「母親面しないでくれ」の件で思ったこと。認識のコンセンサスを取ろうとしない人と関わり続けるのはキツイ。
少し前の話だが、気になったので話したい。
Vtubarのアクシア・クローネという人が、ファンに苦言を呈して活動を休止した話。
「母親面」よりもこちらのほうがより深刻な問題だとは思う。(活動休止の理由もこちらがメインのようだし)
ただ仮に他Vtubarへの誹謗中傷がなかったとしても、「本人が嫌だ、やめてくれ」と言うことを続けるのは、例え「悪い意味ではない言葉を善意でかける」としてもアウトだと思う。(具体的な問題個所を指摘した批判や注意ならわかるが、今回はそうではない)
「本人が嫌だ、やめてくれ」と言っていることを、特に正当な根拠も示さずに自分がいいと思うからやり続ける。しかも「やめてほしい」という言葉を茶化して受け入れない。
そりゃあブチ切れもする。
このアクシアという人は、以前から「自分の動画で控えて欲しいこと」を説明して概要欄に書いているし、言葉を選んで丁寧に説明している。
例えば問題になった「可愛い」という言葉についても
すごく気を遣いつつ、自分は何が嫌なのか、何が気になるのか、これとこれはどう違うのかと説明している。
「関わろうする相手と認識のコンセンサスを取ろうする言動」だ。
アクシアがここで言いたいことは、
①「可愛い」は一方的に相手に作用する言葉だから、お互いに対等に言い合える関係ならいいが、一方的には受け取りたくない。(言葉は相手との関係性、状況による)
②内心では何を考えても妄想してくれもいい。でもそれを自分の動画のコメで書き込むのは止めて欲しい。
ということだと自分は受け取った。
「可愛い」を含む「妄想」についても、「内心は自由。むしろ公の場で言わないで考えるだけなら嬉しい」と言っている。
今後も付き合っていきたい人とは言いにくいことでも自分の感情を丁寧に相手に伝えようとする(ちゃんとコミュニケーションを取って、相手とコンセンサスを取ろうとする)ところに、好感が持てた。
自分の気持ちが伝わるように説明しようと努力すること自体が、相手に対する信頼だ。
こんなにきちんと説明をしても「可愛いという言葉自体が、誰に対しても駄目なんだ」「相手を気遣う言葉も母親面なのか」と拡大解釈をされているのを見ると気の毒になる。
上記の配信を見ていないようなので、
と言っているが、ファンでも何でもない「外野」かもしれない。
だとしても、こんな風に自分が言ったことと真反対のことを「言った」という前提で「お話」を積み上げられるのはキツイ。
「自分が言っていないことを言ったと言われることがこの世で一番嫌い」な自分から見ると、他人のことでもモヤモヤが止まらない。
「関わろうするのに、その相手と認識のコンセンサスを取ろうとしない人」は、苦手だ。
これだけ丁寧に「自分は何が嫌で何が受け入れがたいのか。どのラインがセーフでアウトで、何を一番気にしているのか」を説明しているのだから、後は関わる人が「それでもこの人を応援したい」か「それは自分は楽しくないから関わるのを止めるか」を決めるだけ、という「人間関係の基本」のごく単純な話だな、と感じた。
*続き。「アクシアは反抗期」は、コミュニケーションにおいて何が問題かをもう少し詳しく書いた。
「アクシアは反抗期」と同じ問題を含む「デス・ゾーン」という本についても問題点を書いている。
自分にとってはホラー並みに怖い現象だ。
◆余談
自分がVtubarに興味が持てないのは、余りに瞬間瞬間の情報量が多すぎるせいだ。
①ゲーム画面
②Vtubarの動き
③話の内容
④話し手の感情
と、一方的に受信するには情報量が多すぎる。
以前「受け取れる情報を(量、内容共に)、自分で細かく調節できないものは苦手」と書いたように、情報の処理スピードが自分で選べない動画自体がそもそも苦手なのだ。
なので話の内容の筋が追いやすい、感情が比較的一定な人の動画が基本的に好きだ。一本見て面白ければ見続けることがある。
ふぅ以外では「シャドーコリドー」のハマっていた時は、「味のしみたちくわぶ」さんの動画はよく見ていた。
このくらいローテンションのほうが、自分はずっと見ていられる。
やりこみ具合がすさまじいので、「シャドーコリドー」が好きな人はぜひ見て欲しい~。
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