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「私は一人、ダンジョンで目が覚めた」のデザイン過程ノート

 ここでは、ゲームマーケット2022秋で発売予定の「私は一人、ダンジョンで目が覚めた」のゲームデザインの過程を振り返る。これにより、ご購入前にゲーム内容を判断しようという方の助けになったり、何かゲームをデザインする際の参考になれば、幸いだ。

 本ゲームの概要、特徴は以下の記事に詳しい。



過程

1.死にゲーの一部をアナログゲーム化できそう?

 多くのゲーマーの年始がそうであったように、ご多分に漏れず「エルデンリング」をクリアした筆者は、似たようなゲームをまとめてプレイしようと思い立ち、以前、さわりだけプレイしていた「SEKIRO」を引っ張り出してきてクリアした。何なら、何周もしたし、「Sifu」など「SEKIRO」に似たゲームも複数プレイした。

 これらのゲームは面白かったのだが、感想をみてみると、アクションゲームゆえに倦厭されている節があるように感じられた。実際にはそんなことはないのだが、『アクションゲームが苦手だからクリアできない……』という理由でプレイされていない方がいるようだ。特にRPG要素(レベルや装備)がないゲームほど、顕著にそう思われていた。

 しかしながら、「SEKIRO」などのゲームにおける『敵のパターンを学習し自分自身で対策を立てていき、敵の行動の予兆から自身の行動を決める』という側面は、別にアクション性(あるいは、リアルタイム性/敏捷性/器用性)がなくとも成立するように思えた。もちろん、身体的なフィードバックにおける面白さ、つまり、タイミングよくボタンを押すことによる弾きの音や感覚、没入感は面白さの大きな一翼を担っているとは思うが、それが全てではない。ゲーム的に、アクション性は一種のランダム性と捉えることもできるだろう。そうなれば、これをアナログゲームにすることにより、アクションゲームが苦手な方でもプレイできるものになるのではないか、と考えるようになった。



2.ソロダンProjectという企画を発見する

 上記のゲームは、一人用のゲームになることがほとんど確定していた。そんな折、のざくに様が『一人用のダンジョンをテーマにしたゲーム』という企画で、ソロダンProjectというものを立ち上げていた。

 このゲーム原案は、フレーバーをほぼ限定しないであろうことはわかっていた。ソロダンProjectのコンポーネントの仕様にも問題なく収まりそうだと考えたため、その企画に沿ったゲームとしてデザインを始める。



3.予兆に対応するゲームとしてのFF14

 似たような時期に、「ファイナルファンタジーXIV」をプレイするようになった。このゲームもまた、敵が予兆(目に見える攻撃範囲であったり、敵が特定のモーションを行ったり)を示し、それに合わせてプレイを行うというのがゲーム構造の基盤となっていた。

 デジタルゲームではあるものの、アクション性は「SEKIRO」などに比べると低いながらに成立している。これにより、『予兆を覚え、そこから判断して行動を決定する』というゲームがやはり、アナログゲームでも成立しそうであり、十分な独立した面白さがあるだろう、と考えた。

 実際に簡単なテストキットを作って自身でプレイしたり、他の方にプレイしてもらったが、十分に面白さがあると感じられた。

 ここで、敵の行動をデッキとして表現し、両面カード(ここで言う両面カードは裏面が全てのカードで統一されておらず、表面に対応したユニークな裏面がある、というメカニクスのことを指している)を用いることで、一番上のカード、つまり、次の行動に対する予兆が裏面として見えている、というメカニクスを採用することにした。


 また、FF14はアビリティやスキルのリキャスト、という仕組みがよくできていると感じた。そのままアナログゲームに持ってくることは難しいが、似たような作用を持つ入力メカニクスを考え、最終的に現在採用しているメカニクスにたどり着いた。メカニクスそのものは、「シヴィライゼーション:新たなる夜明け」のものではあるのだが、「ファイナルファンタジーXIV」のリキャストに近い作用をアナログゲームで実装しよう、となった場合、最終的に残ったメカニクスがこれだった、ということになる。

 他のゲームで既出のメカニクスは、ルールの習熟が楽に行える可能性が高くなるので、よほどこのゲームに適したメカニクスが見つかるのでなければ他のゲームでも一般的に使われているメカニクスを採用したい、という考えもあり、これを採用した。



4.アナログ化するにあたって、適切な予兆をどうすべきか

 デジタルアクションゲームというのは、アクション性、つまり、連続的空間と連続的時間に対し、プレイヤーが操作することにより、曖昧さを確保している。(もちろん、実際にはデジタルゲームも離散的時空間を扱っているわけだが、それはプレイヤーにとって十分な細かさを持っていることがほとんどであり、プレイヤーの経験として、連続的時空間である)

 たとえば、単純に「スーパーマリオブラザーズ」をターン制にして、ピクセルも明確化し、1フレームずつ、移動・ジャンプなどの命令を出すゲームを考えてみよう。ジャンプの軌道なども明確化するとなれば、それはほとんどゲームとは言えないものになる。どうなるのかが明確化しすぎるからだ。どういう行動をすべきかは明白であり、それを選び続けるだけになってしまう。アクションゲームは、そういった選択を連続的時間の中で判断する必要があり、操作が連続的空間だから、曖昧さが残る。

 狭義のゲームというのは、こういった曖昧さを扱うと言ってもよい(厳密には語弊があるが)。アクションゲームから、この連続性を取り除き、アナログゲーム化する、つまり、(アナログ・デジタルの意味から考えると奇妙な話ではあるが)離散的にすることにより、曖昧さがなくなってしまう。よって、何かの曖昧さを実装する必要が生まれる。

 行動の予兆として、裏面にフレーバーテキストを載せることにより、曖昧さが生じるようにした。

 デザインを始めた当初では、フレーバーテキストのような文章の場合、公平性に欠ける、と考えたため、何かしらの記号のようなものを並べ、そこから行動を推測することが可能になるようなメカニクスを考えていた。つまり、敵の行動・処理に対して暗号化を行い、その暗号を裏面に載せ、表面の行動を解読する、という形だ。

 しかし、これには問題があった。

 まず一つ目としては、解読がゲームに中心になり過ぎる、というものだ。それ自体のゲームに及ぼす比率が本質的には大きくないとしても、このような提示のされ方をすると、暗号を解読する方に意識が寄り過ぎてしまう。

 二つ目に、暗号化のルールを適切にすることが難しい、ということだ。このような一定のルールによる形態の変更は、それを読み解くことができる人にとっては簡単すぎるし、そうでない人にとっては難しい。しかも、一度理解してしまうと、暗号を解読するのは容易すぎ、明白化しすぎる。

 三つ目に、システム的になり過ぎる。一人用のアナログゲームは基本的にただでさえ、実質的なパズルであるのに、暗号を解読する、というミニゲームが存在することにより、システム的な面が強調されすぎる。

 このような点から、何かしらで使えそうな魅力的なメカニクスであるが、今回のゲームには向かないと判断し、フレーバーテキストを載せることにした。ただ、フレーバーテキストとは言え、一定の法則性を持たせ、表面の脅威度をある程度推測できるようにした。これにより、曖昧さを残した。また、無味乾燥になりがちな一人用ゲームにちょっとした彩りを加えられればよいとも思っているが、専門の人を雇っているわけでもないので、オマケ程度のものになってしまった。

 ゲームというのは、実体としてはプレイヤーも含めた作用として存在しうるものである。フレーバーテキストを裏面に表示し、それを覚えたり、推測することでゲームが有利に進む、という実装は、観念的には曖昧さは存在しないが、実体的には曖昧さを実装することにより、そのプレイヤーがプレイする価値を感じられる可能性を高めたかった、というのもある。

 もちろん、どちらにせよ、これは最終的に曖昧さがなくなる部分なので、ここの曖昧さは明確になっても、ゲームとしての面白さがなくならず、ゲームとして成立するようにはしている(つもり)だ。少なくとも、作者自身はそう感じられている。(作者は裏面と表面の関係を常に把握している)



5.一人用ゲームにおける手番

 手番の管理に関しては、タイムトラックを導入することにした。これは時間をカウントする、という必要性が生まれたことにも起因しているが、その辺の話は『体力という資源をどのように扱うか』という部分にも絡んできて長くなるので、機会があれば、あとでまとめようと考えている。

(追記:あとでまとめました)

 タイムトラックというメカニクスは複数人がプレイするゲームでは実装しにくい。基本的には牛歩の戦略が強くなりすぎるし、それを抑制しようと極端な仕様にしてしまうと、逆にタイムトラックが意味を成さなくなる。つまり、調整が難しい、ピーキーなメカニクスだ。しかしながら、一人用で実装する場合には、そのピーキーさが鳴りを潜める。タイムトラックにより、実装できる遊びは結構あり、本作では複雑さを抑えるために、意図的に減らしているが、拡張性も期待できる。

 また、これは基本的に敵の行動に対応するゲームであるため、大技を上手く受けきると、大きく動くことができるという報酬とセットである、ということや、ターン制にはないミニゲーム、別軸の面白さを容易に実装できるという利点も魅力的に感じられた。



6.継続性のある効果

 特殊状態、というバフ・デバフの実装を行った。端的に言えば、継続性のある効果というものがあるかないかでは、ゲームに実装できる処理にかなりの差が生じる。煩雑になることはわかっていたが、実装を行い、防御的な行動もここにまとめていくことにより、他のルールの削減も行えた。

 加えて、タイムトラックを実装しているため、バフ・デバフの効果時間を導入することができ、タイムトラックに対し、よりゲーム的な複雑性を付与することができたと考えている。

 本作のようなダンジョンをテーマにしたゲームの場合、一般的には、このような継続性のある効果は、モンスターのような表現をされることが多い。そして、それは悪い効果を持ち、ダメージ(勝利点であることが多い)や資源などを割り振ることにより、破壊できる、などと実装する場合が多い。「イーオンズ・エンド」や「Marvel Champions: The Card Game」(これらは複数人の協力型だが、コミュニケーション阻害が存在しないため、本質的には一人用ゲームの構造と言ってよい)などがそういう実装になっている。

 ただ、このような実装は拡大再生産の要素と共存するがゆえに、より意味を成すことが多く、本作では拡大再生産の要素の実装は最小限にした方がよいと考えていたために、モンスターのような実装は行わなかった。

 拡大再生産の要素を最小限にしたのは、簡単に言えば、本作が持つ面白さを最大限にするのは、そうした方がよいと考えたためだ。要は筆者がそういうゲームが好きだから、このゲームをデザインしようと思ったわけである。つまり、筆者と同じように、そういうゲームが好きな人も多い、と考えたからでもある。

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