自分のキャリアを広げる、とは

今与えられている命を全うしよう。
目の前の問題と向き合い、もがきながらも1日1日を大切に生きることで自分のキャリアが広がっていくんだという話をしたい。
今日伝えたいテーマはここ。



2024年、皆さんはどんな一年のスタートをきっただろうか。
そして、自分自身のこの1年の目標は設定しただろうか。目標はできれば設定した方が良い。
なぜならば、目標があるから振り返りができるからだ。
目標があることでその目標に対しての現状とのギャップにモヤモヤし、そしてそれを解決することで理想の状態に近づいていくことができる。
もし目標がなければ、今モヤモヤしていることを可視化してみよう。モヤモヤの先には理想の何かがあるはずなので可視化してみることで新しい目標設定ができるはずだ。
なんとなく生きる一年と、目標を持って過ごす一年では1分1秒の過ごし方が大きく変わるので1年のスタートを機に自分の在りたい姿を言語化してみてほしい。

そんな話を年末、人材育成の仕事の登壇で話をした。




昨年末に遡る。
イルミネーションで飾られた街並みもクリスマスを終えると一気に年末のムードが漂い、帰省と同時に瞬く間に2024年がスタートした。
新年早々に家族との対話をした後、2024年度のPDCA手帳を購入し目標を定める。これが私の年始のルーティンである。
このnoteについても一旦は今年の3月までの1年と決めていたため、引き続きSAIKAIのことを伝えようと構想を練っていたのだが、1月1日の石川能登半島地震をキッカケに心境が一変した。1月1日、石川能登半島地震が起きたのは14時30分前後だった。
当時、皆さんは何をしていただろうか。大切な人と過ごすお正月、天候も良かったことから身も心もリラックスしていたのではないだろうか。
私は何をしていたかと言うと、午前中、家族と過ごす時間を終えた後は、1年の手帳を購入し早速スタジオに入り、ボイトレをしていた。
私自身が年に数回はLiveをしている為、毎年3月9日に実施している卒業Liveに向けた準備を年始早々に始めるのが毎年の日課となっている。
そんなこんなでいつものルーティンであるスタジオでボイトレをしていた矢先に立ち眩みかな~と思いつつ、それでも時間の経過とともにグラグラと揺れている光景にあの時の光景が蘇った。

そう、それは阪神淡路大震災を経験したあの日の光景。当時5歳の頃に阪神淡路大震災が起こり、震度7の揺れを何度も経験した為、あの時の光景と共にとてつもない吐き気がする感覚に陥った。
そこから間もないうちにニュースも地震の内容ばかり。
いつもと変わらない街並みが地震によって一瞬で崩れ去り、至る所で火事が起き、インフラも間に合わないうちに大切な命が次々と消えていく。そんな光景を5歳の頃に経験した身として新年早々から胸が締め付けられる思いになった。その後、2024年の手帳も購入し年間目標を書く予定だった自分にとって、「目標とは何か」という視点よりも、もっと大前提の「生きるとは何か」という原点から目標を考えさせられるキッカケとなった。創業して間もない時期であること、まだまだ死に物狂いの段階であることを考えると、いかに事業を拡大するか、どのようにして利益を出していくかという視点に集中してしまいがちだが、もし1月1日の地震で命を失っていたならば、果たしてその目標設定の仕方は正しかったのだろうか、人生という視点で振り返った際に、果たしてそこだけの目標設定だけで良かったのだろうかと考えるキッカケになった。その結果、せっかく購入した手帳の目標設定の欄は少しの期間、言語化することに苦労し空白のままだった。


そんなこんなで1月17日がやってきた。
阪神淡路大震災から早29年。
当時は5歳とはいえ色々と分かることも増え記憶も意識もはっきりしていたそんな矢先の経験だったので、今でも鮮明に焼き付いている。震度1の余震ですらあの時の情景が出てくるくらいなのでよっぽどのトラウマなんだと思う。
もしあの時、命を失っていれば今の自分はいない。
キャリアとか、教育とか、就活とか、採用の課題解決とか、人材育成とか、そんな領域に辿り着くこともなく生涯を終えていたわけで。
あの時、震度7の巨大地震によって部屋一面がガラスの破片だらけになった状況下で、父親が必死になってその上に布団を引いて歩ける状態をなんとか作った。必死だった。父親も私もみんな。そうして皆でなんとか逃げだしたあの場あの時あの瞬間から、今日という日までつながってきた命がある。
もしあの時、生きることをあきらめていれば、あの時、目の前の問題と向き合うことなく逃げてしまっていたら命の灯は消え去っていたことになる。そう考えると、今のキャリアがあるのは、あの時、目の前の問題と全力で向き合い、最善を尽くして生き抜いた結果であるとしか言いようがない。
あの時、逆算とか、定量的にとか、定性的にあれこれと考えて行動する余裕なんて、まったくなかった。
全て目の前の問題に今できることを全力で乗り越えてきた。それだけである。本当に、それだけでしかないのである。
そして、その結果が今なのだ。
だからこそ目の前にある事業課題とか、経営課題とか、そんなものに対してもクヨクヨせず愚直に向き合うこと、これのみだと心底思う。

連用日記と向き合い、目標設定シートと向き合う中でここに着地した。
この一連の流れを通じて自分のメタ認知は目の前の問題とどう乗り越えるか、どう目標設定するかという狭い視点から、「そもそも」の原点に立ち返ることでより高い視点で人生を俯瞰することができ、これから起こりうる試練も全て全力で乗り越える覚悟と、弱さも強さも受け入れる覚悟が更に備わった。
そして何より2024年の年末を迎えたときに「健康で生きていること、感謝の気持ちで一年を終えられること」に今年の目標を集約できた。



皆さんはどんな目標設定をしただろうか。
正解はない為、どんな目標があっても良い。
仮にもし、目標が見つからなかったとしても、全力で目の前の問題と、自分の課題と向き合ってみてほしい。
その結果、自分のキャリアは想像以上に開かれていくこと、そして今回の地震を通じて命を失った方々の分まで精一杯生きることに繋がるから。
命の灯が消えていない我々にできることは残された人生を全うすることにほかならない。もしそこに何かしらの使命が見つかればただただそこに向かって生きていくのみだ。




私には使命がある。人生の目的の先にある使命だ。
私もその使命を果たすために、全力で命を全うすることをここに誓う。

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