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齋藤商店では「人が変わる商品」を積極的に取り扱います
齋藤商店では、人の変化につながる内容を積極的に商品として取り扱っていこうと思っています。
人が変化するためには、
参考にしている考え方はHomeとAwayの対比です。
これは、四国アントロポゾフィー・クライスの竹下哲生さんの話を非常に参考にさせてもらっています。
詳しく知りたい人は例えばこの著作とかがわかりやすいです
『親の仕事、教師の仕事―教育と社会形成(入間カイ,竹下哲生 (著))』
人が変わるためには「自分」と向き合う時間が大切になる=それができる場所がHome
人が変化するためには、自分らしさに向き合える場所が必要です。その場所は物理的な空間である必要はなく、例えば「森の中」といった抽象的な場であったり、「座禅をする」といった状態であっても大丈夫です。
自分らしさに向き合うとは、
自らのありのままの姿を見つめられる状態です。
それをHome(ホーム)と呼びます。
このHomeを持つためには、適切な自己肯定感が重要になります。
自己肯定感が低いと、Homeを他人からの評価に依存しやすくなります。
例えば、子供の頃に親にひたすら怒られてきた人はHomeを持っている可能性が低くなります。なぜなら、その人は子供時代に得るべき自己肯定感を十分に持っていない可能性があるからです(もちろん、例えば祖母から適切な自己肯定感を提供されたりしていた可能性もあるので、一概には言えません)。
すると、その人は「親の代理品」から「承認されること」を常に求めるようになります。
それは適切なHomeではなく、偽物のHomeです。
真のHomeとは、自ら選択するものだからです。
私らしくあれる場を、自ら選択すること。
それがHomeを持つために重要なプロセスです。
自分の中には無いものに出会う場を通じて初めて、自己を拡張できる=Awayに出る
変化とは、自分自身の拡張にほかなりません。
そのため、変化するためには「自分の中にはないもの」との出会いが必須になります。
その「自分の中には無いものに出会う場」をAwayと呼び、Homeと対比して考えます。
なぜHomeと対比するのか、それはHomeが無い状態とは「自分が無い状態」だからです。そのため、Homeがない人はいくらAwayに出ても「自分」が定まらないので「自己の拡張」がうまく機能しません。
Awayを通じて未知の体験をして、それをHomeに持ち帰り自分自身と比較することで初めて「過去の私」と「変化したあとの私」を比較することができるようになります。
家庭はHomeであり、学校はAwayである。だが、、、
Homeとは、その名の通り「家庭」が代表的な場でした。
「場でした。」と書くのは、現代においては家庭が必ずしもHomeとして機能していないからです。
例えば、教育熱心な親は子どもに対して教師のように接します。
しかし、教師がいる学校は家庭の外、つまりAwayなのです。
学校には教師がいて、家に帰っても教師のような親がいると子どもにとってのHomeは存在しません。すると、その子どもは「自分とはなにか?」に向き合う場を失います。
人間にとって「私とはなにか?」という問いは非常にデリケートなものです。
そこに「否定」や「批判」が入るこむと、かんたんに傷ついてしまう、それが「自分とはなにか?」という内省の時間です。
Homeとして機能している家庭があれば、
「自分とはなにか?」を問うても否定や批判がされず「それでもあなたには価値がある」という自己肯定感を適切に与えてくれる場になります。
そうして、自己を肯定してくれるHomeがあれば、未知(できない、わからない、知らない等々=Away)と出会っても自分のものにしていくことができます。
ところがHomeは、他人が与えることはできない。
時代は家庭がHomeの要件を満たすことを許さなくなってきています。
そんな状態なので、Homeを持たない大人たちがたくさん世の中には存在します。
Homeを持たない大人が行き着く先は「承認の提供者への依存」です。
それを最も端的に行っているのがカルト宗教やブラック企業です。
かんたんに言うと、
「あなたはXXXXをしている限り、価値がある」
というメッセージです。
その中にいる人は、自らの存在を証明し続ける必要があります。
それでは「自分らしさと向き合う場」としてのHomeの要件を満たすことができません。
他人から提供される偽物のHomeを通じて得られるのは、
「他人のために、自己の価値を証明するための自分の拡張」
でしかありません。
厳密に言えば、これもまた「変化」ではありますが、齋藤商店では取り扱わないものです。
なぜなら、面白くない変化しか生まないからです。
齋藤商店では、予想を超えた変化が起こる商品を積極的に取り扱います
齋藤商店で取り扱う変化は、もっとダイナミックな変化が起こるものです。それは、他人が価値を判定している限り、判定者の予想を超えることができないので起こりえません。
なので、齋藤商店では
「偽物のHome」
を扱うことはありません。
では、
「他人がHomeを提供できない」
+
「現代人の多くはHomeを失っている」
状態でできることはなんでしょうか?
それは、Homeと出会えるAwayを生み出し続けることです。
冒頭に申し上げた通り、Homeは具体的な場であるとは限りません。
「自分が、自分らしくあれる場」
がHomeの条件です。
そこを発見するために他人にできることは以下の2つのメッセージを伝え続けることだと思っています。
第1のメッセージ
「あなたは、そのままでも十分に価値がある」
第2のメッセージ
「あなたが本当に価値あることだと思うものはなんですか?」
この2つのメッセージを通じて、聞いた人が「私にとってのHome」を見つけるきっかけをうながします。大切なことは「あなたらしさとはXである」と言ってはいけない、ということです。
あくまで
「今のあなたのままでも十分に価値がある」
ということを伝え続けることです。
実際には、その後にもう少し続きます。それは、
「今のあなたのままでも十分に価値がある。しかし、僕はさらにAだとより価値が高まると思っている(のだがどうだろうか?)」
というコミュニケーションです。
おわりに
この文章だけでは、十全に内容を理解していただくことは難しいかと思います。
それでも構わないと思っています。ただ、こういう考え方も"あるのかもしれない"程度に思っておいていただきたいこと、
そして、
齋藤商店に並ぶ「謎の商品たち」には実はこうした共通点があるんだ、
と、ふんわりと感じていただければ嬉しく思います。
これについては、まだまだわかりやすく説明する練習が必要だと思っています。
今後、もっとわかりやすい説明ができるようになったらまた書き直してみたいと思います。今はこのくらいで、ご容赦いただければ、と。
店主