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くのがになったらむ

今の会社に勤めてから早いもので4年がたった。
新卒で入社した会社は、ベンチャー企業特有の「イケイケ感」についていくことができずに1年で辞めた。
そんな環境で働くのが嫌になった私は在職中に転職活動をし、実家から10分ほどで通える今の会社に入社した。
自分なりに仕事をこなせる楽しさを見つけ、やりがいを感じられる瞬間もあれば、「なんでこうなるの...!」とどこかにぶつけたくなるような苛立ちが突然訪れることもある。そんな平凡な社会人生活が、ちょうど体に馴染んできたところだ。

でもいくらやる気とストレスを上手くコントロールできるようになったって、
「あぁ〜。もう仕事やめようかな」
と思いながら帰宅する日がないわけではない。
そういう日は物事すべてに対して無気力になり、ため息をつく勢いに任せて玄関のドアを開ける。適当に靴を脱いでリビングに向かうと、そこにはお昼過ぎから寝ているのであろう父の姿。ここでもう一度出そうになる大きなため息を、私はなんとか吸い込んだ。

父は昨年会社を辞めた。理由は持病の間質性肺炎が悪化したため、体力的に仕事を続けることが難しくなったからだ。仕方のないことだとはわかっているけれど、元気だったときから家の仕事はあまりやらない人だったので、どうしても「また自分だけ...」と思うクセが抜けない。
母が仕事から帰り一息つくまもなくキッチンに立っている中、帰宅後一番に冷蔵庫に向かいビールを飲みながらテレビを見て、食卓に食事が運ばれてくるのを当たり前かのように待つ父を、私は物心ついたからときからずっと見てきた。夕飯が終わっても洗濯物を畳むという家事が残っているのを知らない父は、夜遅くまで夕飯のおかずを肴に晩酌をする。それを片付けるのももちろん母か私だ。
すごく冷たく聞こえるかもしれないが、元気だったときを思い出して「あの頃はこんなこと簡単にできたのにね」なんて悲しむ瞬間はまだ訪れていないし、正直なところ父が病気であるという実感も湧いていない。面倒くさがりでいつでも受け身というのが、昔から変わらない私の父の印象だ。

そんな父から私は、同じく面倒くさがりなところをしっかりと受け継いでしまっているのだが、それとは別に、読書好きな血も引いている。
子供の頃、朝食を食べるときにはいつも父の本棚が目に入った。
小学生ながらに読めるタイトルとそうでないタイトルがあったが、それらを端から端まで頭の中で唱えながら、まだボーッとする頭を目覚めさせるというのが習慣になっていた。それこそ今で言うところの7歳女児のモーニングルーティンだ。
その中でもなぜか毎回気になるタイトルが一つだけあった。それは
「くのがになったらむ」
というタイトルで、語感が気持ちよくてその言葉だけは何度も頭の中で唱えてしまうほどだった。正確には使っている漢字のすべてがまだ習っていないものだったため、送り仮名であるこの9文字しか読むことができなかったのだが、不思議とこのフレーズをとても気に入っていたことを今でもよく覚えている。
まだ半分寝ぼけている頭の中で「くのがになったらむ...」「くのがになったらむ...」と繰り返し、そこから隣の本、そのまた隣の本、とタイトルを順に唱えていくうちにご飯も食べ終わり、目も覚めてくる。社会人になった今は、朝食を食べずに会社に向かうことがほとんどになってしまったけれど。

父は病気になり家にいる時間が多くなった今も、読書だけは変わらず続けている。先日は昔買ったことのある本とまったく同じ本を再度買ってしまったという出来事も起こった。
母と3人で本屋に立ち寄った際、父が手に取った本を見た母が「これうちにあるよ」と言ったのだが、父にはピンときていなかったようで、結局購入して帰ったのだが、帰りの車の中でも家に着くまで母はずっと「絶対それ買ったことあるって」と言っていた。
そして家に帰り実際に父の本棚をみてみると、母の言う通り同じタイトルの本がそこにあった。父がその日購入したのはソフトカバーだったのだが、本棚にあったのはハードカバーのもので、「もうなにやってるんだか...。」と思い、ふと本棚から目を離そうとしたとき、見覚えのある9文字がパッと目に入った。
それは子供の頃何度も唱えた「くのがになったらむ」の文字。
そして大人になった今だからこそ、そのタイトルを正確に読むことができた。

「働くのが嫌になったら読む本」

その本の本当のタイトルを、私はその時初めて知った。
面倒くさがりで家事を手伝わず、帰宅してすぐにお酒を飲んでくつろいでいた父が、私は昔からとても嫌だった。でも実際は私の知らない外の世界で、父は必死に闘っていたのだ。私と同じように「もう仕事やめたいな」と思いながら帰ってきた日もあっただろう。けれど未婚で子供もいない身軽な私と、その頃の父は全く状況が違う。守らなければならない人たちがいるからこそ、簡単には逃げ出すことができないという状況の中で、嫌なことがあっても毎朝会社に向かっていたのだ。この本が我が家にあるということは、実際に父が悩んでいた時期があったという証拠だ。それを考えると胸が締め付けられるくらい苦しくなった。特に転職を経験したことのある私は、仕事を辞めたくなったときの辛い気持ちが、痛いほどよくわかる。あの9文字を唱えていたのはもう20年ほど前のことになるが、あの頃からずっと、この本は父の本棚にある。

父が必死に働いてくれたおかげで今の私があるのだ。ご飯やお弁当を作ってくれたり、悩みをきいてくれたり、いつも目に見えるかたちで助けてくれる母への感謝は伝えていても、父にちゃんと感謝を伝えたことはあったっけ。必死に稼いだお給料のほとんどを家族のために使い、自分はわずかなお小遣いだけ。今思い返せば我が家に犬がいた頃、毎日散歩に行っていたのは父だったな。面倒くさがりで自分ばかり楽をしているというイメージで決めつけて、忘れてしまっていることや気付けていない大事なことが、実はたくさんあるのかもしれない。

休んでいる父の姿をみながら、あの9文字を頭の中で唱える。
普段の家での様子からは、やっぱり家族のために闘ってくれていたなんて想像できないけれど、面倒くさがりでも滅多に怒らない優しい父が、残りの人生をなるべく健康な体で生きて欲しいとそう強く願う。そして私は「今日も1日頑張ろう」とこの魔法の9文字で自分に喝を入れ、いつも通り会社へと向かうのだ。


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