ずっと前から一人で
オミクロン株の勢いがすごい。
感染症とは恐ろしいものだ、と多くの人間が改めて感じていると思う。
逆に昔の日常って異常だったんだと認識させられた部分もあると思う。
例えば、コロナ前のテレビ番組を観ると、みんな気持ち悪いぐらい引っついている。
ワイドショーのコメンテーターとかも肩が触れ合うような距離で座っていて、今見ると異様な感じがする。
日常生活でも、例えば野球観戦に行けば、隣の人と体が触れ合うのはもちろんだし、甲子園だとラッキーセブンにはみんなが口で膨らませた風船を一斉に飛ばしていた。
僕も経験があるけど、誰のものだかわからない唾液が空から降ってくるというなんとも気持ちが悪い瞬間だった。
今から考えれば異様だけど、ちょっと前までそれは当たり前の光景だった。
僕はこのnoteでも何度も言っている通り、他人との距離感が近い人が苦手です。
なので、コロナ禍のこの風潮はちょっと嬉しくも思える。
電車などで体を密着させてくるオッサンに不快感があったので、ソーシャルディスタンスを保つことが今後の主流になれば、と本気で思っています。
でも、動物学の見地からしたらそれは不自然なことだったりするんですかね?
触れ合うことで安心することもあるのかもしれないですね。
いや、でもそれはあくまで好意を持った人間や血縁者、もしくは見知った人間に限られてくると思いますけどね。
見ず知らずの劇的ハゲ親父などと触れ合っても何も安らげないですからね。
「コロナが終息したらみんなで遊びに行こうね」なんてよく聞きますが、僕はそんなこと思ったこともない。
コロナがあろうがなかろうが、みんなで触れ合ったり楽しんだり、というのが皆無だったのかもしれない。
人の多い場所は避けるし、出来るだけ端っこを探す人間ですから、自ずとソーシャルディスタンスになっていた。
1人コロナ禍状態。
がまさしく常態だったので、コロナ禍がそんなに苦じゃないのかもしれない。
マスクも常にしてましたしね。
「風邪ですか?」
「あ、いや、予防です」
こんなやりとりを何度もしたことがあります。
だから、コロナが終息してもあんまり変わらないなぁ、などと思う今日この頃です。
では、また。