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「横須賀軍艦カレーを一緒に食べたら面白そうだ。だが支持はしない」そういう精神を持っていたい。

 この記事が面白かった。
 自分が小泉進次郎(のようなタイプ)に感じる怖さもこの辺りにある。
 自分が考える小泉進次郎タイプの強みは、「その場で求められていることを、何であれ躊躇いなく出来ること」だ。

 この記事の発言も「その場にいない人間」は「何を言っているんだ?」と思う。

 だがその場にいる人(場や文脈を共有している人)は、

 視察先の千葉県富津市で記者団から水政策への見解を問われ答えた。
 小泉氏は「水がおいしい町なのにコンビニで外国のペットボトルの水を飲んでいる。こんなに理屈の合わない消費の仕方はない」と指摘。

こう言われたら少なくとも自分たちの町に来てくれない、知ろうとしない人よりは親しみを持つのではないか。

 極端に強い主張などをして特定の層から強い支持を得たとしても、次の段階では「穏健」「中道」と呼ばれる層からは支持を得られなくなる。むしろ極端な主張をすればするほど敬遠される。

 コア層を固められたら、次は誰に対しても穏当な態度を取り多数の人気が形成できたところで自分が考える政策のいい面だけを強調して(もしくはステルスして)実行すればいい。「〇〇さんなら人柄が信頼できる」と言って任せてもらえる可能性が高くなる。
 多くの人はこういう仕組み自体はわかっていると思う。
 だが普通は出来ない。
 いわゆる「人気取り」をしていても、自分とは立場が違う、自分を批判する人間に対してはネガティブな態度が外に出る。
「自分」が出てくる(当たり前だけれど)
 だから都知事選二位になったにも関わらず、露出が増えた途端に「馬脚を現した」「パワハラ気質」などと批判の声のほうが大きくなったりする現象が起こる。

 昔、テレビ局の廊下で、たまたま進次郎さんとすれ違ったことがある。
 進次郎さんはあたしの前で立ち止まり、握手を求めてきた。あたしの目をぎゅっと見つめ
「室井さんですね。いつもテレビで観ています」
だって。
 当時、あたしはテレビで、自民党の悪口ばかりいっていたので、一瞬、なにが起こったかわからなかった。

(引用元:室井佑月の「嗚呼、仰ってますが。」/太字は引用者)

 大人だから笑顔で会釈、挨拶はできても、上記の小泉進次郎のような振る舞いは、例えそうしたほうが得だとわかっていても自分には出来ない。
 小泉進次郎は呼吸するように、自然にこれが出来るのだ。

 少し前に、福島の海が安全であることをアピールするためにエマニュエル大使とサーフィンをした話が流れてきたが、あれを見て自分は小泉進次郎を見る目を変えた。

※この写真がまた凄い。

 自分であれば、こういうことをしたほうがどう考えても得だ。そうわかっていてもできない。
「明らかにパフォーマンスだと思われるだろう」
 そういう自分の内なる声が聞こえてきてしまう。
「パフォーマンスをして何が悪いのか」と理屈では思ってやったとしても、凄く不自然になると思う。
 ↑の室井佑月に握手を求めた件もそうだが、こういう振る舞いは不自然さが少しでも混じると相手を警戒させたり白けさせたりして逆効果になる。

 こういう人は怖い。
 何故なら、自分もサーフィンのニュースを見てちょっと明るい気持ちになったからだ。
 日常を生きている人間にとって、「明るい気持ちにしてくれる」以上にポジティブな実感を与えてくれるものはない。
 仕事や家計、子育てや介護、健康などの心配事を抱えて日常を生きる人は、他のことに興味を持つ気持ちや時間の余裕は持ちづらい。そういう人たちが世の中が何となく悪くなっていく、重苦しくなっていく雰囲気を感じ取って生じるのが「社会不安」である。
 社会全体がそういう漠然とした不安に苛まれている時は、明るい太陽の下、青い海で荒波を乗りこなしている絵面のような「大丈夫なんだ」とひと目で思わせてくれるものが強い。

 自分を面と向かって批判する人間に自分から駆け寄って握手を求められる。
 部外の人間にアホだと思われようが、目の前にいる人に向かって「この町の水が美味しいことが国民の所得の増加につながるんだ」と言える。
 福島の青い海でパフォーマンスすぎないと思われるとしても、サーフィンができる。

 選挙となり、面白いもの見たさで多くの人が、この国のトップ(仮に)となった進次郎さんを見にいく。あのキラキラした目で見つめられ、手でも握られてみ? 思わず軍艦カレーツアーについて調べてしまったあたしのように、ふわふわとそのまま投票所へいってしまうかもしれん。

(引用元:室井佑月の「嗚呼、仰ってますが。」/太字は引用者)

 都知事選の時も思ったが「面白さ」というのは脅威だなと思った。

 自分もこの先、投票所でサーフィン画像を思い出さないようにしないと。


◆余談:他の候補について

 そうこう言っているうちに、石破茂と高市早苗の争いになってきた。
 この二人も、個人的には特に好きでも嫌いでもない(知らない人だから当たり前だが)
 だがこの二人が首相になることには反対である。
 石破さんは外交政策が余りに非現実的かつ継続性がなさすぎるし、高市さんは

 高市経済安全保障担当大臣は、人権と公共の福祉の関係について「自由と権利には責任と義務が伴う。SNSで誹謗中傷や偽情報があっても『表現の自由』が勝ってしまうので公共の福祉を明確にしたい」と述べました。

 また凄いことを言い出したな……。
「現在の状況で多くの人が賛同しそうな具体的な例示を根拠に持ってきて、個人の権利を保障するルールそのものを変えることを正当化する」のは権力側の常套手段である。
 誹謗中傷や偽情報は確かに良くないが(良くない)、何を以て「そうだ」とするかは歴史を見ても他国を見てもわかる通り、権力を握った人間が決める。
 
法改正ではなく憲法改正に踏み込むのか……凄いな(褒めていない)

 ただ高市さんが総裁になったら上記の憲法改正案も含めて「自民ー超保守」、相対的に立憲が中道寄りになって違いが明確になる。
 そのほうが解散選挙をした時に、違いや争点がわかりやすくてちょうどいいかもしれない。


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