啼き声は闇に溶ける ② 斎藤緋七
「うん! 」
「竜馬は先生に頼まれたら素直に 弟の竜馬は先生だけじゃなくて、誰に対しても素直な子だけど。 竜馬が今日、学校を休んでいた江口くんに借りていた本を返しに行ってくるって言っていたし、先生に用事を頼まれていたから間違いなく、江口くんの家には行っていると思う。俺は左に歩いて家に帰ってきて、竜馬は右に歩いて行ったから」
「線路がある方向だな。あの踏切に近い場所だな、小学校の校区内だな」
お兄ちゃんが言った。
今日は、肌寒い。重ね着をしないと。俺は、まったく関係のないことを考えていた。
「ギリギリ、校区内? 」
「校区内だよ」
「あの辺はギリギリ校区内だよな。線路を隔てたら、第二小学校の校区に入るけど」
「そう、確か線路沿いの家に引っ越してきて住んでいるって聞いた」
「竜馬と陽馬が別行動するって、めったにないわね」
お母さんが言った。
「そうなんだよね。竜馬は江口くんの家に行って、俺は単に面倒だったから、先に帰って来た」
「その間に何かあったとかかしら。まさか、事故とかじゃないでしょうね」
お母さんの顔色が青くなった。
「もし、そうなら、警察か病院からとっくに連絡が入っていると思う」
俺が言うと、お母さんは、
「それもそうよねえ」
「お母さん。今のところ、双子アンテナが反応していないから事故とかではないと思うよ。安心していいと思うよ」
「そう言えばそうね」
「双子アンテナに従って探そうかな」
俺が言ったら、ご飯を食べ終わったお姉ちゃんたち二人も、
「うん、そうよ、そうよ」
「そうしなさい」
お姉ちゃんたちが二人とも、うんうんと頷いていた。食器を洗ったり拭いたりしながらも、話はお揃いの地獄耳でしっかりと聞いて いるようだ。
「そうなると、ますます分からないわよねえ。江口くんのお宅に聞きに行くのが、一番いいかしら」
「途中で見つかるかもね」
杏お姉ちゃんが笑いながら言った。長女の杏お姉ちゃんの方が次女の響お姉ちゃんより楽天的だと思う。
響お姉ちゃんの方がクソ真面目だ。
杏お姉ちゃんはお母さんに似たんだろう。
でも、俺と竜馬には双 子アンテナがある。
お母さんは困ったように、頬を押さえている。何かを考えるときに頬を押えるのはお母さんが子どものころからの癖 らしい。
「それなら、俺は先に帰っているからって、俺は竜馬に言ったけど、竜馬は、分かったって言っていた。それから、今まで俺は竜馬のことを見ていない」
「そうか」
お兄ちゃんは、
「どうだ。竜馬は近くにはいそうか。校区内とか。そこまでは分らないか。いつもの双子アンテナは動かないのか」
俺はお兄ちゃんの言葉に「まだだよ」 とお兄ちゃんにこたえた。
双子アンテナは反応していない。双子アンテナとはお互いの危険を察知するときだけ働く、一種の勘のよ うなもので、一卵性双生児が持っている、特殊能力のようなものだ。珍しいものではない。
「近くにいるとは思うけど、ちょっと自信がない。 勘とか予感のレベルだから言い切れないよ。断言出来ない」
俺はお兄ちゃんに曖昧な返事をした。
「竜馬は方向音痴だから自分から、よく知らない校区外には行かないと思う」
「分かった。やっと、バイクの後ろに人を乗せることができるようになったから、お兄ちゃんとバイクで竜馬を探しに行ってみようか? 」
「そうだね」
お兄ちゃんに言った次の瞬間、身体中に電流が走ったような感覚があった。
「え。なにこれ。うわあ。い、い、いたい」
俺の身体がビクンと跳ねた。
「う、わあ、え。え、どう。ど」
「陽馬? 」
「え。あ、あ、あ、おにい、ちゃん」
「どうした? 」
「お、おにいちゃん、た、たすけ、て。りょうをたすけ、て、やって」
お兄ちゃんが俺の顏を覗き込んでいる。
「助けてって? 」
お姉ちゃんたちも不思議そうに俺を見ている。
「陽馬、あんた」
「ちょっと。陽馬、どうしたって言うの。双子アンテナ? 」
お兄ちゃんが俺の身体を支えてくれていた。
「陽馬。何処か痛いのか」
「おにいちゃん。ああ、ど、どうし、よう。り、り、りょうが。あ、あぶない。りょうが、こ、こわい、こわいよって、ないて、い、る」
「やっぱり、双子アンテナ? 」
お母さんやお姉ちゃんたちが、
「陽馬、真っ青よ」
「ちょっと、陽馬、本当にどうしたの。しっかりして」
お姉ちゃんとお父さんが三人で震えている俺の身体を押さえてくれている。
「あ。ああ。あ。ど、ど、どうしよう。おにいちゃん。ど、どうして、りょうが。どうすればいい。あ。ああ。ああ。りょう。りょう がないている。こ、こわい、た、たすけて欲しいって、りょうがな、ないている。すぐにりょうを、た、たすけに、い、いかないと。 りょうがあぶな、い、い。りょうが、こ、こ、こされるかも、しれないんだ」
「落ち着け。お前、どうした。竜馬が殺されるって、それは、どういうことだ」
冷や汗がだらだらと出ていた。
「こ、わいことに、りょうが、まきこまれている。でも、りょうはぜったいにこのちかくに、い、いる」
「いつもの、双子アンテナか」
「そ、そんなかんじ。お、れは、いますぐに、りょ、うのそばにいかないと、ダメなんだ。り、ょうが、りょう、が、おれをよんでい る、から、だから。でんりゅ、うみた、い。いた、い」
電流の次の双子アンテナだ。双子が感じる予感の前には電流が走るみたいな痛みが走ることがある。
「いたい、い、いたい」
身体がとても痛かった。
「陽馬、どこがどう痛いの? 言えるか? 」
「ビリビリって、でんきがからだをはしっていくみたいに、いたいよ。オ、レが、いたみをかんじているって、こ、とは、りょうも、おんなじいたみをかんじている というしるし、なんだ」
「そうなのか。今の竜馬は危険の中にいるんだな」
「そう、みた、い。おにいちゃん、りょうがころされるよ。あ。ああ。あ。おにいちゃん。ど、どうしよう。 りょうが、とおいところにつれていかれてしまう。とおくでころされるかも、し、しれない」
自然に涙がこぼれた。止まらない。
「りょう、が、がこわいおも、いをしている」
どうしよう。
背中が寒い感じがする。
「おにい、ちゃん。りょうが、な、ないてい、る」
「陽馬。あんた、どうしたのよ。おかしいわよ」
お姉ちゃんたちも、驚いている。
「お、おにいちゃん。りょうが、あ、あぶないんだ。り、りょう、りょうの、い、い、いのちに、き、け、んがせまってい、る」
「落ち着け、陽馬」
お父さんも、お母さんも、お姉ちゃんたちも、俺の身体を支えながら不思議そうに見ている。俺は涙を流して、ガタガタ と震えていた。
皆がびっくりした表情で、俺の様子を見ている。
「陽! いいから、ちょっと、落ち着け! 喋らなくてもいいから、落ち着け」
「落ち着きなさい」
「水でも飲む? 」
俺は、そう言ってくれた。杏お姉ちゃんと響お姉ちゃんに向かって頷いた。
涙がとまらない。
「竜馬のことはお母さんと陸に任せて、陽馬は家で待っていなさい。ね? 」
お母さんが俺の背中をさすりながら言った。
「ダ、ダメだ。いかないと、い、いみがない、と、とおもう」
「竜馬に呼ばれている感じがするとか? 」
「そうだよ。だから、おにいちゃんといっしょにさがしにいくよ。りょうがお、れを、まっているか、ら」
「竜馬が陽馬のことを待っているの? その、意味がないって、どう言う意味だ? 」
「りょうがないているんだ。は、はる、はやく、むかえにきてって。おれをまっている。おれには、り、りょうのことがわ、わかるよ。あいつに、 た、たいへんなことが、おきているん、だ。り、りょうが、と、とおくに、つ、つれていかれてしまう」
涙は止まらなかった。
「確かなのか? 」
お父さんに、聞かれたから、
「まちがいないと、お、おもうよ、りょうは、もの、すごく、こわいところにいる、かんじがする。いまも、きけんにかこまれている」
俺は震えながら言った。
「警察に相談した方がいいかしら? 」
「警察に連絡するのは早いと思う。双子アンテナがどうかとか言っても、絶対に信用して貰えないと思うし、帰りが少し遅いくらいではあまり対応してもらえな いかも知れない」
お兄ちゃんが言った。背中をさすってくれている。俺の手はガタガタと震えている。お姉ちゃんが渡してくれた 水を飲もうとしたら、硝子のコップを落としてしまった。
「うわあ! 」
硝子が割れて床に散った。
「陽馬、怪我はないか?」
「だ、いじょうぶ。ご、めん」
「謝らなくてもいい。やっぱり、行くか? 」
「いくよ。おにいちゃん、り、りょうは、お、おにいちゃん。り、りょうのいのちはどうなるの。りょうが、オ、レのことをよ、んでいる。オ、レは、すぐに、りょうのそばに、い、いかないと、ダメだ。り、りょうがこわい、たすけてよって、いって、ないて いる。おれが、い、いかないと、りょうは、りょうが、こ、ころされる」
こういうことはよくある。一卵性双生児のどちらか一方の身に何かが起きているのがわかる。
珍しいことではない。でも、こんなにも動揺するのは、はじめてだ った。
お兄ちゃんが、
「じゃあ、お兄ちゃんと一緒に行こうか。探すよりも警察に相談する方が落ち着くか? 」
優しく、言ってくれた。
「おにいちゃ、ん。け、けいさつは、ダメな、きが、す、する」
お兄ちゃんが俺を見て不思議そうな顔をして言った。
「そうなのか? 」
「だ、だめだよ。けいさつはだめなんだ。りょうが、と、とおくにいってしまう。お、おにいちゃん、どうしよう。とめないと。もう、 かえって、く、くることができないかもし、れない。りょうのいのち。こ、ころされるかもし、しれない。りょうは、こわい、お、おもいを、し、ている。な にかに、おいつめられている」
「落ち着け」
「りょうがないているよ、いま、あいつはあばれているかもしれない。たすけに、い、いかないと。りょ、うが、よ、よんでいる」
また、身体がガタガタと震えはじめた。普段、末っ子の弟たちには、ほとんど無関心のお姉ちゃんたち二人まで心配そうに俺を見ている。
ずっと、震え ている俺の身体を二人で支えてくれている。家族は夕飯を中断して不安そうな顔で、俺を見ている。
「陽馬、今のあんたは、どうみても普通じゃないわよ」
「陸がついていくから、安心だけど、陽馬、あんたはこんな状態で大丈夫なの? 」
「そうよ、いつもの陽馬じゃないもの」
「こんなに動揺している陽馬なんて、見たことがないもん」
お姉ちゃんたちは、二人揃って俺の顔をのぞきこんでいる。
「だっ、て、りょうが、こ、こ、こ、ろされる。ち、が、がう、こんどは、おれがりょうにころされる、ばん、だ。ああ、このままでは、ぜったいに、だ、だめ だ」
「殺される番? どうして陽馬が殺されないといけないんだ? お前には分かるのか? 」
「わ、わからな、い、よ」
「私たち、陽馬が言っていることの意味が全然分からないけど、ほら、陽馬は顔色が真っ青よ。お母さん」
いつもは、クールなお姉ちゃんたちが二人とも眉をひそめて、不思議そうな顔をしている。
「陸。陽馬はもう、探しに行かない方がよくない? 危ないわよ。こんな様子では冷静に竜馬を探すのは無理よ」
「そうよね。悪いけど、陸が一人で行ってくれる? 」
お母さんがお兄ちゃんに言った。
「ダメだ、よ。そ、それは、ダ、メなんだよ、おかあさん、おねえちゃん。おれが、た、たすけにいかないと、しぬ。りょう、がし、し、 んでしまうんだ。それに、おれのことを、よんでいるんだ。だから、ぜ、ぜ、ったいに、い、いく、いくんだ」
「分かった。今、すぐに行こう。陽馬はヘルメットだけ持って、ガレージに来てくれ」
竜馬。お前は、今、どこにいる?
双子アンテナがこんなにおおきな、危険を察知したことなんか、初めてだ。お前はもしかして、近くにいるのか?
それまで、黙っていた、お父さんが、穏やかな声で、
「陸、お兄さんのお前が陽馬と竜馬を守ってやってくれ。外は闇だ。物騒だから」
お兄ちゃんに言ってくれた。
「分かったよ、お父さん」
「陸も陽馬も気をつけていけよ」
「うん、分かった」
お父さんは普段口数が少ないけど、とっても優しい。
急に双子アンテナが働き始めたということは、竜馬がすぐ近くにいるということかも知れない。
「なるべく、急いだ方がいいだろう」
「うん、わかった」
竜馬の身に何があったんだ。今、危険な状態にいる可能性は高い。
「陸で手に負えないと思ったら、お父さんかお母さんに連絡してきなさい」
「わかった」
間に合ってくれ。
「もちろん。陽馬、ガレージで待ってるよ」
50坪くらいの広くはない土地の上に家が建っていた。家の裏にお父さんの乗る車ともう一台駐車することが出来るスペースが空いていて、そこにお兄ちゃんは中古で買ったバイクを置い ていた。
「おにいちゃん。まって、ね。うわぎを、とっ、てくるよ」
俺は部屋に急いで行った。俺は薄い生地の長袖のTシャツの上に冬物のトレーナーを羽織った。
「よし、来たか、バイクを移動させるからちょっとだけ待って」
「お、お兄ちゃん、おまた、せ」
「良かった。さっきより、落ち着いたみたいだな。しゃべりかたも普通になっている」
「お兄ちゃん。俺、さ、さっきね、ものすごく、こ、こわかったよ」
「無理もないよ。よっぽど怖かったみたいだな。お兄ちゃんがいるから、安心しな」
人影が視界に入って来た。
あれ。
気のせいだろうか。
「あ。あの影って? 」
「陽馬。どうした。何かあったのか? 」
「お兄ちゃん。あ、あれは? 」
「え。あれって。どうかした? 」
電柱の陰に、人の影が見えたような気がした。
「あ、あれ、あの、あれ」
「双子アンテナなのか」
そう、お兄ちゃんに聞かれた。
でも、もう、さっきの影は見えない。
空気が張りつめている感じがした。この感じ、これはいったい、なんだろう?
わから ない。
「気のせいかな」
あの、人影は気のせいだったのか。
俺の気のせいなのか。人の気配を感じる気がする。
「陽馬、ヘルメットは持ってきたな」
「ちゃんと、持ってきたよ」
「よし、被ってここに、乗れよ」
最近、お父さんにローンを返し終わったばかりの中古の大型バイクに乗ったお兄ちゃんは言った。
バイクの運転免許を取る費用と 中古のバイクの代金をお父さんにたてかえてもらって、お兄ちゃんは新聞配達のアルバイトを頑張って、お父さんにお金 を返していた。
受験生なのに誰よりも早く起きてアルバイトに行く、お兄ちゃんの背中は無茶苦茶かっこ良かった。
「俺もお兄ちゃんみたいに優しくてカッコイイ男にな れるかな」
以前に言ったら、
「陽馬。俺程度を目指してどうするんだ。もっと上をねらえよ」
お兄ちゃんはそう言ってお腹を抱えてゲラゲラ笑っていた。
俺は自分用のヘルメットを被って、お兄ちゃんのうしろにまたがって座ろうとした。
「うわ、寒い」
秋の夜はやっぱり寒い。
つい最近まで、
「いつまでも、暑くて嫌だよねー 」
竜馬がぶつくさ言っていたのに。
俺も竜馬と一緒に、暑い、暑いと繰り返していた。
でも、今日は風が強くふいているせいか寒く感じる。
いつの間にか普通 にしゃべることが出来るようになっていた。
「お兄ちゃん。最近、風が冷たいね」
「ああ、寒いくらいだ」
お兄ちゃんに、
「見て。見てよ。お兄ちゃんのおさがりのパーカーを着てきたよ。黒いの」
俺はさっきよりも、落ち着きをとり戻して言った。
「似合う。最近は夜になると急に冷えるな、いよいよ、秋って感じだな」
「うん。もうすぐお兄ちゃんの誕生日だね」
「そうだなあ。十八歳になるなあ」
そう言ったお兄ちゃんに、
「十八歳になったら、車の免許も取れるね」
お兄ちゃんは、
「また、教習のお金をお父さんに借りるとして。まあ、返済は大学生になってからにしてってお父さんに頼もうかな。未成年の分際では車は買えないから受験が終わって落 ち着いてから免許を取るって選択もできるけど」
「そう言えば、お兄ちゃんは受験生だよね。忘れていた」
俺が言うと、
「忘れるな」
お兄ちゃんは笑った。
お兄ちゃんは、今、高校三年生。受験生だ。兄弟の中で一番成績がいいから、誰も心配していないし、気にしていない気がする。
「陽馬と竜馬を一番に乗せてやるよ。助手席は陽馬だ」
「命がけだね。お兄ちゃん」
俺はお兄ちゃんに冗談を言った。
「そうだな、命がけのドライブだ」
お兄ちゃんは髪がくしゃくしゃになるくらい、可愛がってくれた。
「噓、噓。お兄ちゃん、助手席には絶対に一番に俺を乗せてね」
お兄ちゃんは、また、頭を撫でてくれて、
「彼女か? 」
お兄ちゃんは笑った。
「いいよ、陽馬も、約束はしっかり覚えておけよ」
「うん! 」
「陽馬。後ろに乗れるか?」
次の瞬間に角材のような何かが見えた。その、角材みたいな凶器で、誰かがお兄ちゃんと俺を後ろから殴った。
俺は脛を、お兄ち ゃんは頭をやられた。
声が出なかった。
「お兄ちゃん? 」
重い凶器がごろんと転がった。②終
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