仕事のこと『病院時代:ぐち期』(noteでおしゃべり)96/100
新卒で入った東京にある精神科病院は、希望した病院だった。
大学の附属の病院がいくつかあり、その中で一番やりたい分野の病院だった。
「やりたい」と言ったが、他の病院が苦手だったり、興味がない分野だったから、消去法でもあった。
消去法でもあり、その病院に決めた理由は、大学の時のゼミの先生が良いと言っていた病院だったから、その先生が言うなら、そこにしよう。
というものだった。
そして、いざ入ってみると、
働き始めて2日目にして、『なんてイケテナイ病院だ!』と思って、辞めたくなった。
全然、大学で学んだようなことが実践されていない病院で、こんなひどいケアを患者さんに提供するなんて、スタッフがやる気がなさすぎる!
と思ったのだ。
新人2日目にして、なんと傲慢なのだろう。
勉強をたくさんした3年後くらいに、実はめっちゃすごい病院で、僕がダメだと思っていた先輩スタッフはめっちゃすごかったと気づくことになる。
つまり、何もわかっていないのに、批判ばっかりしている、頭でっかちで、愚痴ばっかり言っているような新人だったのだ。
けど、病院のスタッフには言えず、心に秘めていた。
そして、大学のゼミの先生が、筑波大学に異動していたので、わざわざ月に何度か筑波まで2時間以上かけて、先生に話を聞いてもらいにいっていた。
もう一人お世話になった先生が信州大学に異動していたので、長野まで行って話を聞いてもらったりもしていた。
すぐに病院を辞めて、大学院に行こうと思ったが、英語が苦手で、大学院の試験に受かる気がしなかったので、受けようとすらせず
愚痴ばかり言っていた時期だった。
愚痴を先生に聞いてもらい、どうやったらみんなが変わるか、そんな相談をしていた。
そこで先生は、人を変えるのではなく、自分が何をするかだよとは言わなかったが
僕が仕事をしながら、研究発表をやる方向に進めてくれて、1年目から学会で発表をすることや、その後も、病院内で研究をする支援を熱心にしてくれていた。
僕の愚痴や、人の批判をばかりなのを、否定せずにしっかり聞いてくれて、受け止めてくれて、消化した後に、どうその場所でより良く働いていくかのためのサポートを先生はしてくれていたのだ。
当時は気づかなかったが、今なら分かる気がする。
そして、当時の職場の先輩たちも、僕の対応が難しいと感じていたことを後に知ることになるが、それを見せずにサポートしてくれていたのだ。
こんな傲慢で、甘い新人だった僕を、受け止めてくれて、信じてくれて、良い方向に進めるようにそっとサポートをしてくれて、ありがとうございます。
振り返ると、助けてもらってばかりだ。
ついつい、自分の力で頑張ってきた、のように勘違いすることがあるから気をつけないとな。
という、愚痴や人の批判ばっかりしていた新人時代を振り返ってみました。
次回は、愚痴から、回避、現実逃避に走るステージに移ります。
最後までお読みいただきありがとうございます。
ではまたー
自分自身のことを大切にするために、仕事のこと、家庭のこと、
何でも話してください。
坂本(SAKAMO)に話してみたいと思ってくださる方は、こちらよりご連絡ください↓↓
noteの感想いただけると嬉しいです↑↑
※オンラインで体験セッションを行っています。(平日9:00-17:00)
体験セッションの詳細はこちら↓↓
https://medi-becs.com/セッション/