信じる
子育て真っ最中に、「子供を信じる」と教わりました。
我が子を、誰かを信じるとは、どこまで?
芦田愛菜さんがこの映画の完成報告会で、「信じる」ことについてコメントしていました。
当時16歳の彼女の言葉が、とてもとても深くて驚きました。
親が子供に対してだけではなく、誰に対しても通じる考えだと思いました。
「信じられない」とは、相手が悪いのではなく、その人の一部だけ(見たい部分だけ)を見て、そこからはみ出したら
「私が思っていたのとは違う、そんな人とは思わなかった」という、「わたし」の思い。
しばらく会わずにいた知り合いとの話に、違和感があると、
「なんだか変わったね。」
ドラマのセリフにもありますね。
自分が思っていたより、善い印象だと「ギャップ萌え」になったり、悪い印象だと「炎上」とか「揚げ足取り」「軽蔑」かな⁉️
自分の本当の姿さえ分析できずにいる私は、他人から「こんなところがあるんだね」と言われ、驚くことがよくあります。
自分で思っている「私」と、第3者が見た「私」が一致しないこともあります。
自分のことでさえそうなのに、他人を「こんなひと」と決めて良いのか⁉️「わたし」が。
長年時間を共にしてきた家族も、お互いに全てを知っているわけではありません。
ましてや他人なら、知り合ってからのほんの一部しか知らないはずです。
自分に都合よく作り上げた相手が、自分の枠に収まらなくても、がっかりする必要も、ましてや蔑む必要もないと、私は思っています。
そこへいくと、子供とはなんと純粋に親を「信じる」生き物なのかと、感動します。
子供が高校生活を始めて間も無く、
「ねぇねぇ、うちってさ普通じゃないよね❗️」
逆に高校生になるまでは、普通と思ってくれていたのかと思いました。
なんと素直に育ったものです😂
「私が知っている『常識』は、あくまで私の経験であって、正しいとは限らないこともある。社会に出てから『お母さんが言ったことが間違ってる』と思ったら、そこからは自分の目で確かめて、自分の感覚で見極めて。お母さんが正しいとは思わなくて良い。」
そう答えました。だって、私はけっして常識的な人間ではないから。
子供、若者の感性、感覚は、私がその頃だった時の何倍も、研ぎ澄まされていると感じます。
私が子供を信じているのは、「間違った事はしないだろう」ではなく、
「何があっても生き抜いてくれるだろう❗️生き抜いてくれるはず❗️」
その為に私に何ができるのかを、考えたいという事です。
子供から普通じゃないと言われた理由ですが、門限の8時が早すぎるし、厳しすぎる‼️でした。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました❤️