細胞が司る健やかさ
「今回は健康に関するラストやった」
『あはは~終わりが見えてきたぜ』
「早いもんや。もうすぐ師走やからな」
『ジングルベル~ゴーン~初詣!』
「人生あっという間に完結か」
『オギャア~チーン……やれやれ』
「死なん人、おらんもんなぁ」
『いたら怖い。ゾンビかリッチか』
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こんにちは!
フジミドリです☆
日曜午後3時の私物語、今回は健康に関する幽界見聞録の三巡目でございます。
お楽しみ頂けましたでしょうか。
ではいつものように、イラストの朔川揺さんと創作談話お届け致します。
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『そもそも病気と健康の違いって、医者が勝手に検査結果で境界線を引くわけよ』
「しかも、時と場合によってコロコロ変わるいうんやろ。ええ加減なもんやで」
『今回のウイルス騒動でそこらが暴露されたけど、未だに信じる人も多いんだね』
「まずは細胞で働く力に任せたらええねん。医者は信じるいうより活用せんとな」
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こういった議論は決着がつきません。
賛否両論、判定できないのです。どちらの言い分も、それぞれ理路整然としています。
なぜこうなるのか──
私の答えは少し異質かもしれません。
元々、人類の営みが二律背反するように仕組まれたから。そう理解しているのです。
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『結局のところ、健康も病気もないんだよ。肉体つまり細胞の反応があるだけさ』
「ここから病気いう線引きして、やれ手術や薬や言うて金儲けしとるんとちゃうか」
『需要と供給のバランスだね。うちの親父なんて、マジ医者頼り薬好きだったもん』
「そらま、普通なんやろ。病気いうか死にとうないんや。死ぬのが怖いんやろなぁ」
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私たちは死にゆく存在です。
誰一人として死を免れる術がございません。
にもかかわらず、なぜ恐れるのか──
本能として組み込まれているからです。
守護霊の存在が信じられて、毎晩幽界を訪れる私でさえ、目前の危険は回避します。
自動的に反応するのです。
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「面白い仕組みや」
『そりゃそうでしょ』
「なんでやねん」
『だってさぁ、もしも死ぬのが楽しみだったら、生まれた瞬間みんな死んじゃうもん』
「なるほど。確かに」
『だから死ぬのは怖いことって組み込むの。どーせ死ぬのに、ムダな抵抗だよね』
「そう考えると、この世は無駄でもええいうか、ネガティブかて構へんとちゃう」
『オレたち、うまくやろうとするからね』
「けど、失敗ばかりでええ思たら気楽になって、やっぱり死ぬのが怖なくなるわな」
『なんか堂々巡りだよ』
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ポジティブに考えましょう!
良いことを引き寄せるのです、人生は希望に満ちています、どこまでも追求しなければ、勿体ないではありませんか──
このような言説が世を賑わせております。
しかしどうも昔から合いません。
逆説的なんでしょう。
道術と出逢ってしっくりくると感じたのは、そこらあたりかなと思うのです。
道術でポジティブ思考はございません。ネガティブ思考に気づくだけなのです。
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「気づくだけでええいうの新鮮やった」
『ポジティブにならなくていいのさ』
「プラマイどっちでもないんや」
『そう。相殺してゼロってわけよ』
「百点取らなあかんみたいのあるな」
『あはは~検査数値をよくしようとか』
「このままでええとは思えへんで」
『ゼロでいるって難しいかもね』
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高速回転するコマ。
道術におけるゼロのイメージとして、かつて師匠が話されました。
ピシッと静止するかのように見える。でも、よく見れば高速回転しています。
健康も同じこと。
淡々と何事もなく暮らしているようですが、細胞は完全完璧に機能しているのです。
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『今回のイラストで、だら~んって描き文字が、今のオレにぴったりでさ。いやホント』
「そら嬉しいお言葉や。前回のひっぱりっこもやけど、元ネタの写真あってな」
『確かネットで探すんだよね。揺さん、動画とかよく観てるもんな』
「動画は観てつい微笑んでまう。楽しいんやけど絵はおこせん。写真が多いわな」
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以前にもお伝えしてありますが、私物語は揺さんの絵がラストの締めなのです。
終わりが決まっているので、安心して途中のプロセスを楽しめます。
話があちこち飛んで、収拾つかなくても構わないから、自由に発想できるのです。
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「人生も同じや。最後は死ぬと決まっとる」
『死後の世界が安泰なら怖くないわけよ』
「かといって、さっさと死ぬんやない」
『むしろ耐えられるんじゃないかね』
「何から何まで決まっとるんやろ」
『そう捉えるとマジ楽なんだよ』
「心も体も仙骨任せでええんやもん」
『みんなだら~んとしてればいいのさ』
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お読み頂きありがとうございます!
次回の私物語は11月26日午後3時です。
こちら西遊記の創作談話は、木曜午前8時に公開致します。
是非いらして下さい☆