メトロポリスの夜
昔 関西大学の2部は 天六(天神橋筋六丁目)にあった
地下の天六駅から 地上に上がり 繁華街を抜けて行く
ここですでに 大学に行き着けないものが出ただろう
わたしは 芦屋のスイミング・スクールで 朝に婦人クラス 午後に幼児クラスを2本 水泳指導をこなしてから通った
駅から大学までの道で うどんかカレーかを食べる うどんは 卵 かき揚げ 稲荷揚げが入ったデラックスうどんで 250円だったと記憶する(安っ)
カレーは淡泊な味で なぜかデミタスカップでコーヒーがついてきた
値段は忘れた
天六学舎は 周りを 町工場 斎場 墓地 養護施設(たぶん)に囲まれた なかなか香ばしい立地で 校舎は歴史を感じさせる 堅牢な造りだった
なぜか階段を昇っても行き着かない 謎の部屋があったり 地下は クラブ活動の部室になっていた
映画研究部に入りたかったので 地下を歩いたが どうも いかがわしい ヤバい雰囲気に馴染めなかった
そのまま 異界に連れ去られそうな
それよりも この雰囲気に馴染んでしまうと あちら側の人間になってしまいそうで(笑)
廊下を歩いていると 弁論部が 勧誘をしてきた
いかにも弁がたちそうな上級生で ここに入れば 俺も多少は 口が上手くなるかな と思ったが やめた
浅間山荘事件の記憶が まだ新しく 一方で『花の応援団』が流行って みんなチョンワチョンワ言っていた時代である
右にも左にも あまり近づくべきではない という予感だけは 右も左もわからないわたしにも なぜかあった
夜学とはいえ 文学部だからか 同級生の半分は女子だった なぜかクラスのかなりの人数が コーラス部に入っていた
それが 実は 民青と関わっていた というのは 後で知った
教室の外れに『有鄰館』という講堂があり ときおり 映画を上演した
フリッツ・ラングの『メトロポリス』をやる というので 観に行った
『メトロポリス』が始まる前に 何本か 短編映画を上演した
古い古いサイレント映画で その中には SFの古典的名作 メリエスの『月世界旅行』などが含まれていた
これミサイルやんか みたいなロケットで 月に向かう(らしい)
途中で 三日月に座って微笑む セクシーなおねえちゃんの横を通ったりして(なんでやねん)顔がついた月に ドカーンと突き刺さる(ひでぇ)
とにかく荒唐無稽ぶりが楽しい
ルイ・マルの(後で調べると アラン・レネとの共同監督)『ゲルニカ』を観たのも この日だったような気がする
なんとも豪華な組み合わせである
ピカソのゲルニカという作品を モンタージュやらカットバックやら 様々な方法で見せ それだけでゲルニカという 空爆で無茶苦茶になった都市の悲劇を表現した映画で こんなやり方もあるんや という 半映画青年のわたしは感心したものだ
日本におけるピカソの『ゲルニカ』は『はだしのゲン』である
その後 真打ち『メトロポリス』の登場である
後年 音楽をかぶせて ファッショナブルにリメイクされた この映画だが なんせ この夜はサイレントである しかも長い
その映像に 圧倒されたものの シーンと静まりかえった会場で 映写機のカタカタという音だけが鳴り響くシチュエーション
まさしく 固唾を飲んで見守る という絵ヅラである
しかし あれほど映像に集中したことは なかった と思う
なんの基礎知識もなく観た 何本かの映画だが 後でこれらの映画の映画史的位置を知ると 目が眩むような作品群だったようだ
こうしたイベントを サラッとやっていたのである
最近 2部は 1部のある千里山に併合されたらしい
わたしが 通っている間に 何人かの教授に なぜ 天六学舎は街なかにあるのか? という話しを聞かされた
江戸時代 懐徳堂という私塾が 大阪にあり 富永仲基 山片蟠桃 麻田剛立といった 時代を超越した町人学者を 多く輩出した
それが後の日本の近代化に 多大な影響を与えたのである
懐徳堂は 商売人の子弟やらが多く 仕事帰りに通ったので街なかにあり 遅れて来ても 途中で中座しても構わない という自由な気風だった
関西大学の天六学舎は 懐徳堂の気風 精神を受け継ぐものである
教授たちは 誇らしくそう仰った
天六学舎から千里山に移った今の関大には 懐徳堂の精神はない
わたしはそう思う
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