家族のこと『祖母』:95/100
祖母は90歳だ。
若い頃に夫を亡くして、女手ひとつで息子(僕の父)と娘を育ててきた人だ。
若い頃というのは、僕の父が小5くらいだから、祖母が30歳くらいの時だったのかな。
それから、めちゃくちゃ働いてきたらしい。
田んぼや畑の農家だったが、農業だけでなく、いくつも掛け持ちで。
そんな働き者だったから、村で「700日(しっちゃくにち)」とあだ名をつけられていたと。意味は1年を700日のように働いているからだって。
そんな祖母に仕事のことを聞いてみたことがある。
家の裏にあるゴルフ場でキャディーをやっていたのだけど
キャディーの仕事が終わってから走って山を降りて、
早く家の農家の仕事をしたくて帰っていたと話していたのが印象に残っている。
やりたいで仕事をしていた感覚が、当時うまく理解できなかった気がする。
キャディーの仕事も詳しく聞いたことがあるけど、
キャディーってどういう仕事?って聞いたら、
そんな風に働いていたからか、キャディー時代のお客さんに外で会うといつも祖母にまた会いたいとか、お世話になったみたいなことを言われると両親がよく言っていた。
そして、雪が降ってキャディーができない冬の時期は、土建業、内装業、造園業などその年によって様々な職種のアルバイトを探してやっていたらしい。
造園業のバイトで習った技術で、庭の雪吊りをしたり、近所に教えたり、
内装業のバイトで習った技術で、農家で必要な小屋を作ったり、
土建業のバイトで習った技術で、田んぼのあぜ道を自分でコンクリートで作ったり。
今でこそ田んぼと田んぼの間はコンクリートになっているけど、40年ほど前は、土を固めて作ってあるのがほとんどで、それをバイトで習った技術でばあちゃん一人で作り上げていたとか、聞いていてほんとにすごいと思った。
キャディーをして出会った漁師からも網をもらって、それを畑や田んぼの仕事に使っていたという話も両親から聞いたこともある。
最後に
と話す祖母。
こんな風に思い出すと、僕がしたい仕事の姿勢がすごくあらわれている感じがする。
女手ひとつで子育てをしなきゃいけなかったから、そう思わないとやってられない部分もあったのだと思うけど、やりたいで仕事をやる姿勢。
工夫して楽しむ姿勢。お客さんを喜ばせる姿勢。どれもいいなぁと思う。
けど、もう一つ思い出すと、これだけ仕事でも頑張ってきたから、
家でも、少しでも散らかってると片付けをしたり、いつも厳しかった覚えがある。
辛さや弱さをあまり聞いた覚えがない。
絶対に大変だったのに、大変さを出していなかったのだ。
僕が実家を出て、実家に電話をして、祖母が出ると、いつも僕の声を聞くだけで、電話してくれてありがとうと、泣いていた。
今考えると、すごく涙もろいし、感性豊かな人だったのだと思う。
すごく頑張って生きてきたのだと思う。
おばあちゃんが頑張ってくれたから、父がいるし、僕がいる。
本当にありがとうね。
施設に入っていて、なかなか今の時期は会えなくて会えていないけど、
また話したいな。
祖母について、仕事のこと、いろんなことを思い出して、最後は泣けてしまいました。
お読みいただき、ありがとうございます。
ではまたー
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