借金5000万で売上6000万の会社の保証人になった二代目社長のV字回復ストーリー⑤
これまで4回に分けて、私の経験した事業承継の話をしてきました。
ー大学卒業後には、他者メーカーで製造と営業を経験
ー2000年に家業に入るために、実家浜田市に帰郷
それから、家業の内装業の傾きを取り戻すために必死でした。
ー2006年、農業に参入するも3年で撤退
ー2009年、介護事業に参入
家業の内装業から異業種となる介護事業に参入してからは、売り上げのない期間が2年ほど続きました。ただ、私の元に同級生の母親が転機をもたらしてくれたことで事業が回復し始めます。
ー2011年、正式に齋藤アルケン工業の事業承継
こうした、事業立て直しの長い歩みについてを、これまで4回に分けてお伝えしてまいりました。
今回は最終回として、新たな事業承継を受けることになった話を書き綴ります。なぜ私が今現在、3つの介護事業を展開しているのかに通じます。そして最後に、私自身の気持ちもまとめています。
『人の役に立ちたい』気持ちを貫いたことで、周囲に頼ってもらえるようになった
ほほえみライフの介護事業が軌道に乗り始めてから、独自の取り組みを積み重ねてきました。
少しでも地域で暮らす方々の役に立とうと起こしていた行動が、結果として信頼を呼ぶこととなり頼ってもらえる存在となったように思います。
そして、思わぬ所から事業承継の話が舞い込みました。
江津市:介護サービス提供事業所よろこぼう屋
2019年、隣市の江津市にある介護サービス提供事業所『よろこぼう屋』の社長自ら、自分の後を継いでほしいと話を持ちかけられることなりました。
よろこぼう屋は民間の介護事業所で前社長は『困っている人に手を差し伸べたい』思いが強い方です。
その想いに共感した私は、新たな経営者としてよろこぼう屋の介護事業の引き継ぎを決めました。
浜田市:浜田市農協(合同会社ライフピークス(ヘルパーステーション花笑み)
2021年、浜田市農協から事業承継の話を頂きました。
同年の夏に島根県農協が介護業界から撤退することが決まったことで、私の元へ事業承継の話がやってきて引き受けを決めました。
承継にあたっては、兼ねてから浜田市農協の介護事業で働いていたスタッフの方々の『現在のメンバーで仕事を継続したい』という気持ちを最優先しました。
2022年3月『合同会社ライフピークス(ヘルパーステーション花笑み)』として新たな法人を立ち上げることとしました。
ゴールの先も『人の役に立ちたい』
大学卒業後、他メーカーでの就労を経て浜田市に帰郷。
そこから、22年の歳月が経ちました。
振り返ると、父から譲り受けた『齋藤アルケン工業』を立て直すため走り続けた四半世紀だったように思います。どこに向かって走ればいいのかが分からず、道なき道を自分で作って進んだような歳月でした。歩みを止めるという選択もあったはずですが、けして歩みを止めなかったことで今があります。
ただ、今がゴールかと問われたら違います。未だ、経営者として足りない部分は多く共に働く職員の方を始めとした仲間に救われて今の私があります。
過去の私自身のことをお伝えしておくと、若かりし頃の私は自分のことしか考えずに生きてきた人間だったように思います。それが、どうしたことか『人の役に立ちたい』と気持ちが移り変わっていきました。
その様に思うようになった背景には、人との出会いに支えられたことがあります。スタッフのみんなや暮らしの中で出会ってくれた人たち。その人たちが、私の暮らしに余裕を生み出してくれました。
家業を立て直そうと突っ走っていた頃は、全てに余裕がなかったです。自分と自分の暮らしで精一杯の毎日。当時、我が子はまだ小学生でしたし、育児・仕事、借金返済に追い詰められているような感覚がありました。そのため、いくら『人の役に立ちたい』と思っても、それを行動に移していく余力すら無かったです。
そんな私の暮らしに、余裕をもたらしてくれたのは、他でもない私の周りにいてくれた人たちです。私の元に、スタッフが一人・二人と増え、私が抱えていた責任や負担という目に見えない重荷を『私に任せてください』と言わんばかりに、一つずつ降ろしてくれたように思います。そうやって、自分では降ろすことすら難しかった手荷物を、自然に手放すように仕向けてくれたと思えてなりません。
『周囲へ恩を返したい』と言うと、傲然と構えているように捉えられるかもしれませんが違います。感謝の気持ちを『どうにか形にしたい』『私に余裕があるあいだは誰かの役に立ちたい』と、そんな風に考え続けています。それが私の喜びといっても過言ではありません。…と、私自身なんとなく徳を積みたいのかもしれません。
私が事業承継のために走り続けた話のシリーズはここで終わりにします。ここまで、長きに渡る、私の経歴を読んでくださり心より感謝申し上げます。
今後も私のnoteは、介護事業に携わる傍らで感じることを発信していきます。もしよければ、ときどき覗きに来てやってください。