ラジオ体操の歌
ラジオ体操の歌をご存じだろうか。
新しい朝が来た 希望の朝だ
喜びに胸を開け 大空仰げ
ラジオの声に 健やかな胸を
この香る風に抱けよ
それ 1 2 3
そう、それ。
私は、子どもの頃から何故かこの歌が好きだ。
朝は苦手だし、ラジオ体操なんて半分も行かなかったのに何故かこの歌が好きで、40歳を目前に控えた今でも不意にこの歌を口ずさむことがある。ちなみに子どもはいないので子どもと歌う場面はない。ひたすら一人で歌うのだ。
何にそんなに心惹かれるのか。
何故かと言っているわりに、実は理由はわかっている。
『希望の朝だ』
この歌詞がひたすら好きなのだ。
希望の朝。光に満ち溢れ、なにかが始まりそうなわくわく感。
今日一日、きっといいことが待っている。その幕開け。
現実には色々とあって、もちろん起きたくない朝もある。そしてそんな憂鬱な朝にはこの歌は歌わないどころか、脳裏を掠りもしない。気分が良いとき限定。それでもこの歌が好きで、この歌詞が好きで、この歌詞を書いた人は天才だと思うほど、この歌が好きだ。
そもそも大人になってから希望という言葉を使ったことがあっただろうか。第一希望とか、希望的観測とか、こちらの希望としては、なんておよそこの歌詞のようなキラキラとした空気は纏っていない、とても事務的な使い方くらいだろう。どちらかというとこちらの言い分を通したいような時に相手にやんわりと伝えるような時に使うこずるい使い方だ。
この歌詞のようなキラキラと眩しくなるような希望を思い浮かべたことはここ最近の記憶では無いに等しい。
大人になるにつれ、頭で考えなければいけないようなことが色々と増え、気付いたらキラキラとしていたはずのものは錆び、ガラクタのように隅っこに追いやられてしまっていた気がする。なにもかにも忙しさのせいにして、心から笑ったり、夢や希望に胸膨らませたり、そういう眩しいものを遠ざけていたんだろうか。
そんな私の心の悲鳴がラジオ体操の歌を忘れないようにしていたんだろうか。
新しい朝は希望だよ。
いつでもそう教えてくれるこの歌が、私はやっぱりたまらなく好きだ。