ小説を、そのスタンスを崩すことなく、無事最後まで書き上げれたということです。
この事実は、『Fungry!』という小説として、確かに僕の中に刻まれました。
おかげで今僕は、久しぶりに小説を書いているのが楽しいんです。
そんな作品だったからこそ、読んでくれた方、スキをくれた方、コメントをくれた方へ、ほんとのほんとに感謝しています。
そしてもう一つ、この『Fungry!』を書き上げたことで、まずは小説一本に絞って成功してやるという、今後の目標も確立することができました。
諦めたわけではありませんが、これで映画は、一旦お休みです。
noteにはこれからも、なでとを中心に小説や詩を投稿していこうと思います。
詩に関しては、今はXにばかり投稿しているのですが、Xに上げている詩も、どこかでひとまとめにしてnoteに上げようと考えています。
生に積極的になると目標を立てておりますが、時にはくじけることもあるかもしれません。
それでも今後とも、霧島はるかの作品を暖かい目で見守っていただけたら幸いです。
追記
現在、直近の新人賞に向けてホラーとサイコスリラーの小説を準備中です。
ホラーの方は、過去に凄惨な儀式を行っていた村×SMという内容、サイコスリラーの方は、喰われる側から喰う側の人間になるという確固たる信念を持った悪女に、一人の女性が人生を滅茶苦茶にされていくという内容です。
どちらも落選したら、noteにあげるつもりです。
また、げろ便ちゃんの登場する『げろ便スレイヤー』も、新人賞に向けて鋭意執筆中です。
こちらはちょっと丁寧に書きすぎて執筆速度遅めですが、いつかは皆さまの目に触れることと思います。
それがnoteになるのか、はたまた書店になるのかは、今後の僕の努力次第ですが…。
こんなクソ長い自分語りにお付き合いいただき、ありがとうございました!
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