1000人以上に聖火トーチを手にしていただいた私が聖火ランナーになった理由①
2021年5月15日、私は『東京2020オリンピック競技大会』の聖火リレーランナーとして地元島根県浜田市を走りました。
これから、5回に分けて『東京2020オリンピック』聖火リレーランナーとして走った回顧録をお伝えします。私が体験した聖火リレーの記録とともに、応募動機や審査・結果報告、走ったことで生まれた気持ちやトーチを持って浜田市内の介護事業所・高齢者サロン施設や小学校を巡った話も紹介します。
今回は、東京2020オリンピックの聖火リレーの概要を備忘録として書き残します。
東京2020オリンピックについて
2020年開催予定だった『東京2020オリンピック競技大会』は、新型コロナウイルスの横行により当初の予定から1年延期となりました。それに伴い、聖火リレーも1年延期となり以下の日程で開催されました。
『東京2020オリンピック』『聖火リレー』の概要について
誰もが経験したことのない、新型コロナウイルスの疫病による感染拡大。コロナ禍として人々の暮らしを一変させました。
コロナ過が続く中でしたが『東京2020オリンピック』は、無事一年越しに執り行われました。開催前には、国民の不安の声も飛び交っていましたが結果として多くの人々の感動を呼ぶ大会だったと言えます。
もちろん聖火リレーについても、一年の歳月を経て従来の予定通り行われました。聖火ランナーに選ばれた約1万人の走者たちが、121日間かけ(移動日含む)日本全国47都道府県859の市区町村を聖火でつなぎました。
【オリンピックの聖火はどこから?】
オリンピックの聖火は、ギリシャのオリンピアにある神殿の遺跡で太陽の光から採火されます。東京2020オリンピックの聖火も、従来通りギリシャで採られ特別輸送機で日本に運ばれました。聖火を乗せた飛行機が宮城県東松島市の航空自衛隊松島基地に到着したのは2020年3月20日のこと。しかし、オリンピックの開催が一年延期となった異例の東京2020オリンピック。その間、聖火はオリンピック組織委員会で厳重に管理されていたとされています。
『東京2020オリンピック』聖火リレーの走者について
第一走者は2021年3月25日(木)に福島県にあるJヴィレッジナショナルトレーニングセンターから始動。サッカー日本女子代表チーム『なでしこジャパン』のメンバー16人がスタートを切りました。なでしこジャパンから聖火リレーランナーとして参加したのは、2011年の女子サッカーワールドカップ杯優勝メンバーです。
その後も聖火は、公式アンバサダーの有名人や多くの国民によって運ばれ、無事に開会式の行われる東京・国立競技場へ到着。最終ランナーとなったのは米国でテニスプレーヤーとして大活躍を遂げる大坂なおみ選手でした。
『東京2020オリンピック』聖火リレーのコンセプト
東京2020オリンピック聖火リレーのコンセプトは『希望の道、つなごう』でした。英語では『Hope Lights Our Way』とされ、コロナ禍にピッタリの言葉だったように思います。
オリンピックが史上初の延期開催によって、1年越しにつながれた聖火リレーでした。まさに、炎とともに希望も一緒に運ばれたと言えるのではないでしょうか。
4年に一度のオリンピックが、日本で!
2022年現在、地球全体には196の国があるとされています。それだけの多くの国があるのにもかかわらず、4年に一度しか行われないオリンピックが自国で開催されることは驚くべきことです。
とはいえ、56年前にも東京オリンピックも行われています。しかし、当時とは国が持つ勢いも社会情勢も大きく異なります。
それを示すかのように、昨今は誰もが明るくなれるようなニュースがあまり報じられていません。それは、私が住む島根県浜田市も同じでした。
聖火リレーランナーへの応募動機は…
私自身が聖火リレーの走者になりたいと考えたのは、社会全体になんとなく暗い雰囲気が漂っていたからです。私一人にできることは、そう多くはありません。しかし、私が聖火リレーランナーとして地元浜田を走ることで、私の周りに居てくれる人たちに少しでも元気になってもらえたら嬉しいと考えました。
私自身が行動を起こし非日常感を生み出すことで、少しでも明るい話題が生まれ空気を変えることができたら嬉しいと思いました。
次の記事では、私が聖火リレーを走ることになったきっかけや応募・審査、実際の状況などを綴ります。当時の気持ちや様子を赤裸々にお伝えすることで伝わる何かがあるかもしれません。誰かのお役に立てたら、幸いです。