頭の中に荷物が届きました
いったい、何をしているんだろう、私は。と全開の記事のことを思い出して頭を抱えてしまった(心の中で)。なにしてるんだろう、ほんとに。でもまあ、じつは山場を乗り越えた気持ちでいっぱいだ、これが。驚くくらい気が楽だ。
通販って、実はあの注文が完了してしまうまでが正念場で、あとはもうなるようにしかならないのかもしれない。宅配便屋さんが来たときに家にいなくて受け取れなかったらどうしよう。再配達の予約面倒だなあ。再配達でもなにかの都合で受け取れなかったらツラいなあ。なんていう余計すぎる心配も意外なほど今はないし、あとは玄関のチャイムの音に耳を澄まして、ただ待つしかない。基本的に人を招くより出向く方が圧倒的に好きなので待つのに不慣れだし得意ではないし、でもやるしかないのだから。
ああ、あとアレもあった。ゴミ問題。梱包材などのゴミが出るのが嫌だと思っていた。個人情報を剥がして、分別してまとめるの面倒だなって。でも、それもやるしかないのだ。
結局、なんなのだろう。やりたくない言い訳を並べて、とにかくそれをやらなくて済むように言い聞かせていた。ただそれだけだったのかな。
ただ「やらなくてもいいこと」と「やらなければいけないこと」という線引きが自分の中にはっきりとあって、できることならやらなくていいものの為に使うエネルギーは最小限にしたい。そして最大限に効率よく使いたい。そう思っている。
例えば、私は一本でも早い電車に乗るために走ることがよくある。でも一本早い電車に乗る理由は、急いでいるからとかじゃなくて、早く着いて気持ちを楽にしたいから。電車を待っている間にどこかの駅で人身事故が起きたらどうしよう。何かの理由で電車が遅れてしまったら。乗ってからも遅延するかもしれない。いろんな不安があって、とにかく電車に乗ってしまいたい。あとは早く着いたらベンチで休めば良いのだ。だから、とにかく電車にさっさと乗っていろんな不安をなくしてしまいたい。たぶん、そう思っている。
ただ生きているだけなのに不安でいっぱいで、その不安をどう減らしていくかに頭を使っている。自分のことなのにわけがわからない。大変そうだとも思ってしまう。できることならもっと適当に暮らしたいのにな。