2030年の家族について書かなければならないんだけど簡単には書けないよね家族の事って。ストンと納得いくようなカッチリした結論はないんじゃない?
こんにちは。
最近はVRで最もタフなゲームと言われているthrill of the fightにはまってから格闘技熱が再燃してきました。このゲームはボクシングのゲームで体がコントローラーになので実際のボクシングテクニックが生きてきます。そのため最近はボクシング系youtuberの動画を見て勉強しています。面白い時代になりました。
結論
さて本題です。「2030の家族のかたち」について書いてみましょう。
まず言いたい事はたかだか10年そこいらで世界的な家族論がドラスティックに変わるわけがないという事です。ごく一部の先鋭化した所は変わるでしょうが全体的な変化は間違いなく無いようなものでしょう。そこまでふまえて何か語ってみましょう。そういう企画ですからね。
ゲームでギルドに入った時の話
昔UO(Ultima Online)というゲームにはまっていたのを思い出しました。雰囲気はこんな感じです。StonesはUOの中で最も名曲なので一度聞いてみてください。
このゲームはソードアートオンラインの九里史生さんも影響を受けたと言っていました。スキル値の割り振りでキャラクターに個性が出るデザインはUOそのものです。私が最初に所属したギルドは途中からPvEからPvPに路線変更したので最終的には別のギルドに所属しました。一つ目のギルドでは随分と冒険もしたしゲームシステムの初歩的な事も教わりましたが、したくないPvPはストレスでしかなかったので振り返ると情に流されてずるずるやるのは良くなかった。
二つ目のギルドでようやく心地よくゲームが出来たのはギルドメンバーはPvEが好きで冒険が好きという共通認識があったからだと思います。そういう共通認識が集団を結束させてより親密な関係にするんだと思います。親密になるには共通認識が多ければ多いほど思いが強ければ強いほど深い繋がりになる気がします。
家族と仲が良い集団の違いってなんだろうか
家族は法律に基づいて家族関係になります。つまり法律が家族を定義づけしている。夫婦なら婚姻届を提出した日からです。子供が生まれれば出生届を提出した日です。
夫婦は家族になりましたが元は他人同士。分かれる時も有るし親子ですら仲違いする事が有る。そういう関係が繋がり続けるのは何年もの時間をかけて生じた情だったり共有認識が重層的に絡み合っているからだと思います。ある面では法律上の関係ですごく強いけども法律以外の繋がりで切れてしまうのが家族というもに。
今の日本の法律だと同性婚も近親婚(いとこ婚はOK)も出来なかったと思うけど事実婚は出来る。海外だと同性婚は出来る所があったと思うけど近親婚ちょっと思いつかない。近親婚は世界的にハードルが高い。事実婚はもちろん法的には婚姻ではないからどちらかしか親権をもてなかったり相続の問題があったり配偶者控除に含まれなかったり色々とデメリットがある。「それでも私たちは家族なんだ」という思いを、憲法の幸福追求権に基づいて保障するのはある程度の納得を得られる理屈ではあると思う。しかしこの話を突き詰めていくと「婚姻届がそもそも必要かどうか」という話に行き着くのでこの辺りにしたいと思います。ただしこの世界のどこかで2人の人間が幸せな結婚を出来ない理由として法律が対応できていない事実がある事を覚えておいてください。
労働との関わりについて
さて、2030年の家族かたちですが労働への関わりがどの程度変化するか?というのも一つのキーポイントです。仕事は生きる上で大きな割合を占める事だからです。コロナウイルスの影響でテレワークが注目されていますがテレワークが絶対無理な仕事も世の中にはあります。物作りや現場仕事のような”モノ”と関わりが深い職種で有るほどテレワークの道は遠いです。ドローンやロボットの発達で人間の代替作業はどんどん出来る様になっていくと思います。しかし人間は非常に優れたセンサーと汎用性をもっている為、導入に関しては効率や人件費を見ながらになっていくでしょう。人間が優秀過ぎてロボットの発達を阻害しているという一面を自覚的に認識しておかないと目先の言葉に踊らされてしまう可能性がある。個人の性質(勤勉さ、多様なスキル、人脈など)をそのまま機械化したりすることは出来ないので機械やAIは得意な処理を任せるのが第一歩になるかと思います。仕事のやり方・進め方はロボットやAIに合わせて変える必要があるでしょう。それが仕事の精度を高めていきます。それを作り上げる人達が今後の時代を作り上げるでしょう。
SNSの付き合い方について
SNSが様々な縁をつなげてくれるでしょう。そこで友人を見つけるかもしれませんし、恋人を見つけるかもしれませんし、運命の人に出会えるかもしれません。昔は文字のみのチャットルームで長い時間をかけて恋人同士になってたりした訳ですからSNSだともっと簡単に人と繋がれるわけですよ。ただし簡単に繋がれてしまうから雑音も多い。だからSNSは情報の精度を上げていく事が大事です。欲しい情報をくれる人、専門家、情報通を見る目が必要です。見たくない物と見たいものの切り分けが大事。ちょうど名越康文さんが動画を上げていたのでシェアします。
家族の形 About 2030
法律に縛られていない人間関係で、それこそ事実婚の様な関係性にスポットライトがあたってより多くの人が幸せになれる様になるでしょう。人が幸福を追求するためAIとロボットを作る必要があります。私の様に何も作れない人はよく学んで何が正しいかよく見ておく必要がある。人々が幸せになれる時に、私が個人的に注目しているVtuberやVRの技術が使われていたらそれはとても素敵な事だなって思う。
先日金スマで"志村けん"さんが"いかりや長介"さんの事を「家族みたいなもの」って言っていたんですよね。それを見て縁が深まれば仕事仲間でも家族みたいな間柄になれるんだなと改めて認識しました。でもそれは言ってしまえば昭和の話。未来の家族の形はどうなるだろうか。チャット全盛期の頃からネット上での恋人というのはあった。ただし1対1の関係性で完結する事が多く家族の様に集団として親密な関係になることはあまりない。対等な関係だから1対1の関係になる。家族になるにはある面で対等ではない"属性"が必要です。人は人と対等であろうと対等な人だと尊重するからコミュニティとかサロンのような組織化がされるのだと思う。相手を尊重し相手に敬意しめすため自然と家族のような集団を形成するには至らない。
これからは時代が進み先鋭的な場所から先祖返りがおこると勝手に推測しています。インディアンの格言と古代中国の詩人の言葉を紹介しよう。「ひとりの子供を育てるには村中の努力が必要だ」「私と共に歩け、私たちは一つなのだから」。4世紀の詩人、陶淵明は「地に落ちて兄弟と為る(地上に生れ落ちて兄弟になったという意味)」という言葉を残している。私は家族は集団化するという意見です。核家族化が進んでそろそろ反動が来てもおかしくはない、と私は思う。30人ぐらいの家族になっても全然不思議ではない。そしてその集団をまとめるのにAIやロボットが使われてしかも集団が将来的に継続される鍵になるのがAIやロボットでしょう。そのころには父親や母親が亡くなっても共通認識はAIがつくる時代になっている。だから崩壊しないままどんどん大きくなるはず。2100年頃は核家族どころか拡大家族がメインストリームになって行きますよ。ただし家族というより共同体認識の方が強い感覚。未来の男女は概ね平等で役割も共有されているがただ単純に年齢と性差によって区別がある時代が来る。つまり旧石器時代のような社会になっていくと推測しています。時代は繰り返します。
家族、家族、と家族の事ばかり語りましたが最後に本当の結論
ここまで家族の事ばかり語ってきましたが個人にとっては別に家族なんて無理して作らなくていいんですよ!大切なのは何が自分の心を豊かにするか知っていて、何と自分が繋がっているか知っている事ですよ。ゲームハマっていて心から楽しんでいるならゲームしたらいい。旅行好きなら北でも南でも東でも西でも行ったらいい。酒が好きならどんどん飲めばいい。忘れてしまった人が多くいると思いますが日本には幸福追求権があるんですよ。だから幸福になる権利があるんだから追及したらいい。私は日本庭園が好きです。旅行する時は必ず行くし、行けない時は日本庭園の本を読んでいる。求めるモノとの繋がり方は色々ある。どんな時でも選択肢が有る事を忘れなければ必ず何かと繋がる。幸せは必ずしも家族を作る事だけじゃないし家族以外だけでもない。ただし多くの場合何かと繋がった方が幸せになれる。それが人と繋がるか、人が作った物と繋がるか、何かの概念と繋がるか、自分の作った何かと心が繋がりを感じるか、繋がり方は人それぞれ。人は自由に幸福を追求できるんだから、そうしたらいい。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
文/ねんりきそうすいーさじん @nenrikisousui