「ダンジョン・インベーダーズ」を設計する際に考えたこと
本ゲームの紹介や特徴は以下の記事で行っている。
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注意事項
あくまで、本記事は、タイトルのゲームをデザインする際に考えたことをまとめただけのものであり、これらの内容がゲームに反映されているとは限らない。
また、もし、筆者が何かを意図をもって設計していたとしても、プレイヤーがそれを感じられない、そんなことはない、というのであれば、そのゲームについてはその感想こそが正しいので、気にしないでほしい。
ランダム性をどうして取り入れるのか
ランダム性の性質の種別
ランダム性というものを考える時、基本的には、それが選択の前に行われるのか、その後に行われるのか、というところで役割を分けて考えた方がよいと感じている。つまり、先(選択の前)にランダム性があるのか、後(選択の後)にランダム性があるのか、ということだ。本記事では、前者の性質については先ランダム、後者には後ランダムという言葉を使用する。
ただ、気を付けて欲しいのは、ほとんどのランダム性というのは、先ランダムでもあり、後ランダムでもある、ということだ。つまり、両者においての役割を考える必要がある。ボードゲームにおける開始時のセットアップやランダムな結果をそのまま反映し、その先に選択がないような極一部のランダム性だけが、片方のみの性質を持つ。
本ゲームにおいては、ユニットカード(敵)のデッキの並びと、各ラウンドのダイスがランダム性を持つ。これは、ラウンドの終了時や開始時に行われるが、その一つ前のラウンドにとっては、後ランダムであり、そのラウンドにとっては先ランダムである、ということは分かるだろう。
先ランダムの本ゲームにおける役割
これらのランダム性において、先ランダムとしての役割は個別の問題を生成することが主題である、と考えた。
個別の問題、というのは、そのプレイヤー、あるいは、そのゲーム(プレイ)に固有の問題である、ということだ。
どういうことかと言えば、たとえば、「将棋」のようなアブストラクトゲームや、一部のボードゲームには、初期セットアップにおけるランダム性は存在しない。このような場合、その初期盤面は、すべてのプレイヤー、すべてのゲーム(プレイ)で共通していることになる。
そうなれば、その問題は皆に与えられたものであり、たとえば、ネットで調べたり、皆から意見を聞くことができる。
尤も、本作(「ダンジョン・インベーダーズ」)のようなインディーズの作品がそのように研究されるとは思っていない。しかしながら、この問題には最適解があり、それが他の人によって研究されうる可能性があると感じることが問題であると考えている。
これは(狭義の)ゲームと(狭義の)パズルの差異の一つにも繋がると考えているが、脱線してしまうので、今回は休題とする。
とにかく、そのゲームにおいて、固有の問題を毎回与えることにより、そのプレイヤーが、そのゲームに対し取り組む意義の一つになり得ると筆者は考えており、そのために先ランダムが必要だった。(厳密に言えば、ランダム性を用いずとも、固有の問題を生成することはできるが、一般的なゲーム構造においては、あまり現実的ではない手段が多くなってしまうだろう)
後ランダムの本ゲームにおける役割
後ランダムというのは、(特に一人用ゲームにおいて)本質的には期待値(厳密には確率と各出力)でしかない。勝率が最大になる決定というのは、本質的には数理的に決まるはずだ。では、どうして、ランダム性を介在させる必要があるのだろうか?
大きく2つの理由があると考えている。
1つ目は、確率の計算というのは人間にとって難しく、ゲームの選択を難化させる、ということだ。
人間の直観が確率というものと相性が悪いのは、モンティ・ホール問題のような事例や、いつの世も世界に蔓延るギャンブルを見れば明らかだろう。(個人差はあるし、訓練で鍛えることもできると思うが)
これはおそらくだが、自然界に明確なる確率が存在せず、それを求める必要がないからではないか、と筆者は考えている。(もちろん、様々なものを確率的に考えることはできるが、それはあくまで確率的、統計的というだけであり、たとえば、ダイスとその出目のように明確な確率ではない)
数理的には計算できたとしても、人間はそれを成しえないし、だからこそ後ランダムが導入され、難易度を調整するようなことに使用される、ということだ。(それはゲーム全体に対しても言える)
だから、たとえば、事前にゲームの各処理の確率を計算してしまって、その表を見てゲームを行ったりするのであれば、ある側面において本質的にはそこにランダム性が介在する意味はなくなっている。
2つ目は、人間が確率的な事象に対して、異質な反応をするためだ。
いくつもの実験で明らかになっているが、人間(もっと言えば多くの高度な動物)は、確率的な事象に対して、様々な反応を持ち、それは確定している事象に対してのものとは異なる。
結果として、リスクマネイジメントは、数理的にリソースマネジメントと同等であったとしても、人間の主観的には異なるものになり得る。その作用を期待して導入している側面がある。
位置関係をどうして取り入れるのか
わかりやすさと、わかりにくさ
多くのボードゲームには、わかりやすさと、わかりにくさが同時に必要になる。前者は明示性、後者は未解決性に関わり、これらはいわゆる狭義のゲーム(あるいは、中重量級ボードゲーム的であると言ってもよいかもしれない)の条件でもあると考えている。
ただ、当然ながら、その両者を両立するのは難しい。単に物事を明快にしてしまえば、わかりやすすぎるし、難解にすれば、わからなすぎる。
その点において、位置関係というのはその難易度に対して理解がしやすいと感じやすい。おそらく、これも人間の脳の作用だろう。現実世界において位置関係(空間)を認識しなければならないことは多々あり、原初の生活において、それが生存に大きく関わっていたことは想像に難くない。
その実、位置関係というのは難しいものだ。ほぼすべてのアブストラクトゲームが、シンプルな位置関係のゲームになっているのに、人類が未だに攻略しきれていないことからもわかるだろう。いくつもの要素が強く/弱く関連しており、影響が遠くへと連鎖的に及ぶこともある。
本作は3x3のマスで構成され、基本的には縦横に関連があるだけのシンプルなものだがそれでもある程度の複雑性を出すことができる。
また、ダイスに関しても、1次元配列ではあるが、位置関係に近いものが導入し、一定の難易度に出来たと考えている。
最初は、ダイスの出目だけ(あるいは加えて、敵の1次元配列)でバリエーションを作成しようと考えていた時もあり、カタログに書いていたダイスにダメージを与えるという処理は、それらの試行錯誤をしていた時のものだ。しかしながら、上記のようなわかりやすさと、わかりにくさのバランスを取ることが、少なくとも自身の技量ではできず、位置関係を利用した。
誤った情報を載せることになってしまい、申し訳ないと思っている。
ダメージをどうして取り入れるのか
ダメージとライフ(本作の用語では耐久力)の関係性
筆者はライフという資源が好きで、それを減らす処理であるダメージも(ほぼ)同じものを指すので、好きだ。
端的に言えば、それが強烈な閾値を生むからだ。本作でも、ユニットを撃退することによる動作がいくつか用意され、それに意味を設定している。
詳細は以下のように別記事になっている。
上位互換性のある数値における問題
ただし、ダメージに関しては、いくつかの問題点を感じている。
その1つは、上位互換性があることが多い、ということだ。
つまり、3ダメージは1ダメージよりも嬉しい。大きければ大きいほど良く、上位互換性があるのだ。より火力が求められ、ダメージという軸によって、様々なスキルが上位下位の判定を受けてしまうのをよく見るだろう。
もちろん、一般的には他の性質において、優劣を付けないようにされているが、それでもダメージというのは大きな指標になるのが一般的だ。
本作において、これを抑制するために機能するのは、『恐怖』の実装だ。
『恐怖』はゲーム的には勝利点であり、複数のユニットをまとめて撃退することによって、得られる資源となっている。
つまり、大きいダメージを持っていても、対象が限られていたら、勝利点にはあまり結びつかず、むしろ、弱らせたい、という要求を満たしにくい、という欠点を持っていることになる。
低いダメージであっても、次にまとめて倒すための準備に使いやすかったり、そもそも範囲が広く、ユニットをまとめて倒し、『恐怖』を集めやすいという利点がある。
このような実装により、上述した位置関係を合わせて、ゲームのメインとなるパズル構造を構成しているつもりだ。
まとめ
デッキからどのようにユニットカードが公開されるのかや、ダイスのランダム性が、各ゲームにおける固有の問題を生成する。それに対し、次のラウンドも見据え、リソースやリスクを管理するゲーム(にしたつもり)だ。
ダンジョンにおけるユニットの位置関係や耐久力、与えられるダメージの範囲や量を考え、なるべく多くの『恐怖』を手に入れ、ゲームクリアを目指すことになっている。
そして、それらの基本構成は上記のような考えによって、設計された。
本作に触れる機会があり、それにより僅かでも楽しい時間を過ごせたり、何らかの学びが得らえるようなことがあれば、筆者は嬉しく思う。
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