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薄墨の街 中  斎藤緋七

私は高校を卒業し市役所で働きはじめました。優遇措置でなく、勉強をして試験を受けて入ったと言うと、同じ部落の子たちから、珍しいものを見るような目で見られました。
「あんた、あほやな、試験無しで入ったら楽でよかったのに」
どれほど同じことを言われたでしょうか。でも、私は、特別措置を受けて就職するのが嫌だったのです。
たとえ、あほと言われようとも。しばらくすると、市役所には、
「北島未来」
私を名指しで非難している人がいると感じるようになりました。
「北島未来は今すぐ市役所をやめろ!  」
「部落民は一人残らず死んでしまえ! 」
恐ろしい葉書が来るようになりました。察には届けました。どこで恨みを買うか分かりません。犯人はすぐ捕まりました。差別部落民ではなかったけど、私の同級生の女の子でした。
「試験を受けて入って自慢している未来に、嫌がらせがしたかった。未来を引きずり降ろしてやりたかった」
葉書は全部で六十四枚有りました。私は私で、同じ被差別部落出身の同僚の、
「あたしたちは、何でも優遇されてあたりまえ! 」
「なんでそんなことくらいしてくれないの? 」
「こっちは普段、差別を受けてる被害者なんだから! 」
という考え方が苦手でした。同類に見られるのが嫌でした。
「だから同和地区は」
「だから、被差別部落の人間は」
私まで言われるんじゃないかと怖かったのです。
「私は他の人たちとは違う」
そう、思っていました。でも、違いました。それは自惚れでした。一皮剥けば、やっぱり私も、被差別部民だったのです。自分はだけは違うと思っていました。でも、全然違わなかった。私も、何かあると暴動に参加する一人の被差別部落民だったのです。その内に友達の中に、彼氏と同棲する子や、親から独立して一人暮らしを始める子がちらほらと出てきました。困ることが、一つありました。私が部落民であることを知らない友達に、私が住む街ついて、色々聞かれるのです。
「未来、私、彼氏と同棲する予定なんやけど、この街だけこんなに家賃が安いの? 未来はあの街の住民だったよね? 何でか知らない? 」
いっぺんに血の気が引きました。せっかく、隠してうまくやって来たのに。ばれるかもしれない。積み上げて来た小石の山がぐらつくのを感じました。友達は、綺麗なマンションの間取り図を私に見せて言いました。
「この物件。駅近3LDKで、共益費込みで五万五千円だよ? 」
「本当、安いね。築浅物件だしいいね」
私は必死で話を合わせていました。嫌な汗が出ました。
「五十平米超えて家賃六万円未満なんてありえなくない? 何かあるのかな? 事故物件だとか? 」
「さあ? そこまでは知らんわあ」
私はそう言って、やんわりと、誤魔化すようになって行きました。年と共に嘘をつくのも、うまくなりました。とても、哀しいことでした。私は、被差別部落民であることをいつの間にか恥じるようになっていました。でも、私はただ、被差別部落とは何か自分とはなにか。それを知りたかったのです。学校の授業以外、誰も教えてくれませんでした。これは、勉強しないと怖いと思いました。無知は無知と言うだけで被差別部落差別に繫がるのです。
「学校で教えない」
 その考え方で差別をなくそうとすることはナンセンスなことであるともいえるのです。時折、被差別部落は遠回しな表現を用いて伝えられます。例えば、ヨツ。そこが被差別部落であるということをはっきりと知らなくても身近な人から、
「ヨツ、と言う言葉を使ってはいけない」
「言ってはいけない」
「怖い」
「危ない」
「酷い目に合う」
などといった偏見を聞いたときに、真実を見抜くことができなかったら、間違った事を丸々う呑みにしてしまう恐れもあります。そして、その偏見を更に広める立場となってしまったら、真実を知らないままで、被差別部落の差別を肥大化することになってしまうのです。教育現場、基本的人権についての教育、自己啓発の場などで
「知りたくなかった」
「知らなければ良かった」
という気持ちを抱く人もいるかも知れません。でも、
「知りたくない」
と自分にとって不都合な事実から目をそらしていては、根本的な解決には繋がらないのです。知る必要があるのです。今の現実、現状を、問題を社会全体で共有した上で、個人個人が差別をなくす為の行動について考え、生きることが、なにより重要だと思うのです。
昔話になります。私が五年生の時、転校生がクラスに入ってきました。香川さんという女の子です。部落民ではなく、パサパサした匂いのするガサツな感じの女の子です。私が通う小学校は部落の子たちが圧倒的に多い小学校でしたから、被差別部落に対して、とんでもない言動をとるその子の存在は強烈なものでした。
「虐められてもいいの? 」
こっちがハラハラする言動があまりにも多かったのです。
「アイドルのあのこは被差別部落民のくせにちょっと売れたからって調子に乗りすぎ」
みたいなことを大きな声で言うのです。被差別部落の子達の前でそうと知りながらわざわざ
「部落民の分際で学級委員長とか、偉そうに! 」
と言ったりしていました。大胆にも
「被差別部落民て、何だか臭いわよね。街全体が、薄暗くて汚いし臭いし。私、びっくりしたわ。この小学校の、このクラスにも、部落の子っていると思う? ねえ、いたとしたらそれって誰だと思う? 」
と大きな声で意地悪なことばかりを繰り返しています。おとなしい性格の部落の子の前で、当てつけるように言っていました。その子は何かを諦めたように静かに聞いていました。転校そうそう、誰でも捕まえて、
「あんた、変わった名字よね。被差別部落出身だったりして」
罪のないクラスメイトを馬鹿にしたり、
「部落の子ってさあ、顔が下品だと思わん? 」
「部落の子って、みんな頭が悪そうだと思わない? 」
毎日暴言ばかり吐いていました。私は我慢できなくなり、一度、話掛けて見ました。
「あの? 香川さん? 」
「なあに? 被差別部落民の北島未来さん? 」
「この小学校で被差別部落がどうのこうのと大きな声で言うのはやめた方がいいと思う」
私は言いました。
「どうして? 」
「一部の六年生が香川さんを敵視してるねん」
彼女の発言は六年生もしっかりと聞いていたのです。
「六年? ふん! どうせ、頭の悪い、被差別部落民でしょう」
香川さんは笑い飛ばしていました。
「香川さん、私は香川さんを心配して言ってるんよ? 」
「被差別部落の子なんかに心配していらんわ。私は間違ったことは言ってないんだから。それにしても、被差別部落の分際で随分調子に乗っているのね、この学校の六年生は! 」
次の日、香川さんは全裸で小学校の正門にロープと針金で張り付けられていました。死んではいませんでした。見せしめです。誰がやったのか、先生たちは調べもしません。香川さんも、それきり、どこかに消えてしまいました。転校したのでしょうか。
 
 
私は二十二歳になり、生まれて初めての恋人ができました。幸運なことに、彼とは被差別部落の友達を通して知り合ったので、最初から私が被差別部落民である事を知っていました。一番辛い、カミングアウトをしなくてもいい。そう思うと、胸がほっとしました。彼は普通の企業に勤めるサラリーマンでのんびりと甘やかされて育った三男坊でした。運の悪い事にすぐ隣街に住んでいました。彼は私が被差別部落民であることは気にしていない様子でした。出逢ってからの交際は順調でした。彼の両親にご挨拶に行った時までは良かったのです。確かに幸せだったのです。それから、悲しいことが私に降りかかってきました。彼の両親は、北島未来という私の名前から、業者を使い、私の身元を調べたのです。私と彼、二人の間には結婚の話も出ていましたが、その話題はあっと言う間に終わってしまいました。彼は結婚とは一切、言わなくなりました。
部落差別の特徴として、男女交際、結婚の難しさが大きくあります。現実として部落民以外の人との結婚については、大きな困難が付きまとうのです。私の母がいい例です。これは、現代の本当の話なのです。
昔話ではありません。時が止まっているようです。被差別部落民というだけで差別と偏見に苦しめられます。被差別部落民以外の人と結婚しようとすると、相手の家族や親族に猛反対されるのです。いくら人柄がよくて優しい人でも、被差別部落民だとわかった途端に結婚や交際を拒否される事が多いのです。愛する人に拒絶されるのです。こんなに哀しいことがあるでしょうか? 
理由としては、
「部落は怖い」
「血が穢れているので親戚になりたくない」
「こっちまで、部落じゃないかと疑われる」
「兄弟姉妹の縁談に差し支える」
「部落の血を引いた孫なんか要らない」
彼のご両親の言葉は、いちいち、胸に刺さり、うなだれるしかありませんでした。
「これは、無理だ」
私は思いました。これ以上何も言われたくはない。
「被差別部落民でありながら、厚かましいお願いをしました。申し訳ありませんでした」
私は深く頭を下げました。彼はご両親には絶対服従でした。無表情で立っていました。
「北島さん、いつまでいるつもり? 分ったらいい加減帰って下さる? 」
「はい」
私は泣きながら帰りました。私の初めての縁談はこうして終わったかのように見えました。
これから、続きがあるなんて、私は思いもしなかったのです。私はまだ、被差別部落と言う組織をまるで分かっていなかったのです。私の縁談が流れた話はすぐ広まりました。ああ、これが被差別部落なんだ。こんなことをするから、被差別部落民は嫌われるんだ。やっと悟り、唖然としてただ、人ごとのように見ている私がいました。
私の、父親の親戚筋の皆、三十人弱の人たちが、一斉に夜、彼の家に押しかけて殴り込みに行ってしまったのです。
「未来と結婚しろ! 」
「逃げるな! 」
「差別はやめろ! 」
「そうだ、そうだ」
「家族全員、ぶっ殺すぞ! 」
その中には私の両親と弟も入っていました。
「未来の為に皆、必死で頑張ってくれているのよ」
母は笑って言いました。お母さんがおかしくなった。二の句が継げませんでした。
「皆、必死でやってくれているのよ。未来はありがたいと思わなくちゃ」
母は言いました。
「お母さん、分からないの? それって、逆効果なの! 」
私は母に言いました。彼の家に怒鳴り込んだ、親戚たちは皆、現行犯逮捕されました。私の父も弟もです。
そして、警察から帰ってきた父に、私は言ってしまったのです。
「お父さんって、やっぱり、根っから部落の人なんだね」
私は父を蔑み、言いました。
「がっかりした、今日のお父さん、怖かった」
「未来、お父さんはお前の為に」
「ぜんぜん、私の為になってない! 
お父さん、自分がしたことの意味、わかんない? わかってないの? 」
「すまない」
「お父さんの一言で、おじさん達は止めてくれたかも知れなかったのに」
「ごめんな」
「お父さんが先頭に立ってどうするのよ! なんで、分からないの? 」
私は泣きました。
父は私に何度も謝りました。両親が、自分で冒した罪の意味さえを理解できない事が私はとても辛かったのです。
「もういいよ、お父さん、お母さん」
「未来」
「色々、心配かけてごめんなさい」
泣きました。死にたい。でも、死ぬ気力もないと思いました。自分の中の血は入れ替える事は出来ないのです。これが私の、運命なんだと思い、私は受け入れました。
 
数年後、私は結婚をしました。相手は同い年の父方の従兄弟です。新居に関して私たちは二人とも同和地区から出たいとは、言いませんでした。自分たちの親のそばで暮らすことを希望しました。正直に言うと彼はともかく、私が同和地区から出るのが怖かったのです。私は、彼のお母さんにとって血の繋がった姪にあたる為、とても可愛がってもらっていました。私と彼が結婚するのをお婆ちゃんはとても喜んでくれていましたし、両親にも親孝行が出来たと思います。私も彼も二十五歳でした。同和地区では十代の早婚が当たり前だったので、私の二五歳と言う年齢での結婚は、遅い部類に入っていました。部落では従兄弟同士の結婚は珍しく、ありません。結婚二年目に子どもが出来ました。女の子です。夫も真面目に働いてくれましたし、
 私も市役所の仕事を止めず、ひかりは実家の母が見てくれました。全てが順調に行っていました。
弟は被差別部落の女の子ではなく、自分の素性を隠して普通の女の子ばかりと付き合っていました。
いつも、結局は相手の親に認められず部落の壁を突破することなく、ぶらぶらとしていました。
「被差別部落じゃなかったらな」
「あんたは結婚願望が強いのね、部落の女の子と結婚したらいいじゃないの」
私は言いました。
「嫌だ。部落じゃない、普通の女の子がいいんだ」
と、繰り返して言いました。
「もし、普通の女の子が来てくれても、相手にいらない苦労をかけることになるんだよ? 」
私は何度も、弟に言いました。
「分かっているよ」
いつもの返事です。
「本当に分かってる? 」
弟の事が心配でした。時代はなかなか変わってくれません。私がのんびりと子育てしている間に、幸運にも、弟に被差別部落出身以外の彼女が出来ました。真面目そうな普通の女の子です。
「うちの弟でいいんですか? 」
私はおどおどと、弟の彼女に聞いてみました。
「はい、もちろんです。良介くん、すっかり、うちの両親のお気に入りなんですよ。私が三人姉妹なので、とにかく父は男の子が出来たようで嬉しいみたいです」
私は単純に弟の交際を喜んでいました。でも、今度は婚約どころか、交際そのものもだめになりました。
萌ちゃんがはじめて、うちに遊びに来た日、うちの住所が、「足を踏み入れてはいけない街の住所」だと知り家族に相談したらしいのです。
「良介くんの家、あの有名な怖い街やった。被差別部落かどうかまでは分からんかったから、調べて欲しい」
萌ちゃんは住所から疑っていたようです。部落の出身だとばれないようにと、弟が積み上げていた物は、音を立てて崩れ落ちたのです。
「北島良介は被差別部落民だ。しかも、前科がある」
n萌ちゃんは私たちに言いました。
「私は知っていたら最初から、付き合いませんでした。あの日も良介くんに何も知らされず、急に連れて行かれたんです。あんな街に不意打ちで連れて行かれて、私が、どんなに怖かったか分かりますか? 私は普通の女の子なんです。被差別部落が怖いんです。私、行くのも絶対に嫌だった。街全体が薄暗いし、汚いし、卑しい匂いがするからです」
良介は黙って聞いていました。
「顔も洗ってないんじゃないかと思うくらい、皆、顔が浅黒くて、汚くて町全体が嫌な匂いがして、こっちまで臭くなりそうで」
「萌さん、そんな言い方ってひどくない? 」
私は言いました。
「いくらなんでも、失礼よ」
「お姉さんはずっとこの街で育った人だから分からないのよ」
「なにが? 」
「この街の事が。薄暗くて、肌は浅黒くて、ギラギラした目をして、みんな安っぽい服を着ていて。そんな街に住んでいる男の子と付き合っていたなんて私の恥です」
私は怒りを覚えました。
「本当に恥ずかしい、こんなこと、友達にも言えないわ」
萌ちゃんは吐き捨てるように言いました。
「萌ちゃん、あなたね、いい加減にしなさいよ」
そこで、夫が、
「よく分かった、萌ちゃん。すまなかったね」
と、言いました。
「いいえ」
「未来。いこうか」
言いたい事は、まだまだありました。でも、私は、夫に従いました。自分が怖かったのです。自分の中の部落の血が何をするのか分からない、制御がきかない。それが怖かったのです。
その夜、弟は先頭に立って、暴動を起こしました。私は何も相談も受けていませんでしたが、やっぱり、父も参加していました。良介、父、父の兄弟たち、その子どもたち。大人数で夜の十一時過ぎに、萌ちゃんの家に押しかけ、暴れ、弟は萌ちゃんに暴力を振るいました。私も、その場にいました。今回だけは頭に来ていたからです。私の中のスイッチがとうとう入ってしまいました。
「よくも良介を裏切ってくれたね」
母はそう言って、萌ちゃんの頬を張り倒しました。
「間違った事は言っていません」
萌ちゃんは泣いて言いました。母が萌ちゃんに、馬乗りになったところで、萌ちゃんのお父さんに現行犯逮捕されました。私も、
「捕まってもいい、一発、萌ちゃんにくらわせたい」
私の胸の奥底で、何かが熱く燃えたのです。
私は思い切り萌ちゃんに、往復で平手打ちをしました。萌ちゃんはふらつき、その場に座り込みました。
私は手が痛くなりました。痛みに座り込む萌ちゃんのお腹に、私は蹴りを入れました。
「まだ、足りない」
何度も、何度も、数えきれないくらい、蹴りを入れました。萌ちゃんは目が虚ろになりました。自分でも歯止めがきかない。制御が出来ませんでした。そして私にも前科がつきました。私の被差別部落民の血が騒いだのです。これが、汚い血と言われる由縁かも知れません。私も被差別部落民の一人なのです。
余談ですが、数年後、弟は同じ被差別部落出身の同年代の女の子と結婚をしました。ほかの土地に行く事もなく、良介夫婦も同和地区に住む事になりました。弟は、
「外に出るのが、面倒くさい」
と言いました。私もそうです。同和地区にいるとほかの土地に出るのがとても面倒になるのです。

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