魂はお墓に眠っているという話
思い出したんで書く。
魂はお墓に眠っている。
かつて千の風に乗った秋川雅史はお墓の前で泣く相手に「そこに私はいません」と言った。
すかさず僕は「いやおるやん。超絶高速なそのレスポンス。お前そこにおるやん」と子供ながらに突っ込んだ記憶も新しいのですが
魂はお墓に眠っている。
皆さんは魂はどこにいると思われますか?
皆さんの心の中?
それとも満点の星空に輝く星のひとつ?
向かいのホーム?路地裏の窓?そんなとこにいるはずもないのに
僕は知っているんですよ。魂はどこにいるのか―――――
まだ暑さも残る平成11年頃の秋。
自宅で飼っていたハムスターが亡くなった。
当時「ハムスターを飼ってみたい」なんて口にした私のちょっとした願いを聞き入れた母親が1匹のハムスターを買ってくれた。
ジャンガリアンの「ハム太」。単純に当時はやっていたハム太郎からネーミングを取ったっぽく思えるが、関連はなくただ単に昔から持ち合わせた私のネームングセンスの賜物にて名付けられたハム太はそれこそ最初は可愛がられたが、のちの「夜中の滑車がうるさい」「噛まれると痛い」などの理由もありだんだん事務化してきたエサやりと水やり以外は一切の接点が無くなり、ただの置き物として空間にありだけの存在になっていってしまった。
当の本人である私も「噛まれるのが怖い」といった感情や「友達と遊ぶ事」に夢中になっており、自分の日常の中でのハム太の存在感も徐々に薄れていってしまっていた。
そんな中、ハム太は死んでしまった。
死んでしまった当日の朝、その最後の姿を私は見ていた。特段元気といった様子はなかったが、いつものようにカラカラとうるさい音を立て滑車にいそしむハム太を見て私は学校に向かった。いつもと変わらぬ光景だった。
そして帰宅した夕方。ハム太は死んでしまった。
まだ暑さの残る秋だった。突然日常が日常でなくなってしまった。死因は定かではないが、もしかしたらこの暑さにやられてしまい体力が尽きてしまったのかもしれない。
幸いにも当時住んでいたアパートは角部屋で、隣の敷地との境に狭い土の道があった為、そこにハム太を埋めてあげることにした。埋めたのは「あんたが責任もってやりなさい」と親に諭された私だった。
私の軽い気持ちでウチに連れ込み、そして軽い気持ちで過ごした日常の中で命を落とさせてしまった。ならばどこに行くのかはわからないが、送り帰すのも勿論私の責務だ。子供ながらにその任の重さを感じ、子供ながらにも決して軽くはない涙を流しながら、私はその小さな体が入る程度の小さな穴を掘り、そこにハム太を埋めてあげた。「ほんとにごめんね」と初めて命の尊さに対して謝ったのもこの時だった。小雨がぱらつく午後8時、私は空を仰ぎ見えもしない星に対し祈りを捧げた。
それから数年が経ったころ、
私はハム太の事などすっかり忘れてしまっていた。
友達との遊びにふけては家でゲーム。何かの感情が入る隙間の無い日常を過ごし、何の変哲もない一日を過ごしていたある日の夜。
私は毎日気になる現象に苛まれていた。
それは決まって夜中、時刻は午前1時ころだろうか。
部屋の壁を「カリカリカリカリ…」と出処のわからない異音がするようになった。
初日こそ、何も気にすることは無かったのだが同じ異音が毎夜毎夜するようになってからはすっかり気になるようになってしまい、翌朝親に「なんか夜変な音がするんだよね」と打ち明けた。
それこそ親も全く取り合ってくれなかったが、ある日の夜。またしてもその異音がなり、さすがに恐怖で親を起こした。
「ねぇねぇ、またあの音がする」
「なんだようるさいな」
寝起きの悪さはピカイチなウチの親だったが、あまりにもしつこく私が言うのと事前に話していたのもありしぶしぶ起きた親がその異音を認識してからは事態は早かった。
異音はさらに激しさを増したのである。
「カリカリカリカリ」「カリカリカリカリ」「カリカリカリカリ」「カリカリカリカリ」「カリカリカリカリ」「カリカリカリカリ」
私は初めて、この普通じゃない現象に恐怖を覚えた。無論、この場面に遭遇した親も同じ心境だったのだろう。普通じゃない何かが起こっているのが肌で感じられた。
しかしこの状況になって、初めてこの音の正体に頭が感づき始めた。
「・・・この音って・・・」
なんとなく。ホントになんとなくだったが、
何故だか「小動物等が壁に対して何かをしている」ような漠然とした想像が急に頭に浮かんだ。頭が素早く動く事の無い時間帯だが、それでも私の矮小なる頭は次の想像へと繋いでいった。
「もしかしてだけど・・・ハム太・・・?」
部屋においてあった観葉植物が激しく揺れた。
勝手に揺れることなんて地震でもなきゃできないはずなのに、その観葉植物は信じられないくらい小刻みに揺れ始めた。普通じゃない。普通じゃない出来事が目の前で繰り広げられていた。
でも不思議と、もう恐怖は感じなくなっていた。なんせ、正体不明のこの異音の正体はもうハム太だと理解してしまったからであろう。私はこの音をハム太がならすとして、なんのためにハム太はこんな事をしているのかを考える事ができた。そして答えは、秒針が一周するよりも早く私の頭に導かれた――――
私も兄弟もみんな大きくなり、乗っていた自転車のサイズは一人前のサイズに代わっていった。それに伴い駐車スペースが手狭になったり前に使っていた自転車の置き場だったりの問題で、それらをあろうことか「ハム太が埋まっている地面」の上に置いてしまっていたのだ。
時が経ち、ハム太の存在など忘れた私含め我が家族。その結果、ハム太の眠っているであろう墓の上に自転車などを置いてしまい、苦しかったんだろうと推測した私はすぐさまそれらのものをその場からどかしそこに眠っていたであろうハム太に対して「またしてもこんな目に合わせてごめんね」と二度目の謝罪をおこなった。
その日の翌日から異音はなくなり、それらの出来事は嘘だったかのように平穏な日々が流れていった。
ただその出来事から僕は「ハム太はずっとその場所に眠っていたんだ」という事実を思い知った。魂はなくならない。ずっとその場所にいる。
千の風になんてのっていかない。
魂はずっと、その場所で眠っている。だから忘れてはならない。
魂はずっと、あなたを見ているのだ
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