じいじと私の甘いもの放浪記
「おい、ソフトクリーム食わだ」
遠出をしてSAエリアに立ち寄るたびに、じいじは笑顔でこう言ってくる。
自分一人だけ食べるのは罪悪感を感じるのだろうか。必ず仲間を作りたがる。
ここで私が断るとこの人は食べることを諦めてしまうので、私は毎回付き合いのつもりで一緒に食べる。まぁ、奢ってもらえる私にとっては棚ぼたな出来事なのだけれど。
私が“じいじ”と呼んでいるのは母方の祖父のことで、父方の祖父母と区別するために、物心ついた時からアラサーの今もなおずっと、私は母方の祖父母のことを“じいじ”、“ばあば”と呼んでいる。
そしてこのじいじ、とんでもなく甘党なのである。
しかも食の好みもとにかく偏っており、ばあば曰く「3度の飯よりスナック菓子」なのだそう。たしかにじいじの家に遊びに行くと、廊下に置かれたダンボール箱からストックのお菓子が次から次へと出てくる。しかも出てくるのはお年寄りが好きそうなどらやきやおせんべい、正体がよくわからないカラフルで四角いゼリーとか、そういうものではない。大学生のホームパーティーみたいなラインナップで、一緒に飲むのは三ツ矢サイダーかコーラ、ファンタグレープ、たまにカルピスといったところ。ジュースを片手にポテトチップスとチョコを頬張りナショジオアワーを観ているじいじの姿は、なんだかアメリカのキャラクターにいそうな感じだ。
食べるものがお菓子であっても、食欲のあるお年寄りというのはとても元気なものだ。根っからのアウトドア派で何にでも興味を示す性格のじいじからは、しょっちゅう「あそこへ行こう」「ここに行ってみたい」と誘いの電話がかかってくる。忙しいときはやんわり断るのだが、そうすると「俺も先が長くないからなぁ...」とすぐ自分の残りの寿命を引き合いにだしてくる。普段はスナック菓子ばかり食べていて健康なんてこれっぽちも気にしていないくせに。本当にずるい男である。
そう言われてしまうと、もう話すことができなくなってしまったじいじの横で「あのとき一緒にでかけてあげればよかった...。」と涙を流す自分が思い浮かんでしまうので、結果的に毎回予定を調整することになるのである。
そんなじいじは食べ物に対しても興味関心が高く、グルメが立ち並ぶサービスエリアや食べ歩きができるような観光スポットが大好きで、行く先々で新しいスイーツなんかを見つけるたびに、関心したそぶりで見つめながらおもむろにお財布を取り出し、私に向かっていつもの笑顔を向けてくる。
「おっけい、それが食べたいってことね」と心の中ではとっくにわかっているくせに、私も白々しく「なに?どうしたの?」と聞いてみる。
そうすると何も言わずに顎だけを使ってクイッと商品を指し、目で合図を送ってくる。私が「美味しそうだね」と言うとそれは同意したということになり、じいじは「2つで」とお店の人にお願いをする。サービスエリアや観光地でご当地のソフトクリームを買って食べるたびに、私にはそんなじいじの顔が思い浮かんでくる。
つい先日も、旅行の帰り道に休憩のため立ち寄った談合坂のサービスエリアで、じいじは私に「おい、見てみろ、これすごいぞ。」と、生クリームの写真が一際目を引くクレープの看板の前をうろうろしながら何度もそう言ってきた。私は疲れがたまっており若干車酔いもしていたのでクレープの気分ではなかったのだが、ここで断ったら後ろ髪引かれる思いでじいじが帰ることになると思い、「美味しそうだね」と言って、私は砂糖だけがかかった一番シンプルなクレープを選んだ。優しい甘さに一息ついていると、さっきまで近くにいたじいじがいなくなっていることに気がついた。焦ってあたりを見回すと、クレープを持った80歳代の男性がなにやらスターバックスのショーケースを興味深く覗き込んでいるのがわかった。
「ウソでしょ」
私は思わず声が溢れてしまった。
今度は何に惹かれているのだろうか。じいじの元へ行ってみると
「この“ワッフル”ってなんだ?パンか?甘いのか?」と案の定の質問攻め。
「これはパンじゃなくて焼き菓子で、すごく甘いよ。」となんとなくそんなニュアンスの説明をして乗り切ったような気がする。
帰りの車、後部座席には、右手にクレープ、膝の上にはスタバの紙袋を乗せたじいじがご満悦な様子で座っていた。
食の好みや栄養が偏っているじいじをみると心配になったりあきれたりもしてしまうときもあるけれど、そういうときのじいじはいつでも笑顔で、健康で食べたいものが食べられるならそれが1番幸せだよね。と妙に納得させられてしまう。そんな甘いもの好きなじいじには、いつまでも「それ、美味しそうだね」と言ってあげたい。