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齋藤商店新方針「毒にも薬にもなるワークショップをつくる」

店主が30歳になりました。

令和元年8月1日に創業した齋藤商店ですが、のらりくらりを経て昨年からは「オーダーメイドのワークショップを提供するお店」として進んでいくことにしました。
それと同時に、創業時に掲げていた店の方針である「よくわからないものを売っています」もまたアップデートしようと思いあーでもない、こーでもないと考えてきました。

して、これからは、店主が30歳になる頃に浮かんできたこの方針を掲げていくことにしようと思います。

それがこちら、
毒にも薬にもなるワークショップをつくる
です。

齋藤商店新方針-80

「毒にも薬にもなる」とは、慣用句として用いられる「毒にも薬にもならない」の反対の意味を持たせた言葉です。「毒にも薬にもならない」という言葉の意味は「害にもならないが、かといって役に立つわけでもない。」です(大辞林より)。
良くない評価をされる時に使われる慣用句です。

ワークショップというものは「毒にも薬にもならない」ものができがちです。特に、クライアントに対して忖度をしていたり、結論ありきのワークショップはそうです。
そんなワークショップはする意味がありません。齋藤商店としても、オーダーメイドのワークショップを提供すると語る以上、お取り扱いするわけにはいきません。

ワークショップが、クライアントの抱える課題を解決する「薬」になる必要があります。しかし、薬になるとは同時に取り扱い方を間違えると「毒」にもなり得るということです。

過去に作ったワークショップの中では「安楽死」をテーマにしたワークショップがまさにそうでした。

このワークショップは、安楽死についての理解度を高めるためのワークショップです。非常にセンシティブでかつ、個人的な感情や感想が前面に出てきやすいテーマを扱うために齋藤商店では「演劇」の手法を用いてワークショップを執り行いました。

つまり「安楽死を望む役」を演じてもらうことで「安楽死を望む理由」や「安楽死をさせてしまう理由」をシミュレーションしてもらうワークショップです。

これは一歩間違えば、参加者がワークショップの終了後にも「安楽死を望む感情」を持ち続けてしまったり「安楽死をさせてしまった体験」を引きずってしまったりする危険性があります。そのためちゃんと「解毒」のワークを取り入れました。
それが「これは演劇であり、その時に抱いた感情は"私"のものではなくその"役"のものである」という構造と、リフレクションとなる専門家との対話の時間の設定です。

ここまでしたから、このワークショップでは、現役の医療の専門家であってもその専門性と職業意識によって逆に「安楽死を望ませてしまう状況」を作ることに加担してしまうことを再現することができました。

このように、参加した人に何かを残すワークショップを行うためには、時と場合が変われば「毒」になり得るような濃いものを作る必要があります。それが「毒にも薬にもなるワークショップ」であり、その反対が「毒にも薬にもならないワークショップ」なのです。

少なくとも、齋藤商店としてワークショップを作る以上はこのくらいのものがつくりたい。また、これまで作ってきたワークショップの中で「これは作ってよかった」ものと「これは失敗だった」ものを振り返った結果、作ってよかったものに共通したのはこの「毒にも薬にもなる」という部分でした。

ということで、齋藤商店としては今後「毒にも薬にもなるワークショップ」を作るということを掲げて営業をしていきたいと思っています。

齋藤商店の公式noteです。公式サイトはこちら(https://sites.google.com/view/saito-md/)です。