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異業種から税理士へ:ゆたか税理士法人代表 大浅田様が語る転身の背景と挑戦

今回は、ゆたか税理士法人代表の大浅田様にインタビューを行いました!
大学卒業後、大手企業でサラリーマンとして働いていた大浅田様が、なぜ異業種から税理士業界へ転身することになったのか、その経緯と前職との違いについて詳しくお伺いしました。
全4回にわたるインタビューの第1回目です。ぜひ最後までご覧ください!

異業種から税理士へ:大浅田様の転身と挑戦

ーこれまでのご経歴について教えてください。

私は新卒で住友電気工業という上場企業に入りました。
ここではエレクトロニクスの分野で約10年間働き、その後、父が税理士を営んでいたため、後継者がいないということで事務所を畳もうという話が出てきました。
ちょうどその頃、私は海外赴任の話がありましたが、長期になると考え辞めることを決意し、東京から戻ってきました。

ーそれからお父様の事業所を継がれたのですか?

いいえ、しばらくは父と一緒に事務所を運営していました。
平成6年に地元に戻ってから、まずは税理士試験を受けるために勉強しましたね。
大学在学中に2年間だけ税理士の勉強をしていましたが、免許は持っていなかったので。
税理士試験を受けて3年で合格しました。
税理士法人を設立したのは平成15年で、平成17年に「ゆたか税理士法人」に改名したと思います。
ゆたか税理士法人を立ち上げてから最初の5年から10年くらいは、新しいお客様を増やすことにかなり力を入れていましたね。

幼少期の思い出と事業継承の決断

ー事業を継ぐことは、いつから思っていたのでしょうか?

昔は、長男が事業を継ぐという流れがあったので、小さいころからなんとなく私が継ぐのかな、と感じていました。
弟が2人いますが、家族ではよく、相続に関する話をクイズ感覚で話していて、すごく楽しかったことを覚えています(笑)
「あの親戚のおじさんの財産は、誰に行くでしょう?」などの話題で父とよく会話していたのを覚えていますね。

ー代表を継いだのはいつでしょうか?

平成17‐18年頃のことでしたね。
父は、平成13年に病気をしたことをきっかけに、徐々に仕事を減らしていきました。
私が代替わりするまで、約10年ぐらい一緒に走り続けた日々が懐かしいです。

感じたギャップ、当時の税理士業界は…

ー前職で働いていた職種と、税理士とは仕事内容が違いますが、ギャップを感じましたか。

全く違う業界に来た感じがしました。
以前はエレクトロニクス業界で競争が激しかったのに対し、税理士業界は非常に規制が厳しく、広告も価格設定も自由にできませんでした。

ー具体的にはどのような違いがありましたか。

金銭感覚の違いに最初は戸惑いましたね。
大企業に勤めていた時は、資料を作る時も100万円単位で作成していました。
その一方で、中小企業の社長や個人事業主相手に1円単位までとは言いませんが、細かい作業が求められるんです。
あとは、 節税に対するエネルギーの差。大企業は税金を減らすことはあんまり考えてないんです。

ー他にはありますか。

あと、やっぱり規制が強かったので、税理士業界がさまざまな面で遅れていると感じました。
今でこそパソコンは使ってますけど、当時は全然使ってなかったですね。
今は業界も進化して、電子申告だとか効率化されてきています。

最後に

大手エレクトロニクス企業でのキャリアを築きながらも、父が経営する税理士事務所を継ぐために海外赴任を断念された大浅田様。
税理士としての1円単位の緻密な業務に最初は戸惑いながらも、資格を取得し、情熱を持って約10年間、父と共に奮闘してきました。

次回は、事業を継承してからの苦労や、税理士業界の規制が緩和される中でゆたか税理士法人が行った工夫、そしてお客様を大切にし続ける姿勢についてお伺いします。
ぜひ、お楽しみに!

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