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まじか、わたしはアンパンマンだったのか。頑張りすぎる人が持ちすぎているアレを手放そうって話。

どういうわけか、頑張りすぎてしまうんです。

頑張りすぎは良くない、と分かっていても、なぜか頑張りすぎてしまうんです。
仕事は手一杯なのに、ほかの人が困っていると、つい自分のことは後回しで、手伝ってしまったり。

その時は、まあ、良いかと思いつつも、自分の仕事は山積みのまま。他の人には頼りにくい。気づいたら、同僚の方がお先にドロン。仕事もドロンとなくなってしまえばいいのに、なんて思っても仕方がないので、黙々とやる。

「あー、しんど。」

頑張ってるはずなのに、なんでこんな日々なんだろう、と。

どうもその背景にあるものは、アンパン思考なんじゃないかと思ってきました。

いろいろと、「無駄に頑張るをなくしたい」ということで、noteをかきかきしている中で、ふとたどり着いたのが、この、「アンパン思考問題」です。

アンパン思考について説明したいんですけど、もしかしたら反感を買うかもしれません。それも理解しつつ、今日は、アンパン思考について書いていきます。

すでにお察しの方がいるかもしれませんが、「アンパン思考」とは、「アンパンマン思考」のことです。

偉そうに書いたのですが、あの、アンパンマンのことです。

なにが言いたいかというと、アンパンマン的考え方が、冒頭の「あー、しんど。」を生み出す、1つの原因ではないだろうか、ということです。

ちょっと前の話なんですが、実家でお茶飲みつつ、2歳の姪っ子とテレビを観ていたんですね。テレビで流れていたのが、アンパンマン。おなじみのあのメロディーが流れてきて、平和なジャムおじさんとバタコさんが出ている。そして、ばいきんまんが、何やらたくらんでいる。

あ、カバオくんがお腹をすかせて泣いている。

あ、きたきた!アンパンマン。

ニコニコ顔で、自分の顔をちぎって、カバオくんのお腹を満たしてあげる。

そう、いつものお決まりのこと。

そう、いつものことのはずだったんです。

「?」

なんだか、「いつものこと」が、ちょっと「?」ってなりました。

「?」って何かというと、アンパンマンが自分の顔をちぎって、他人を助ける精神がちょっと、しんどい。

なにがしんどいのかって、「そこまで、しないといけないんだろうか」と思ってしまったのです。

CMをはさんで、アニメは2話目に突入。

アンパンマンがぼんやり映るテレビを観ながら、

・そうするべきよね〜
・そうしたほうがいいよね〜
・当たり前だよね〜

という、声が、心の中で聴こえてきました。

「ありがとう、あんぱんまーん!」

気づいたら2話目終わって、エンディング曲が流れてくる。

「アンパンマンは君っさ〜♫」

まじか。わたしはアンパンマンだったのか。

改めて聴くと、すごい歌詞だ。

アンパンマンは、どんなときでも、人を助ける。

アンパンマンは、君だ、と歌っている。

そうか、わたしは、アンパンマンなのか。

どんな時でも、人を助けるアンパンマンは、君なんだと言われてしまった。

アニメを観ていて、急に「人を助けるのが普通だ」と、誰かから言われている、そんな感じを受けたのです。

「あれ、なんかちょっと、アンパンマン、アレかも。」

もしや、アンパンマンが、アレを引き起こしているのかも。

アレって、なにか説明すると、なんだか、アンパンマン的思考が心に染み付いてベッタリ離れなくて、気づかないまま生活している。ふとした瞬間に、意識しないまま、自分を置き去りにして、ついつい他人を助けてしまう。

「知らず知らずに、アンパンマン思考で、人は頑張りすぎちゃうのではないか」と思ったのです。

もちろん、他の人を思いやったり、困っている人を助けるべきじゃない、という話ではなく。

アンパンマンというアニメ全体が苦しいというのではなく、なんだろう、アンパンマンというキャラは苦しいけど、カレーパンマンは観ていても苦しさを感じない。

なぜ?

「あ、過度な使命感、いや、責任感。」

たぶん、コレだ。

過度な責任感が、頑張りすぎを引き起こすのではないか。

いや、頑張るのは良いんだけど、他人の範囲の仕事を引き受けすぎたりしすぎてしまう。一方で、アンパンマンは、助けをあんまり求めていないイメージ。そう、自分の仕事は他人には頼れなかったりしてしまうのではないか。

ああ、そうか。

まずは、この過度な責任感を手放さないと、頑張りすぎる人はなくせないんだ。

では、過度な責任感を手放すにはどうしたら良いのか。

その心理的ハードルが越えられたら、楽になる。

人生も楽しくなる。

「アンパン思考」を手放せば、人生が楽しくなる。

そう思います。


ここまで読んでくださりありがとうございました。

心理的ハードルの乗り越え方については、今後、こちらのnoteでお伝えしていきます。

さて、ビビリなので補足。

世の中の親たちは、アンパンマンに助けられている(子守りほか、さまざまな面で)ということは、理解しています。

そして、例に漏れず、我が家もそうです。

ありがとう、アンパンマン。

そして、戦争を経験された、やなせたかし先生が、ああいったヒーロー像に込めた思いも知ったうえで、このnoteを書きました。

ちょっとだけ、アンパンマンにしんどさを感じた自分の心を大事にしたい。

それを補足して、終わりにします。











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