「『腕が一本増えた物語』を書くとしたら、『腕が一本増えた原因』を書いてはいけない」というレイモンド・チャンドラーの言葉に衝撃を受けた。
先日、書いた「藪の中」のオマージュ「洞窟の中」について、「凄く怖かった」と言ってもらえた。嬉しい。
「藪の中≒未解決事件っぽいブラックボックス的な創作」が大好きなので、「この作品が面白かった」「書いたぞ」という人がいたら良かったら教えてください。
※自分のオススメ。↓
閑話休題。
ずっと前にも、何作か小説を書いてみたことがある。
だがその時は人に読んでもらう以前に、自分で読んでも「面白くない」と思うものが多かった。
何故面白く感じないのか。
その時はわからなかった。
今になって、もう一度「書いてみたい」と思った理由はいくつかある。
その中のひとつは「創作とは何なのか」を語ったレイモンド・チャンドラーの言葉を読んだからだ。
これを読んだ時「創作は、そういうものだったのか」という強い衝撃を受けた。
なぜ自分の書いた話が自分にとってつまらないのか(辛)ようやくわかった気がした。
自分はこの文章を読むまで、創作は「腕が増えた理由(考え)を書くものだ」と何の疑いもなく思っていた。
だから一生懸命「腕が増えた理由」が判明するまでの経緯を考え、そういう話を書いていた。
でも違う。「腕が増えた理由」は、読んだ人の中にその話(腕が増えたことによって生じる事態や取るべき行動)を読んだことで自然と想起されるもの(もしくは想起されないという結果を生むもの)なのだ。
カフカの「変身」では、主人公のグレゴール・ザムザが朝起きた時に、突然虫になっている。だがその理由は、物語の中では明らかにならない。
ザムザが虫になったことにより起こる状況や心境の変化、周りの人間たちの対応によって「ザムザが虫になった意味や理由」は読んだ人それぞれの心の中に生まれる。(または生まれない)
「行為と行為の相関性の中に、人格というのは立ち現れるものなのだ」
「共感は説明を抜きにして、あくまで自発的に触知的に積み上げられるものなのだ」
自分が読んで面白いと思う話は、すべてこういうことが当たり前の前提として備わっていた。
それなのに言葉で説明されるまで、それがわからなかった。あんなに色々な面白い本や漫画、ドラマやアニメを読んできたのに……。
自分に限って言えば、これが「物語を書く上でのスタートライン」になった。面白いか面白くないか以前の「物語とは何なのか」という大前提である。
そういう体勢がとることで初めて「こういう風に書いたらどうだろう」「こういうことが試してみたい」という、今まで考えてもみなかったことを考えるようになった。
そうして思いついたことを試すことで、少しずつだけれど自分が「こういう風に書きたかった」と、思っていた地点に近づいている感覚がある。
既に活躍している有名な人が空を飛んでいるとしたら、地面をノコノコと歩く亀のようなものだが、「自分で定めた方向に向かって、自分の足で歩いて少しずつ近づいていく感覚」が凄く楽しい。
思いきって始めてよかったと思う。
それほどたくさんの人ではないとしても、まったく知らない人読んでもらえる(可能性がある)こと自体が恵まれている。
へこむこともあるけれど、少しでも「面白かった」と言われたり読んでもらえるとすぐに復活する。(単純な性格なのだ)
これからも末永く楽しく続けていきたい。
◆余談:「流行りものを大量に書き続ける経験から、『小説を書く技法』を実践的に学んだ」というチャンドラーの逸話が好き。
チャンドラーは、生活のために「質よりも量」の流行りの短編を書かなければならなかったなど作家として苦労が多かった。
「ロング・グッドバイ」の中で、自分の戯画となる作家ウェイドに語らせているように、チャンドラー本人にとっては忸怩たる思いがある経験だったのかもしれない。
ただ「とにかく読者をその瞬間だけでも惹きつけ楽しませる。そのために、大量の短編を短期間で書き続ける」という本人とっては不本意な状況の中でも、修行をするような気持ちで技術となるものを得ていた、そしてそこで得たものを結集して、ハードボイルドの金字塔と言われる「ロング・グッドバイ」を書きあげた。
自分から見たら面白さがわからない、世間的にはとかく下らないとやり玉に上げられがちなものだとしても、そこで「読む人の気持ちをどうすれば惹きつけられるか」「どうすれば自分が書いたものを伝えられるか」を、実戦をくぐり抜けることで生き残る術を学ぶ戦士のように学び、その経験を積み重ねて名作を書いた人もいる。
チャンドラーのことを思い出すたびに「そういう経験からしか学べないことも多いのかもしれないな」と思うのだ。
「影響を受けた小説三選」に上げているだけあって、村上春樹のチャンドラー評は熱量が凄い。
後書きを読むと、「ロング・グッドバイ」の面白さが倍増する。
未読のかたは良かったらぜひ。