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【ゲーム考え事】構成要素

 ボードゲームの感想を書いてからちょうど1年が経ち、主に感想を書いてきた中重量級ゲームについて、知見が溜まってきた。見当違いの部分もあると思うが、現在の考えをまとめるために、一度、記事にすることにした。

 今回は、どのようなゲームを対象に考えているのかをまとめ、その構成要素について考える。




◆1.定義

この記事におけるゲーム
 単にゲームという言葉を使ってしまうと、それはあまりにも多くの意味を持ってしまうので、この記事では一部のゲームに関して言及する。


 この記事におけるゲームは、プレイヤーが意味のある選択を行い、それが結果へと影響を及ぼし、最終的に良し悪しが決まるというものとする。


 多くのプレイ時間が1時間以上あるボードゲームは、この定義に合致する。つまり、筆者の感想で取り上げてきたゲームはこれだ。

 これらはそれぞれ、入力、処理、出力と言っていいのかもしれない。この記事で扱うゲームは、それぞれこのような性質を持っている。

 入力がない場合、それはスポーツ観戦や映画鑑賞のようなものになるだろう。過程と結果を見ているだけだ。選択肢のないノベルゲームなどはここに含まれるため、広義にはゲームに含まれる。

 処理がない場合、選択と結果が結びつかない。少しずれた例になってしまうのだが、競馬のようなギャンブルを考えてみるとわかりやすいかもしれない。どの馬に賭けるという選択はあるものの、あるプレイヤーがその馬に賭けたからと言って、勝ち負けに影響を与えない。入力と出力はあるが、それらが独立しているのだ。

 出力がない場合、これは遊びやシミュレーションだ。勝敗やスコアといった評価の概念がなく、良し悪しがない。もちろん、これの広義のゲームには含まれ、「マインクラフト」のような、この形の遊び方が主流で、ヒットしているゲームも多数存在するが、この記事における狭義のゲームには含まれない。(出力というより、評価や結果、勝敗というべきかもしれない)

 これらを満たしたものを、この記事における狭義のゲームと定義する。もちろん、境界例はあるが、細かいことを気にしても本質的に意味はないので、まあ、こんな感じの考えを前提にしている。



ゲームの構成要素
 これらのゲームが持つべき要素とはなんだろうか。

 筆者は、パズルインタラクションランダム性だと考える。これらを組み合わせることにより、中重量級のボードゲームというのは作られている。


 ここで言うパズルというのは、絶対的な正解を持つ選択肢群、という定義だと考えて欲しい。ボードゲームで言えば、ソロプレイをしていて、ランダム性を一切排除した状態だ。たとえば、「ガンツ・シェーン・クレバー」でダイス目の連なりが全て決まっていて、ソロでやる場合には、絶対的な正解があるだろう。最も高い勝利点を出すための選択が算出できる。このような手を探っていく要素をパズルだとする。

 自分の場だけを考え、ランダム性を排除した時に、検討するのがこれだ。どのような選択をすれば、利益が最大になるかを考える。

 純粋な交渉ゲームでは、この要素がないこともあるが、そうなると、インタラクションやランダム性の表現方法の違いだけで、個々のゲームの個性を出さなければいけなくなるため、あまり見られる構成ではない。


 ここで言うインタラクションというのは、各プレイヤー間の影響である。これも大きく分けて、競り読み政治に分類できると考えている。

 競りは、ある要素に対して、その価値に見合うと感じるコストを提示し、最も良い条件を示したプレイヤーが報酬を得ること、とする。つまり、自分にとっての報酬の価値と、他プレイヤーにおけるそれを算出し、自分が競り勝てる範囲で、最も利益を生む手段を選ぶ。

 読みは、互いの出方によって勝負が決まるものだ。たとえば、じゃんけんで、パーで勝つと1点、チョキは3点、グーは5点もらえ、10点を獲得したプレイヤーが勝利するゲームを考えてみよう。その場合、読み合いが発生する。だが、競りと異なり、点数や手(パー・チョキ・グー)に何らかの価値付けをしているわけではない。相手の心理を読んでいる。

 政治は、選択性と指向性のあるインタラクションによって生まれると言っていいかもしれない。あるプレイヤーが他の特定のプレイヤーに対して、損益を発生させることで、生まれるものだ。交渉や攻撃と言ったものになる。

 ボードゲームのソロプレイでは、この要素は一切発生しなくなる。そのため、ゲーム構造としてはソロプレイとそれ以外とで、実際には大きく異なるものになっているゲームも散見される。


 ランダム性は、確率で表現しうるものを指す。ボードゲームの場合、多くはダイスを投げたり、カードをシャッフルしたりすることで表現される。

 ゲームのどの部分で、どれぐらいのランダム性を取り入れるのか、というのはプレイ感をかなり左右するし、ゲームを台無しにもしかねない。

 主にアブストラクトゲームなどで、ランダム性が全くないゲームもあるが、基本的にはプレイ時間が短いゲームが多く、中重量級ゲームでは、ランダム性がゲーム開始時に限定されることはままあるとは言え、全くないゲームはほとんどないと考えられる。おそらく、そういったゲームがやりたい場合には、伝統的なゲーム(「囲碁」「将棋」)に流れるのではないか。


 これらのバランスが適度に取られている必要性がある。

 パズルがなければ、ゲームに対する習熟があまり必要ではなく、インタラクションがなければ、共にプレイする意味合いが薄れ、ランダム性がなければ、難しすぎるゲームになってしまうからだ。



◆2.詳細

パズル
 より良い解が、最終的には絶対的な正解が導き出せるのが、パズルの特徴だ。しかし、この過程が簡単すぎても、難しすぎても意味がない。

 なぜなら、難易度が適切でないパズルは、選択の意味がなくなってしまうからだ。簡単すぎるのならば、皆が同じ選択をするし、難しすぎるのならば、皆が何を選んでいいのかわからなくなってしまう。

 とはいえ、パズルの難易度の感じ方にも、個人差があるだろう。どうやって、適切な難易度のパズルを生み出せばよいのだろうか。


 まず、中重量級ゲームでよく取り入れているのは、拡大再生産を組み込むという手法だ。中長期の利益を見積もる必要があるために、完全な正解が見出しにくくなる。しかし、ある程度の見通しは立てられる。

 とはいえ、基本的には序盤は投資をした方がよく、終盤はしない方がよいといった単調さは生まれやすい。その切り替えのポイントや、単純にその通りとさせない構造を意識する必要がある。


 あるいは、比較しにくいものを増やす。たとえば、1と2ならば、比較しやすいだろう。大きければ良いもの(勝利点など)ならば、2の方が良い。小さければ良いもの(コストなど)ならば、1の方が良い。しかし、T字のピースとL字のピースならば? あるいは、カードを1枚引くのと、カードを1枚場に出すのならば? 単純な比較が難しく、正解がわかりにくい。しかし、それぞれによって、得られるものはわかりやすい。


 ここで、大事なのは、選択肢の評価がある程度できることだ。しかし、同時に、完全に結果がわかってしまわないことも満たす必要がある。他にも、上手く目標を設定することで、非習熟者でも、選択しやすいようにするテクニックは良く使用される。これも過剰であると選択が押し付けられていると感じられるので、適切に実装される必要がある。


 このパズルの部分は、ゲームの独自性が出しやすい。また、プレイ時間が長いほど、インタラクションやランダム性に制限が生まれるため、中重量級ゲームでは重視される傾向がある。



インタラクション
 ボードゲームは多くの場合、複数人でプレイされることを想定しているという特徴がある。そこに意味を持たせるのが、インタラクションだ。

 大分類としては、競り読み政治に分類できると前述した。それぞれのゲーム上の役割を考えてみる。


 競りは、多くのゲームにおいて、多様な形で表現されている。エリアマジョリティはそのまま競りが可視化したものだし、軍備拡張もこれの表現に近い。早取りの要素は基本的に競りになっていることが多い。

 このように競りが多用されているのは、優秀な機能を持つからだ。

 まずは、閾値を生み、損得が生まれやすい。現実的なオークションにおいては、効率の良いやり方が開発・研究されており、実際に行われているのだが、ゲームにおける競りは、ある意味では理不尽な損得が発生する形式であることが多い。損得があるから、上手い下手が決まるからだ。しっかりと報酬に見合うコストを設定できたかどうかが、ゲームに評価される。

 次に、各プレイヤー間での精神的なインタラクションを生む。競りというのは、他のプレイヤーが報酬に対して、どのような評価をしているのかが大事になってくるからだ。他者における価値を考える必要がある。ドラフトで空いているアーキタイプに入れると良いカードを取りやすい、といった形だ。これを活用したいのならば、プレイヤー間での価値に差異が生まれるようなものを競りにかけるべきだとわかる。同時に、価値があまりにも乖離しすぎたものを競りにかけても、意味がないこともわかる。

 他にも、自動調整がかかるのも大切だ。コストを決めるのは、プレイヤー同士なので、デザイナーが設定したコストが不釣り合いだったというゲームバランス上のよくある問題を回避しやすい。

 とはいえ、競りも万能ではない。あまりに強力に損得を生んでしまうと、その時点でゲームが決まってしまうことがある。そのため、現代的なゲームであれば、何らかのセーフティ(競りに使える価値の上限など)が設定されていることが多い。しかし、セーフティが効きすぎると、本来の意味合いが薄れてしまうし、自動調整の機能も働かない。


 読みは、各プレイヤーの思考傾向を読み取る必要がある。

 注意が必要なのが、プレイヤー同士の関係が不定であることだ。ボードゲームカフェで初めて同席したのかもしれないし、長年付き添い合った仲かもしれない。メタ的な読み合いができる時と、できない時があるのだ。

 読みがあまりに重要になってしまうと、関係性の影響が大きくなりすぎてしまうため、中重量級ゲームでは避けられる傾向にある。含めるとしても、しっかりとゲーム中に思考傾向が残り、その中から推測できるような形になっていなければならないだろう。


 政治も、メタ的な影響が強くなりやすいものだ。キングメーカー問題に直結する部分であり、下手をすれば、ゲームそのものを崩壊させる危険すらある。中重量級ゲームでは、ほとんどないぐらいが好まれるし、そうである方が良いだろう。結局、政治で勝敗が決まるのなら、2時間もかける必要はない。30分以内で終わるようなゲームが選ばれるだろう。


 上記のような特性から、中重量級ゲームにおけるインタラクションとは、ほとんどの場合で競りであると言え、この実装が肝心である。



ランダム性
 現代的な中重量級のボードゲームでは、ほとんど必須だろう。

 基本的には、ゲームを複雑にする作用を持つ。もし、ダイスを振るゲームで、その出目が最初から決まっているのなら、それぞれの場合を考えなくても良いので、ゲームは簡単になる。

 とはいえ、実際には、ランダム性を取り入れることによって、ゲームのプレイ感は軽くなる。前述の例を考えても、出目が決まってしまっている方がゲームが難しく感じる人がいるだろう。それは、全ての情報が明らかになっているから、最後まで計算できる、と感じられるからだ。出目が決まっていない場合にも、それぞれの出目における状態を実際には計算することは可能なのだが、人間の処理能力を大きく上回っているが故、プレイヤーは探索を打ち切ることができる。

 また、パズルにおける正解を揺るがすことにも繋がる。ランダム性における結果によって、絶対的な正解が定まることを防げるのだ。結果として、多くの選択を肯定することができ、易しいゲームとなる。


 ランダム性は多様性を生み出すことにも繋がる。ランダム性が全くないゲームの場合、ゲームおける条件は全てにおいて同等になってしまう。プレイヤー間に差がないし、プレイ間でも差がない。

 その場合、最適解の探索はしやすくなってしまう。「囲碁」や「将棋」で1から手を探る人がいないように、それは、コミュニティにおける共通の課題になってしまうのだ。ならば、自分よりもゲーム的思考に優れた人間が考えた方が良い、と結論付けてしまうのは、自然な流れだろう。攻略サイトを後で見ればいい。しかし、ランダム性がある場合、ゲームの展開は多様になり、状況の再現性を低くし、その問題に直面したのが自分だけだと感じさせることができる。自分で、目の前の問題を解く必要があり、攻略サイトに載っているのは、同じ状況ではなく、正解ではないのだ。


 ランダム性が問題となるのは、結果にランダム性を用いる場合と、プレイヤー間で不平等さを生み出す場合だ。

 前者は、古典的な問題なので、そんなへまはしないと思うかもしれないが、普通に出版されている作品でも、よく見られる。ゲームにおける結果とは、多くの場合は、勝利条件に関わるものだ。これに大きなランダム性があり、しかも、決定されるのがゲームの終盤である場合、それが本当に理不尽な構成(将棋をやった後にじゃんけんをするようなもの)になっていないのか、確認した方が良いように思える。

 後者は、もちろん、純粋に勝敗を左右してしまうからという問題もあるが、理不尽だと感じさせやすいという心理的な部分の方が問題だ。これを解消するためには、ランダム性を共通化できる仕組みを取り入れるか、ランダム性がそのまま価値の大小に繋がらない仕組みにすべきだ。


 セットアップにしかランダム性を取り入れないゲームもあるが、そのようなゲームはいわば、毎ゲーム、使う駒が異なる「チェス」でしかないので、実力がはっきりと出やすく、競技志向のプレイヤーに受けが良い。逆に言えば、他志向のプレイヤーにとっては厳しい印象を持つゲームとなるだろう。



◆3.まとめ

 ここでは、中重量級のボードゲームをやってきた結果見えてきた、ゲームを形作る要素に関して考えをまとめた。これらのゲームは、意味のある選択が勝敗などの結果に影響を与える、という特徴がある。そして、これらのゲームは、パズル・インタラクション・ランダム性を持つことが多い。それらの特徴・役割はこのようになっている、ということについて記載した。

 予想以上に長くなってしまったため、何回かに分けて、ゲームについて考えていることがまとめられれば、と考えている。


 あくまで個人的な考えなので、間違えている可能性も高いと思います。その時には、ツイッターなどに忌憚なきご批評をいただければ幸いです。


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