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他力本願って、本当に悪?『ポジティブ他力本願』のすすめ

「他力本願」の本来の意味をご存知だろうか。

普段、「他力本願」は、「他人の力を当てにする、他人任せ」という意味で使
っているだろう。


あまり良い単語ではないはず。

ふいに、「他力本願」って、本当に悪いことなんだろうかと思うことがあった。

それは、あまりに、「個人頑張れ」の中で生きているような感覚に陥ることが増えたからである。

歳を重ねるごとに、そしてキャリアや子育てなど、ライフチェンジを繰り返す中で、

「あれ、なんか、しんどくない?」
「みんな、普通の顔して、こんなに頑張ってるの?」

と。

あなたも、こんなふうに思ったことはないだろうか。

けれど、忙しい毎日で、こんなふとした思いも、吹き飛んでしまう。考えたって、しょうがないから、どうにか毎日を乗り越えてしまう。

だから、今日はちょっと立ち止まって、「他力本願」って、本当に悪いこと?かを考えてみたい。


「他力本願」って悪い意味じゃなかった!

Googleで、「他力本願」と入れてみてほしい。このワードを検索したことがあるひとは、少ないのではないだろうか。

おそらく、驚くはず。

というのも、一気に、お寺のウェブサイトでこの言葉を紹介するページが溢れているから。そして、最初に目に入るのが、

誤解して使っていませんか?

である。

誤解して使っていませんか?

 「この一敗で、自力じりき優勝の道は絶望ですね。あとは、他力本願に頼るしかないですね」

 スポーツ報道でよく聞かれる話です。

 この場合、これからいくら勝ち続けても優勝はできない。今度は相手が負けるのを待つしかない、という意味でしょう。

 このように「他力本願」は、もっぱら他人の力をあてにする、他人まかせという意味で、いろんな場面で使われています。これはたいへんな誤解です。

 親鸞聖人は『教行信証』に「他力といふは如来の本願力なり」と明示しておられます。

 だから、他力とは、他人の力ではなく、仏の力、阿弥陀仏の慈悲のはたらきをいうのです。

 仏さまの生きとし生けるものを救わずにはおれないという強い願いのはたらき、これが「他力本願」なのです。

 今、本願寺では、親鸞聖人のご正忌報恩講が勤められています。この期に、聖人の根本の教えである「他力本願」を正しく理解し、聖人のみ教えに生きたいものですね。

西本願寺ウェブサイト:https://www.hongwanji.or.jp/mioshie/words/000255.html


ちょっと分かりにくいので、要約+補足してみますね。

・「他力本願」は、もっぱら他人の力をあてにする、他人まかせという意味で、いろんな場面で使われてるが、誤解である
・もともとは、鎌倉時代の親鸞が開いた浄土真宗の用語
他力とは、他人の力ではなく、仏の力、阿弥陀仏の慈悲のはたらき。
・仏さまは、救わずにはいられない!という強い願い(本願)、つまり、仏さまの強い願い=「他力本願」。

まさかの、仏さまだった。

他力本願って、悪い意味じゃなかった・・・。

というより、「他力本願」って、いい意味だ。

38年間、誤解してた・・・。

困ったことを自分で抱え込むリスク

話は変わるが、10年間、国家公務員として働いた経験で、良かったことの1つに、日本の社会構造をよく理解できた、ということがある。

法律制定、規制が作られること、ステークホルダー間の意思調整からの、決定。色々と経験させてもらった。

悲しいかな、その問題が、「問題か、問題でないか」はいわゆる声が大きい人が発言することに左右される。

つまり、人々が感じている問題が、社会問題として表在化するのか、はたまた、個人の問題で終わる(終わらせられる)のか、は、影響力がある人が、「社会の問題だ」と思うか否かが重要なのだ。

言い換えると、「わきまえちゃう人」は、個人で頑張らざるを得ない社会構造になってしまっている。

だから、言いたい。

声をあげることが大事。

「個人の問題は、社会の問題」という言葉がある(誰の言葉か調べても分からなかった。)

これ、めっちゃ大事だから。

個人がつらい、大変と思っているその問題は、他の人も、同じように抱えている。これこそが、社会の問題なのだ。

「社会問題」というと、大きすぎると思うかもしれない。

繰り返すが、「個人の問題は、社会の問題」なのだ。

だから、個人で抱えている問題は、外に出すことが重要だ。そうすると、同じ問題を抱えた仲間が集まって、「社会の問題」として、外に出てくる。

すると、政治家や、行政、影響力があるひとたちが、気づいてくれる。そして、「社会問題だ!」となってくる。

そうなると、政治的解決なのか、行政か、はたまた、民間サービスが、解決策を提案してくれるかもしれない。

もちろん、政治や行政に期待していない人もいるだろう。でも、まずは、気づいてもらう。社会が変わるのは、そう、まず、気づいてもらうことが大切。

と、話が大きくなって、前置きが長くなってしまった。

伝えたいのは、

1)個人の過度な頑張りは、何も生まない。

個人の問題、個人の責任と判断されて、誰も動いてくれない。しかも、「個人でどうにかなっている」問題だと認識されてしまう。これは、政治家にとっても、行政にとっても、都合がいいのだ。

2)社会の問題となれば、何かが生まれる。

重要だから、何度も繰り返させてほしい。

「個人の問題は、社会の問題。」

社会の問題として認識されたら、何かが生まれる。法律なのか、行政サービスの向上なのか、はたまた、それができないとき、民間の新たなサービスが生まれるかもしれない。

他力を求めることは、悪?

おっと、突然、社会問題の話をしだしたぞ。どうした。仏に神頼みするんかい、いや、そんなはずないか、とここまで読んでくれた方は、お思いかもしれない(思っていないだろうが)。

「他力本願」は、本来、仏さまの力、願いである。これは理解しつつも、あえて言いたい。

他人、頼っても良くね?

他人、頼っちゃえば、良くね?


力抜いていこう

ねぇ。もう、一人で色々がんばるの、ムリだよねぇ。

『ポジティブ他力本願』のススメ

一人で頑張るのムリだわー、と思ったときがカギである。

そろそろ、他人に頼るドアをこじ開けてみてはどうか。

ポジティブに「他力本願」しても良いのではないか。

勘違いしないでほしい、もちろん、「全部、誰かやってよ!よろしく!」とぶん投げるような、私たちおなじみの「他力本願」はオススメしていない。

ここで提唱する『ポジティブ他力本願』とは、

・ポジティブな思いで、自分の困りごとや苦手なことを、他人・他力を使って解決しよう
・困りごとをどんどん外に出して、社会問題化していこう
・そうすれば、同じように困っている他人も救うことになる

である。

『ポジティブ他力本願』

あれ、他人頼るの悪いと思ってたけど、社会のためなら、良いかも!

と、考えてみてはどうか。

他人・他力をフル活用して、もっと楽に生きてみませんか。

他人・他力をフル活用して、もっと、自分の人生を楽しみませんか。


「分かってるけどさ、なかなか頼れないんだよね〜。」

そんな声が聞こえてきそうです。

分かります。他人に頼るには心理的ハードルが高いですよね。

私も、他人に頼れなくて、「自分でやったほうが早い!」なんて考えて、苦しんでを繰り返して来ました。

今は、日々、他力フル活用して、やりたいことをできています。

これから、
・心理的ハードルの手放し方
・他力フル活用で、自分のやりたいことをやろう!
というテーマのnoteを追加していきます。

ぜひ、マガジンもフォローしてみてくださいね。

また、「ムリ・ムダカットで人生を変えるnote」では、「個人のもうムリ!」「ムダやんこれ!」を徹底的にカットし、楽しく毎日を送るヒントをお伝えしています。日々にお疲れの方は、箸休めにどうぞ。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


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