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【「葬送のフリーレン」キャラ語り】ハイターの人物像が垣間見えるエピソード、第29話「理想の大人」が好きすぎる。

 ついに今日か。
「葬送のフリーレン」の中で、自分が大々々々(以下延々とリピート)好きなエピソード「理想の大人」がアニメで放映される。
 フェルンの「むっすうー」が増幅されているトップ画像だけで、期待値マックスである。素晴らしい。

 しかも……。
 鏡蓮華との組み合わせか……。心臓が持つかな。

 原作で四巻の部分が連載された時に作られたと思われるサンデー公式のPV。
 良すぎて何度も見てしまう。

「理想の大人」の好きな点は、「大人は大人なのではなく、大人をやっている」と語られているところだ。
 中身は子供のころから変わっていないとしても、子供から求められている時は大人をやる。それが大人であり、そのために歳を取ったのだ。

 ハイターがなぜ聖職者になったのかは原作には今のところ出てきていない。ヒンメルが勇者になると言い出したから冒険に付き合うために聖職者になった、という理由が一番ありえそうだ。
 それ以外のパターンを勝手に推測すると、ヒンメルが勇者になろうと思って勇者になったのとは逆に、ハイターは生きる方法として聖職者になったのではないか。
 養女であるフェルンが生きる方法として魔法を選んだことと重なる、「都合がいいから天国はある」など女神の教えをそのまま鵜呑みにしているわけではない、孤児院の出身であることなど理由はあるが、一番の理由は第29話のこのセリフだ。

 理想の大人の振りをしてそれを積み重ねてきただけです。
 きっと私は死ぬまで大人の振りを続けるでしょう。

「葬送のフリーレン」4巻 山田鐘人/アベツカサ 小学館

 このセリフは「大人」以外にも聖職者という職業も含めた、ハイターの人生の在り方について話しているのではと思ったのだ。

 ハイターは子供のころにヒンメルが偽物の剣を持っていることを笑ったように、本来はかなり屈折した皮肉な物の見方をする人間だと思う。
 ヒンメルは「素で人格者・勇者」だったのに対して、ハイターは自分が理想だと思う人格者の振りをし続けてきたのではないか。

(ヒンメルは)私とは違ってひたすら真っすぐで、困っている人を決して見捨てないような人間でした。(略)
 私は彼とは違うので、大人しく余生を過ごそうと思っていたのですが(後略)

「葬送のフリーレン」1巻 山田鐘人/アベツカサ 小学館/太字は引用者

 よくある皮肉も含んだ謙遜する物言いだと思っていたが(それもあるとは思うが)フリーレンが「らしくないね、進んで人助けをするようなタイプじゃないでしょ。ヒンメルじゃあるまいし」と言っているところを見ても、ハイターの本来の考え方は本人が言う通り「ヒンメルとは違う」のではないか。

「葬送のフリーレン」4巻 山田鐘人/アベツカサ 小学館

 そうとう皮肉な物の見方をしていないと、ヒンメルを知ろうとしなかったことを後悔しているフリーレンに、このセリフは言えないと思う。
 勇者の剣を揶揄したくだりを見ると、ヒンメルに対しても(特に子供のころは)屈折した思いがあったのではと思える。
 自分はそういう人間だと自覚しながら、ヒンメルの影響を受け入れて「大人・人格者」で在り続けたなら、それは凄いことだと思うのだ。

 屈折した思いや皮肉な目線を持つ本来の自分の上に、ハイターは意識的に「理想の大人の振り」や「人格者である聖職者の振り」を打ち立てた。
 それがどういうものだったかが、ハイターに影響を受けたザインの人物像を通して伝わってくる。

「葬送のフリーレン」4巻 山田鐘人/アベツカサ 小学館

 ハイターがヒンメルから受け取ったものがちゃんとザインに受け継がれている。
 何度読んでもいいエピソードである。

 ザインが大好きで、三巻の終わりから四巻にかけてだけ何度も読み返している。
 早く合流して欲しいなあ。

 アニメ版の感想。


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