2021✴年明けの中動態✴
🎍明けましておめでとうございます🎍
道術家の私、二月の新月が年の幕開けです。旧暦正月。とはいえ、世の動きに合う柔軟性があってもよいかなと思います。
大晦日はnoteへ戻り、皆さまからスキやコメントを頂きました。ありがとうございます🙇また書こうかなという気も湧きました。
🌸 🌸 🌸
昨日の話、実話でありつつ、少しばかり変えてあるのです。エッセイではございません。
それなら小説でしょうか📚
うーん。どうも私、妙な拘りがありまして。
毎日のように、小説や文芸評論と接しております。入試に出るからです。小学生から浪人生までとやり取りする中、自信を持って指導できなければとは思います。
けれども、表の顔と違って心の底、小説って何、みたいな疑問はいつも響いてる。そこで私の作品はナラティブと名付けました。
小説はこうあるべき。沢山読んで書いた既得権益のある人が賢しげに語る。そんなルールに縛られたくない。自由でいいじゃん💖
🔮 🔮 🔮
昨日書いたナラティブ。実話だと季節は夏でした。下書きを読んで下さる方が「けど、今は冬やからね」とおっしゃるわけです。
『なら、情景描写で雰囲気を作るか』
「冬の花と言えば、椿かサザンカやな」
『どっちが浸れるだろうね』
「見分け方、知っとる❔」
あ。こんなやり取り、面白いかも。ふと浮かびます。人生の一コマを再構成。ナラティブの立ち上がるプロセス。愉快な仲間と。疑似家族で。空想が膨らみます。
少年時代からやり直す。もしもの世界。教育の自由な姿。パラレルワールド。テレワークとベイシックインカム社会。古代ギリシアのように文化の華咲く。かつて奴隷制が基盤。今やAIとロボット💻
場所はnoteシティ。そう。この空間がいい。アバターの交流スモールコミュニティ。コメント下さる方でフジミドリ村。書けそう🌿
🌈 🌈 🌈
「結局のところ、寒椿にしたんやね」
『うん。サザンカと迷ったけどさ』
「あったな。サザンカサザンカ咲いた道🎶」
『焚き火だ焚き火だ落ち葉焚き🎵』
前を歩く二人が、息を切らせながら、話で盛り上がった。ボクは、少し後から坂道を登っていく。でもなぁ。マスク越しで、はぁはぁしながら歌わなくてもいいのにと思うよ。
『落ち葉焚きってさ、抱いてどうするって思ったのよ』「落ち葉抱くな」『子供心にさ』「まあなぁ、わたしもウサギ追いしって食べるんか思うたわ」『ウサギ美味し、ね』
二人のお喋りが加速した。こうなるともう、誰にも止められない。放っておく。いつもの公園散歩を淡々とこなすだけだ。
『赤い靴、履いてた~女の子~ってあるじゃん。吐いたのかって』「アホか。靴吐くな。異人さんに連れられてや」『そうあれがひい爺さんって聞こえてさ』「生きとるんかよ」『だからてっきり逝っちゃったんだって』
一体なんの話かわからない。でも、弟子入りしてから三カ月、話させておけばいいってわかってきた。愉快に話していれば、この二人はご機嫌なのだ。
「小さい秋見つけたってあるやん。あれな。足に聞こえる」『小さい足見つけた。バラバラ殺人かよ』「怖いで」『わお』
「せや。ミツヒロくんは知っとるか」
「バラバラ殺人ですか。知りません」
『あはは~そっち。ミツくん、文科省唱歌とか知らないんだ。やれやれ。ホント義務教育ってなくなっちまったんだな😲』
「せやねぇ。十三歳いうたら、わたしら中学一年生やったな。遙か昔のことみたいや」
かつて義務教育のシステムがあった。十五歳まで、誰もが同じ学校へ行く。同じ先生から同じことを学ぶ。同じテストを受けて、成績までついた。退屈なシステムだ。
「そうかぁ明治は遠くなりにけりやな」
『おい。今、令和だろ。明治って』
「なんとなく浮かんだフレーズやねん」
『わお。なんていい加減なんだ』
「あんたに言われとうないわ(;¬_¬)」
『スビバセン(^0^;)』
これは師匠の口癖である。
スビバセン。師匠はnoteシティで【在り方革命】三部作を書いた人の後継者なのだ。ボクは、師匠と揺さんが作るブログを読んで弟子入りした。師は自分で選ぶ時代だから。
「ふん。それは謝ったうちに入らんで。フジさん、スビバセン言うたらええ思うとるんやろ。口先だけやねん。心から謝っとらん」
『ギクッ。テヘ。バレテーラ(゜o゜;)』
「心からの謝罪言うたら中動態やな」
『何ソレ。スイーツかなんか❓』
揺さんの説明は、坂がキツくなるにつれて、途切れ途切れになるのだった。後少しで登り切る。毎日の散歩コースである。食後30分がカロリー消費には効果的らしい。
🌿 🌿 🌿
「でな。さっきの続きなんやけど。今どきの言語は能動態と受動態が対立しとるんやて。ミツくんわかるか。能動態と受動態」
ボクは、英語を学び始めたばかりだった。英語なんて翻訳機を使えばいいかと思ったけれど、日本語を見直す良い機会かもしれない。師匠の助言でそう考え直したのだ。
「ええと、なんだろう。見るか見られるか」
ボクは、座っているソファの周りを見回す。テーブルを挟んで揺さんが向かい、師匠はボクの右隣で一人掛けのイスに座っていた。
「お。賢いな。そうや。見るは能動態、見られるが受動態や。で、大昔はその間、中動態があった。ミドルヴォイスやな」
「見ると見られるの中間ですか」
「せや。どんな表現や思う❓」
「ええっと」
二人が問い掛ける。知らないことはググる。知識を揃えて考える。スリリング。間違いなんてない。全てが経験と微笑む二人だから。フッと浮かぶ。閃いた。
「あ。見える👀」
「そうや」
揺さんは満足そうに頷きながら、ソファの背に凭れた。説明が続く。なるほど。そういうことか。見るは外への意志。見られるが他者主体。見えるは・・どっちでもない。
「見えるって、誰の意志なんですかね」
「さぁ。誰やと思う。内におるんや」
「うーん。そうだなぁ。神とか仏とか」
「ふんふん。まぁ、そうやとしたら、わたしらなんでも神さんのせいにしたらええから楽やで。神さん言うても外にはおれへん。自分の内におる神さんや」
なぜかフワッとする。胸の辺りは軽い。自分の内に神がいる。神ってよくわからないけれど、なんだか心強く感じた。
「あぁぁぁぁぁぁ」
突然、揺さんが叫んだ。テーブルの上にあるタッパーを目の高さまで持ち上げる。タッパーを通して揺さんの掛けた眼鏡が透けた。
「ミツくんが見えるやないの。さっきまで、私の作った焼き菓子で一杯やったのに。フジさん、黙って食っとったんやな」
『スビバセン(^0^;)』
師匠は、口をもごもごさせながら謝った。
『いや~オレは食べちゃダメって思うのよ。意志の力でね。でもさ、オレの内で中動態が叫ぶの。わかっちゃいるけど止まりません』
「もうあんたにはやらん🙎」
『オーマイゴッド。神さま仏さま揺さま』
「ほな。お賽銭ちょーだい💸」
『罪を憎んで焼き菓子食わすって言うよ』
「え。そうなんですか・・」
「ミツくん、ググらんでええ。ウソや」
🍰 🍰 🍰
中動態は、入試の現代文で知りました。私たちの思考って、言語に強く影響されますね。つい、能動と受動の対立構造で考えてしまうとしたら、怖いことに感じるのです。
やるかやられるか、白黒決着をつけなければ気が済まない。好きか好かれるか、権力闘争になる。意志が強いか弱いかで責任を問う。
🌋 🌋 🌋
『今年は風の時代って言うじゃん。風は止まらない。パッと決めてスッと行動するわけ』
「だから食べちゃうんですね」
「行動言うたら、動かないかん思う。動けん自分はダメやとなる。そんなことあれへん。選ぶんや。動かんことも行動。振る舞いや」
「振る舞い。なんか雰囲気違う言葉です」
「言葉一つで意識の矛先が変わるで」
『矛先ってブッ刺すみたいで怖いね』
「リクエストにお応えして刺したろか👹」
『( ̄▽ ̄;)』
🗿 🗿 🗿
元旦早々、取り留めもなく続きそう。ここらでやめますね。noteシティのフジミドリ村。皆さまのことがふと浮かび、ずっと書いていたい気もしますけど(*⌒▽⌒*)