「シャーロック・ホームズ」を原文(英語)で読んで、ホームズの可愛さに今さら気付く。
英語の勉強がてら、「シャーロック・ホームズの冒険」を原文で読んでいる。
「英語でもスラスラ読めるぞ」というわけではなく、知らない単語を調べれば意味が取れる程度だ。
載っている話が「赤毛連盟」「まだらのひも」「唇のねじれた男」「ブナの木屋敷」と超有名どころばかりで、だいたい何の話をしているのかわかっていることも大きい。
ネイティヴの知り合いがいないので細かいニュアンスはわからないけど、英語で読むと「ホームズとワトソンって滅茶苦茶仲がいいんだな」と感じる。公的な関係である「社会人のルームメイト」よりも親密な感じがする。
原文から感じる「ホームズとワトソンの仲の良さ」を、日本語だとうまく言い表せない。
学生時代の親友とも違うし、趣味の仲間とも違う。
強いて言うなら「凄く仲良く育った兄弟が、そのまま大人になった」「阿吽の呼吸があり、それに甘えることが出来る関係」というのが一番近い。
お互いにそうというわけでもなく、ワトソンが受け手側、「察する側」になっている。
例えば「ブナの木屋敷」で依頼主であるミス・ハンターから助けを求める手紙が来た後のシーンだ。
(直訳)
「一緒に来てくれませんか?」ホームズは顔を上げながら尋ねた。
「そうしたいと思います」
「それでは調べてみてください」
「9時半に電車があります」
(ニュアンス込みの訳)
「一緒に来るよな?」ホームズは顔を上げて言った。
「もちろん」
「じゃあウィンチェスターまでの電車を調べてくれ」
「9時半にあるよ」
“I should wish to”とワトソンが答えたあとに、すぐに“Just look it up,then”が来る。
「良かった」「ありがとう」などの間の言葉が何もない。
「Can you」ではなく「Will you」を使っているところに、二人の関係性の(というよりホームズ→ワトソンの感情の)ポイントがあるのではないか。
※懐かしい。
Will youの意味を考えると、“Will you come with me?”は「当然、一緒に来るよね?」という意味ではと思う。
ホームズはワトソンが自分と一緒に来ることを確信している。
ワトソンを下に見ているというわけではなく、心を開いている相手に対する「自分の頼みは当然聞いてもらえる」という甘えが根底にあるのではないか。
英語で読んでいると「ワトソンが自分の感情を察して受け入れてくれて当たり前」という感覚がホームズにあることがひしひしと伝わってくる。
というキャラの相違を踏まえて読むと、他のシーンのニュアンスもまったく変わってくる。
例えば「まだらの紐」で、ホームズが寝ているワトソンの部屋に勝手に入って枕元に立っているシーンだ。
いつもは朝が遅いホームズが、きちんと着替えて立っている。
「悪いけどノックして入らせてもらった」
という言葉も、しごく尤もに聞こえる。
だが、よく考えれば「僕がハドスン夫人によくされていることを君にしただけだから」というのは滅茶苦茶な言い分だ。こんなことを言われたら普通は目が点になる。
ワトソンが起きてくるのが待ちきれなくて入ってきてしまった、それをワトソンもわかっている。二人のあいだではそういう了解があり、建前の言い分は二人のあいだの遊びのようなものだ。だから滅茶苦茶でも構わない。
ワトソンの「何だよ、火事でもあったのか?」というボケにホームズが一切乗らず、「いや、依頼人」と返すところも面白い。
英語で読むと、ホームズがワトソンに我が儘いっぱいに振る舞っているように見え、それが妙に可愛く感じる。
妥当かどうかはわからないけど、日本語と英語ではホームズのキャラもワトソンとの関係性も違いを感じ、それが面白かった。
「シャーロック・ホームズ」が現代まで続くような絶大な人気があるのは、話自体の面白さに加えてキャラと関係性の魅力が大きかったのかな(今さら)
※続き。よく考えたらブロマンスだ。