ロジウラからのいざない
ぼくは、もじもじしていた。
夕飯を食べるといえば、いつもは全国的に名が知れたチェーン店に行くんだけど、この日に限ってはそんな気分にはなれなかった。
挑戦が、したくなった。
気になる店があればすぐにGoogleマップに旗を立てるようにしているが、ふだんは何かにつけて言い訳をして、結局は知っている店か、チェーン店に行ってしまう。
ただ、この日は違った。知らない店に入ってみたい気分だ。じゃあ旗を立てている店に行けばいいのに、なぜ旗すら立てていないこの店が気になったのか。
数日前に、友人である2人と会って話したときに遡る。元ヤンキーのゲンと、元秀才のマイから、おすすめの店があると聞いた。どうやらその店は、目立たないところにひっそりと構えているが、かなりの人気店らしい。表では言えないことを、常連同士で言い合って楽しんでいるとのこと。じゃあ一見さんお断りかというとそうではないようで、優しい店主が迎え入れてくれるらしい。
そのときは軽く聞き流していたのに、なぜか今になって無性に興味が湧いてきたのだ。そして、いてもたってもいられなくなり、その店の前にやってきた。ただ、入る勇気がなくて、もじもじしている。
賑やかな街中から少し離れたところに佇むこの店は、看板すら立っておらず、どこか物寂しそうな雰囲気が醸し出されている。なんの店なのかもわからないし、そもそも営業しているのかどうかもわからない。まず、ぼくがなぜこの店のことを気になり、挑戦したくなっているのかもわからない。何もわからないが、ぼくはいま、怪しい店に入ろうとしている。勇気を出そう。
──からんころん
「……いらっしゃい」
勇気を出して扉を開けると、店主らしい渋い人物が低い声で挨拶をしてくれた。首に何かを巻いているが、何なのかハッキリはわからない。店内は決して広くはないが、小洒落た内装で、野花のようなものや、アンティークな置物も飾られている。客は、常連客のような雰囲気の人が数人いるといったところ。落ち着いた様子で、会話を楽しんでいるようだ。
「……何に、しますか?」
席につくなり、渋い店主が注文を聞いてくれた。そもそも、なんの店なのかもわからない。メニュー表を探すけど、見当たらない。
「えっと、メニュー表ってありますか?」
「……あ、うちには置いていないんです」
ないんかい。なんの店かもわからない一見さん代表のぼくにとって、メニュー表がないのは最大ともいえる問題じゃないか。
「あの、何かおすすめはありますか?」
「……ナンが名物でございます」
ナン? ナンというのは、あのインドカレー屋の定番である、パンみたいなあれのことか? カレーの匂いもしないし、ナンが置いているとは思えないけど。
「えっと、じゃあそのナンでお願いします」
「……かしこまりました」
待つこと、ものの数分。すぐに料理は提供された。
「……お待たせしました」
お皿の上には、ぼくが知っているナンが乗っていた。インドカレー屋であれば、メインのカレーに対して、ナンが置いてある格好のはず。あれは、カレーにライスをつける代わりに、ナンというパンが置いてあるから成り立つ。ただ、これは?
ナンが、ナンの変哲もなしにお皿の上に乗っていた。いや、カレーという主役がいないのだから、ぼくが知っているナンのままでは困る。何かこう、ひと工夫もふた工夫もされている、ぼくが知らないナンを期待していたのだ。しかし、出されたナンは、小さいお皿から身体がはみ出ているだけの、ナンの工夫もないナンだった。いや、食べたら違うのか? 何か特別な味つけがしてあるナンなのだろうか。
「いただきます」
ナンだ。ナンの味もついていない、ナンだ。というか、頭の中で「ナン」と唱えすぎて、もはやナンなのかわからなくなってきている。
「……もはやナンの話かわからなくなっていますね?」
「え」
見透かされた。怖い。もしかして、ナンだけが乗せられているこの料理には、深い意味があるのだろうか。そうだとしたら、ぼくには到底理解できそうにない。
「……あなたには素質があります。わたしから詩を送りましょう」
「え」
詩? 詩って、ぼくが知っているあの詩? 何もかも怖い。見えないながら、自分でも顔が引きつっているのが伝わってきた。
戸惑っていると、その店主という名の怪しい人物から一枚の紙が渡された。そこには、ひとつの絵だけが描かれていた。
え、怖い。やっぱり怖い。なんなんだ、この人。
まあでも、確かに詩っていうのはナンでもいいんだよ。かの有名な草野心平だって、「・」という一文字で『冬眠』というタイトルをつけて詩を出しているのだから。
「えっと、これは?」
店主という肩書を背負った怪しい人物に、恐る恐る聞いてみた。たぶん、自分で考えないといけないのだけど、楽しさよりも怖さのほうが優っていて、とても考えられる状況にない。
「……今までのものを、繋げて唱えてみてください」
「今までのもの? えっと、ナンと、詩ですか?」
「……ナンのお皿、よく見てみてください」
「お皿?」
よく見ると、お皿の上には店内に飾ってある野花と同じ花が1枚だけ飾られていた。
「野花、ですか?」
「……そうです」
「ナン、野花、詩、ですか?」
そう唱えた瞬間、店内にいた全員が一斉にこちらを向き、声を揃えて言った。
「なんのはなしですか」
台本でもあったかのように綺麗に揃った言葉であった。そして、なぜか全員の眼がキラキラしている。さっきまで落ち着いた雰囲気で会話を楽しんでいた連中とは思えないほど、眼が輝いている。
「ようこそ、ロジウラへ」
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