ちくしょう!簡単な自己紹介を書くつもりが、6,621字になってた
はじめまして。
『無駄を排除&やりたいことに注力するnote』を書いています、サイトウケイコと申します。
ここまでたどり着いていただき、ありがとうございます。何かのこ゚縁、少しだけ覗いていっていただけたら嬉しいです。
自分の経験や考えが、困っている誰かの役に立つなら、という思いでnoteを書いています。
noteのテーマは、『無駄を排除&やりたいことに注力するnote』。
長いアカウント名です。だって、伝えたいことがありすぎて、一つに絞れなかったのです。
ここでは、「お前は誰なんじゃ」、「なんでお前がその内容を書くんじゃい」、「そのnoteを書く資格はあるんかい」という素朴な疑問について、回答すべく、自己紹介をしていきます。
◆プロフィール
山形県村山市生まれ。
勉強は嫌いだったが、作文と面接という推薦制度で進学校に進学。にもかかわらず、再び勉強をサボり、高校時代は演劇部にのめり込み、数学で5点を獲得するという落ちこぼれになる。漫画『動物のお医者さん』にあこがれ、獣医学部を目指すが、自分に合った勉強方法、強みを知らないまま大学受験に失敗。全科目網羅をあきらめ、自己推薦制度を利用して、獣医系の大学に入学する。大学では、牛や個性的な友人に囲まれた大学ライフをおくり、卒業後、獣医師となる。その後、感染症対策や、世界に広がる仕事がしたいと思い、厚生労働省に入省。
入省後は、食品の安全性に関する業務に従事。その後、環境省に出向し、獣医師として動物の虐待防止などの動物愛護業務に従事。
2020年に退職し、現在は、「無理をしない」、「何にもしばられない」をモットーに、日々試行錯誤中。
・・・なんか、カタイ。
◆どんな思いで、noteを書くのか
わたしは、現在、38歳です。これまで、「普通」に大学に行って、就職していれば、家も買えて、旅行も行けて、おとなになったら、「普通」に楽しい人生を送れると思っていました。
けれど、いわゆる「普通」で、かつ、国家公務員という「安パイな王道」を進んできたのですが、なんだか違う。なんだか、言い表せないのですが、思い描いている人生と違う、そんなもやもやした日々を、過ごしていました。
・なぜ、もやもやしていたのか
・どうやって、もやもやから脱出したのか
・もやもやから脱出した先にあったものは
以下に色々と書いていきますが、これまで痛い目にもあいつつ、もがいてきました。この経験が、誰か、同じように日々、モヤモヤしている誰かに役に立ってもらえたら良い。こんな思いで、noteを書いています。
◆はたして、私にそのテーマを語る「資格」があるのか
「無駄を排除」&「やりたいことに注力する」というテーマで、noteを書いています。その資格がはたして、私にあるのか、疑いの目を向けられていることでしょう。
「その資格がある」という理由を、これから書き連ねていきます。
*
と、箇条書きで簡潔に書こうと思いましたが、これまでの人生経験が大きく関与しているので、散文ですが、人生紹介にお付き合いください。
<自由謳歌期:幼少期〜高校>
わたしの一番、素直で、自由に生きることができていた時代です。
プロフィールにも書きましたが、勉強が嫌いでした。
というよりむしろ、「好きなこと以外、頑張れない」子どもだったと思います。
そして、自分なりの「やる意味」を見いだせないと、できない。
だから、夏休みの宿題は、最終日に泣きながらやったことを思い出します(先生に怒られたくないから、やるはやる。)。
そんな幼少期でした。
好きなことは、「何かを作り出すこと」。
特に、工作。ご飯も食べずに、熱中していた記憶があります。
高校生になって、熱中したのは「演劇部」。これも、仲間と、1つの舞台を作り上げることに夢中になりました。
「演劇部」は、知らない方は、「え。なんかマニアック。」「発声練習とかして、キモチワルイ。」なんてイメージを持つかもしれません。
この経験から、
・演出家の立場になって、客観的な視点をもつこと
・勝ち負けや、正解・不正解がない世界があること
・部員のバラバラの意見をすり合わせて、皆が納得する形を模索すること
の重要性を知ることができました。
おっと、脱線しました。「無駄を排除」&「やりたいことに注力する」のテーマを語る資格、を書いているのでした。
高校時代は、勉強が嫌いで、かつ、定期テストでは数学5点を取るほど。でも、そこから浪人は1年したものの、獣医学部へ入学しました。
数学を頑張るのは、嫌。入試に必要だと理解しているけれど、自分が数学に100時間かけるくらいなら、他の部分に100時間かけたほうが、成果がでる。
本能的にそう思っていました。
そこで、獣医学部に入るために、「真面目に5科目勉強する」のではなく、別の手段をひたすら考えることに時間をかけました。
・国内は難関なので、海外の大学に入る方法
・海外の大学に入って、奨学金を得る方法
・転学科したほうが楽?社会人入試はどうだろう。
と、本気で考えていました。
その結果、浪人生でも「推薦」という形で入試をしている大学を発見しました。高校の成績表は、散々でしたが、「面接」と「小論文」が求められる。
この2つだったら、自分は勝てる!と思う方法を見つけることができたのです。
このように、「獣医学部に入学する」という目標に対して、「5科目勉強」とう手段ではなく、自分が勝てる「面接&小論文」という手段を見つける重要性を知りました。
目標達成は、最短・最速でしたい派。
「手段の模索」は、「無駄な努力」を最低限にする魔法の方法だったのです。
ちなみに、就職先として、厚生労働省を選んだのですが、この入省の試験も、「面接&小論文」対策をがっつりして、合格できました。
努力の方向性を間違うと、目標達成から遠ざかる。
努力の方向性を間違う=無駄な努力。
これを伝えたくて、noteに日々書いています。
<『努力迷宮』に迷い込む、どん詰まり期:大学〜社会人年目>
大学生になって、多くの出会いがありました。山形県のど田舎で、幼稚園から中学校まで同じメンバー50人で過ごしたわたしにとっては、大学デビューだった、と言っても過言ではありません。
今となっては笑い話ですが、はじめて目の前で、本物の「関西弁でしゃべる人」を見たのです。山形県民にとって、「関西弁=テレビの中の人」。その勢いや、日本全国から集まった、個性豊かな同級生に圧倒され、大学早々、「新しいコミュニティに入る」ことに、簡単に言えば、失敗しました。そして、コミュニケーションの壁にぶち当たることに。
これまで自分が「当たり前」と思っていた、コミュニケーションが、通用しなかったのです。
「コミュニケーション」については、社会人になってからも痛い目に合いました。ですが、一念発起し、試行錯誤の末、現在は、滞りなくできています。この部分も、別の機会にnoteで書いていきたいと思います。
おっと、また話がそれました。「無駄を排除」&「やりたいことに注力する」のテーマを語る資格、を書いているのでした。
大学から、社会人になってから、「自分がどうなりたいのか」がよく分からなくなっていました。
それは、なぜか。そして、なぜ脱することができたのか。
このあたりが、キーとなっており、noteでもこの経験から得た知見をお伝えしています。
端的にいうと、「何か頑張ったほうが良いという風潮に、自分も乗っかって、頑張らなくていいことまで、頑張ろうとしていた。」のです。
あれ。全然、端的じゃなかった。
どれくらい、さまよったかというと、社会人になってから、約10年、1000万円は無駄な努力に費やしました。
20〜30代の貴重な時間。
公務員で、残業三昧で、体力も気力も費やして得たお給料を。
週末の大事な労力を。
無駄にしてきたのです。
でも、今は、ゴニョゴニョ試行錯誤して、脱することができました。
この苦い経験が、自分の知見が、誰か同じように困っている人の役に立つなら。
こんな気持ちで、noteを綴っています。
自分の経験を出すのは、勇気がいりますが、note住民の方なら、きっと優しく見守ってくれるはず・・・。
<思考停止期:入省〜社会人9年目>
どん詰まり期と並行して、「思考停止」していた時期です。
国家公務員、入省前に、ある「入省1年目の官僚の一日」がパンフレットで紹介されていました。
もう、13年前のパンフレットなので、残っていないのが残念ですが、
夜中1時に国会対応、帰宅。
朝、9時に出勤。
おぼろげな記憶ですが、こんなことが書いてありました(今は、さすがに公のパンフには書かないはず)。
「まさか〜。盛りすぎでしょ!」
と、スルーした自分。
人は、見たくないものは見ない、信じない生きもの。まさに、その一例となるような行動です。
当時も、「官僚は激務」という情報はあったと思いますが、その情報に目をつぶり、国際的な仕事がしたいという理由で、国家公務員を選びました。
もう、ここまで読んだ方は、想像できますよね。
私も、類にもれず、本省にいたときは、なかなか夜遅くまで残っていました。もちろん、毎日ではありませんが。
本当にやるべき仕事は、夜の21時からようやく開始!よしッ!という時期もありました。
こんな生活の先にあるのは、「思考停止」。
朝、ぼーっと起きて、満員電車に駆け込む。
ぎゅうぎゅうの車内で、「無」になって、スマホをどうにか取り出す。
見ているのは、Twitterか、ピッコマの細切れマンガ。
通勤途中に、英会話を聞くぞ!と思っても、長続きしない。
週末は、疲れて休みたい。でも出かけないともったいない。だから、昼過ぎから、新宿にでも出かけて、欲しくもない洋服を見て、ふらふらする。
夜になって、ああ、明日からまた月曜だ、とちょっと沈んで、寝る。
仕事は忙しい、というより、やることが多くて全体が分からない。
けれど、他の人に頼れない。自分が一番知っているし、自分でやった方がはやい。けど、その時間がない。やる気もでない。でも、もっとうやれるはず。
いっそのこと、このまま倒れてしまえたら、楽なのに。
思考停止しながら、自分で、自分を「搾取」している日々でした。
分かっちゃいるけど、頼れない。頼り方が分からない。
頼るの、難しいよね、日本人。
あれ、でも、他人や他力に頼ることができないと、自分も苦しい、そして、周りにいる人も苦しめる。
しかも、こんなにも「個人がんばれ社会」って、おかしくない!?
あとさ、「無駄な仕事」多すぎない!?減らせたら、みんな早く帰れるよ!?
ふと、気付いた瞬間がありました。
気づいたら、早かった。
「頼る」重要性、そのスキルは、磨けること、そして、どんどん仕事も、生きるのも楽になる。
頼るのが苦手で、つい、自分で頑張りすぎる方へ。どうにか、届いてほしい、役立ってほしい。そんな思いがあります。
また、時間的拘束が多く、自由な時間がない。
でも、どうにか、自分の時間は作れる。
時間の使い方を見直し、忙しくても、自分の趣味の時間を取ることもできるようになりました。
自分の時間は、作れます!
なんの話やら、よく分からなくなってきました。
暗い話が多くなりましたが、公務員時代、たくさんの同僚、先輩に可愛がっていただきました。激務ながら、人格者に囲まれ、人間的にも成長させてもらいました。激務のなか、子育てし、仕事の成果も出し、しかも週末もエンジョイしているというスーパーサイヤ人がたくさんいました。今でも、大好きな方々です。お世話になった方への感謝は、しきれません。
<人生の休止期:退職〜3年>
退職して、ひゃっほーーー!今日から自由だぜ!となったのもつかの間、自分が何がしたいのか、明確になっていない自分は、すぐに毎日の過ごし方が分からないことに気づきます。
だって、3歳から幼稚園に入り、小学校、中学校、高校、大学、職場、と、週に5日は行く場所が、ずっとあったからです。
急に、自分が毎日行く、コミュニティを失った私。
しばし、ボーゼン。
急に、スマホが鳴らなくなる。
鳴るのは、どうでもいい、広告だけ。
海外に行こう!と思っても、当時はコロナ禍まっただ中。
と言ってはいますが、なんだか、とにかく行動するパワーがなかったように思います。
公務員として働いたのは、10年ですが、まるで20年分は働いた!という感覚でした。
当時は、のんびり過ごしつつも、「今日、どうしよう!?」と少しだけ不安になっていました。
公務員を辞めるとき、「これからは、本当にやりたいことしかやらない!」と心に決めましたが、早々に、揺らぎ始める。
つい、不安で転職サイトに登録してみたり。
でも、すぐに、自分の決意を思い出し、淡々と過ごす日々、丸3年。
この期間は、誰とも会いたくなく、連絡も取りたくない状態。
でも、ふっと、3年もそんなプチ引きこもりを経験すると、急にウズウズ。行動したくなる自分がひょっこりし始めます。
自分でも、不思議な瞬間でした。
人生には、休息が必要。
積極的な、キャリアブレイクは重要。
そんなことを十分に理解した日々でした。
◆つまり、何が言いたいかというと
ここまで、長文を読んでくださった方は、いないと思うのですが、つまりまとめると、これまでのさまよった経験から、
・無駄な努力は、みんなでなくしていこうぜ!
・他力、他人にどんどん頼ろうぜ!
・無理しても良いことないよ!
・それで、やりたいことに注力していこうよ!
そういう社会を、一緒に考えようぜ!
ということを、noteで書いていきたい、誰かに届いてくれ、と思います。
◆今後、やりたいこと
もはや、ここまで読んでくださった方がいたら、奇跡なのですが、いま、思い立って、法人を作り、なにか始めようとしています。
やりたいことが決まってから、法人を作るんでしょ!?と突っ込まれそうですが、勢いで、作りました。
だって、法人作ったら、税金がかかるから、必死でやるでしょう(たぶん)。
これからまた、変化があるかもしれませんが、やりたいことを書いていきます。ぜひ、アイディア、面白そう!と思った方、連絡ください。マジで働きます。
・個人が頑張りすぎている!まずは、個人が、無駄なこと頑張りすぎる仕組みをなくす ← このnoteで、個人に届け。今は、端的な情報を書いているけれど、そもそもの歴史的・文化的背景も深堀りしたい。
・社会も頑張りすぎている!ゆくゆくは、企業の無駄なことを排除する仕事に取り組みたい ← 国家公務員的に、おそろしく意味をなさない雑務をたくさん経験した私には、絶対できると信じている。
・知識は力なり。10代のころに選んだ人生の選択は、どんどん変わって良い。 ← 生涯教育に関することをやりたい(まだぼんやりしている)。
突然、なぜ生涯教育か、というと、
【理由①】田舎で生まれ育つと、じじばばに囲まれてたことが多い人生なんですね、私。じじばばって、(もちろん、自分もすぐにそうなるんですが、尊敬の意を込めてこう呼ぶ、)生きてきた時間が、当たり前ですが、長いんですよね。だから、もちろん人によるけど、経験から得た知識が面白いし、深いことが多い。私たち世代より若い人が、多くの情報や知識を流す社会構造になっている中、こういうじじばば世代の当たり前の知識って埋もれがちだし、ゆくゆくは消えてしまう。
なんか、もったいないな、活用できないかなと。
【理由②】やっぱり、格差を埋めるには、教育というか、知識が重要。勉強=学校=学ぶこと、という意識が強い日本。なんて、もったいない。年代に限らず、「知る」ことで、生きるのが楽になったり、楽しくなったりする。そんな当たり前のことを、情報過多のこの時代に、なにかできないだろうか。そして、上にも書いたけれど、10代のころ、選んだ進路に囚われすぎている人が多すぎる。もっと柔軟に、キャリアチェンジしていいと知ってほしい。
と、あくまで現時点(2024年10月)なので、また都度都度、考えて、動いていきます。
まさか、ここまで全部読んでくださった方がいる、とは思っていませんが、もしいらっしゃったら、こんなにも嬉しいことはありません。そして、あなたの貴重なお時間をいただき、ありがとうございます。
役立つ情報、これからも書いていきたいと思います。
誰かの役に立ちますように。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?