イライラ2

自分のイライラは相手を助ける大切なサイン

精神科で働いている時、自分の感情をどうやって対話に活用していたかを書いていこうと思います。

精神科の患者さんと関わっていると、
すごくイライラしたり、悲しくなったり、モヤモヤしたり、いろんなネガティブな感情を感じることは少なくありません。

実際に現場で働いている医療者や、実習に来ている学生、そして家族に、詳しく話を聞いていくと、

「実はそうなんです。イライラしたりすることが実はあります。親だから我慢しなきゃいけないと思って頑張っています。」

とか

「自分は看護師だから患者さんにイライラしたりしちゃいけない。と思って毎日我慢しながら頑張っています。」

とか

「自分のコミュニケーション力が悪かったから患者さんを刺激して怒らせてしまったんだと思います。自分が悪いんです。」

のように、

心のどこかでイライラしたり、悲しくなったり、自分を責めてしまうことがあるようです。


僕は、今でも患者さんと接していると、感情が揺れることがよくあります。

そして、僕が精神科で働いて1年目の頃は、

「患者さんに対してイライラしたりするのは自分が看護師として未熟だからそう感じてしまうんじゃないか」

そう確信して思っていました。


けど、

そのイライラしたり、苛立ったり、

それらの不快な感情を感じるのは決していけないことではない。

ましてや未熟だからその感情を感じないようにした方がよいなんてことはない。

ということに、働いて数年後に気づきました。


気づいたことを少し詳しく書いていきます。


精神科の現場にいると、

うつ病、統合失調症、不安障害、身体化障害など、どんな患者さんの場合でも不安や疼痛などの訴えのためナースコールが多くて

「今はちょっと難しい、もうちょっと待ってほしい」

そんな風に思い、イライラすると感じることが日常的に起きます。


そして、その不快な感情が持続して、

患者さんへの陰性感情が強まってしまい、

患者さんのところに行くのが嫌になってしまったりすることもよく起こるんです。


けど、一方で、

治療が進んで、患者さんの訴えが減少してくると

「なんか最近症状がよくなってきたんじゃない。」

というような会話が聞かれたりします。


ここで注目すべきなのは、

イライラさせるような言動が減少すると症状が改善してきたのではないかとアセスメント(評価や判断)しているということです。


患者さんの状態が悪いときに起こす言動

・うつ病の患者さんの自責的な発言
・境界性パーソナリティー障害の患者さんのスタッフを試すような言動
・統合失調症の患者さんの幻覚や妄想
・強迫性障害の患者さんの確認行為
・一般科の患者さんの疼痛などの身体症状

などなど、いろいろな状況で様々なパターンがあると思いますが、


その患者さんの症状の訴えや言動にイライラを感じるのは

患者さんの言動を受けた瞬間に自分の頭の中で、

それまでの過去の経験と照らし合わせて、その言動や表情、仕草それらが自分の経験の中において了解可能なことだろうか?
その患者さんの正常な状態に対してその言動は適切か否か?

などを思考して、

その結果、不快を感じる経験に合致して、イライラなどの不快な感情を感じます。


すなわちアセスメント(評価、判断)をした結果、不快な感情を引き起こしているということです。


こちらに不快な感情を引き起こす患者さんの言動というのは、

患者さんの状態が悪い証拠、苦しんでいる証拠と言えるわけです。


そして、自分たちが不快な感情を感じるということは、

それまでに、その患者さんが生活していた社会においても、その言動はまわりに不快な感情を抱かせていた可能性が高いということでもあります。


先にも書きましたが、その言動が減少すると症状が改善したとアセスメント(評価、判断)できるということは

すなわち、「こちらに不快な感情を抱かせるような言動」は病状の指標にもなるということです。

だからこそ自分たちが感じるイライラなどの不快な感情は、

患者さんの苦しみの現れである言動によって引き起こされているので、

その患者さんの苦しさに気づくためには見逃してはいけない感情と言えるわけです。

だから、僕は、この図のように

患者さんと接している時に、自分の感情が揺れるのは、

患者さんが出している苦しさのサインのようなものだと捉えて関わっていました。


・患者さんは、なぜそのような言動をするんだろう?
・どう考えてその言動に至ったんだろう?
・どんな風に生まれて育って、生育歴が関係しているのかもしれないぞ?
・考え方の傾向があるのかもしれないぞ?
・薬剤の副作用なのかもしれないぞ?
・身体的な異常なのかもしれないぞ?

そうやって、その不快な感情を糸口にして、患者さんをより深く掘り下げ、理解したい。

そして、

・その言動を変容する原因へのアプローチはどんな方法があるだろう?
・薬物療法が効くかもしれないぞ?
・精神療法などのカウンセリングが効くかもしれないぞ?

そんな風に

感情が揺れて、その感情に占められて、苦しくなったり、患者さんを攻撃してしまったり、避けてしまったりするだけではなく、

自分の感情を糸口にして、より治療的に考えていきたい。

「自分の不快な感情」は患者さんの改善に向かうための「道しるべ」にしていこう。

そんな風に関わっていました。


医療者だから、患者さんの言動を不快に感じず、すべてを受け入れることができたならば、

それは患者さんの苦しんだり困ったりしているサインに気づくことができないことにつながる可能性があると思うからです。


もし、一般的な社会においてその言動が受け入れられないものであるならば、

その言動が病院に入院したことで受け入れられてしまえば、

社会とより解離してしまい、その言動が持続し、社会との適応が難しい状態を持続することにつながるかもしれないからです。


不快な感情を感じるに至った自分の経験が一般的なものと一致しているかはスタッフ同士で検討すべきなので、

自分が生じた不快な感情を病棟のスタッフみんなと共有することを意識しながら行っていました。

「さっき、患者さんのところに行ったら、いきなり坂本さんとは話したくありませんって言われて、なんだかショックだったんだよね。」

とか

「お昼に調子どうですか?って患者さんに質問したら、さっきあの看護師に言ったから同じこと聞くなよって大声出されて、びっくりしてしまったんですよ。」

とか

「話しかけたのに、無視されて、ちょっとイラっとしてしまったんですよね。」

など、いろんな感情の共有をスタッフと意識的にしていました。

もちろんそうしていると、それは「確かにひどいね」とか「それは辛いね」という風に、一般的に考えてもそうだろうという時と、

「坂本さんくらいの声だと聞こえなかったんだと思うよ」のように、自分が勝手に凹んでいるだけの時もあるわけです。

そういう自分のズレに気づくためにも共有が大事だと思ってやっていました。


患者さんに接した時に抱く不快な感情をなかった事にせず、

けれども、その感情が絶対に正しいと思うわけでもなく、

丁寧に感情を見ていくことが、自分の為にもなり、患者さんの為にもなる。

不快な感情を察知できるのは、大切な感性であると捉えるようにしていました。


自分が未熟だと責めるだけでなく、その感情が意味するところを考えていくことが大切だなと気づいたお話を書いてみました。



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SAKAMO | 坂本岳之
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