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『神話(六年目)』

『神話(6年目)』テキスト


「ロシア軍、ウクライナ原発砲撃 欧州最大級、施設で火災」
 【モスクワ共同】ロシア軍は4日、ウクライナ南部にある欧州最大級のザポロジエ原発を砲撃した。原子力企業エネルゴアトムなどが明らかにした。ウクライナ非常事態庁によると、原発の研修施設で火災が発生した。ウクライナとロシアの代表団は3日、ベラルーシで再び停戦交渉を行ったが合意に至らず、ロシア軍は攻撃を続けた。
 停戦交渉では、戦闘地域から一般市民が安全に退避できるよう「人道回廊」を設置し、回廊付近で交戦を一時停止する方針で一致した。次回交渉は来週初めに開く方針。
 ウクライナの外相は、同原発が爆発すれば、チェルノブイリ原発事故の10倍の被害になると警告した。
共同通信 2022/3/4

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2022年2月25日、ロシアがウクライナを侵攻する。そして、3月4日、ウクライナの原発が標的にされた。これが戦争。チェルノブイリ原発の10倍の被害というのがもはや想像つかない。そして第三次世界大戦、核戦争という言葉までもが行き交うようになってしまった。
 このような形で、原発と放射能汚染と向き合わなくてはならないとは想像もしていなかった。いや、想像はしていたのだ。だが、このような形ではなかった。

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人間は月まで実際行くことができた。それでは、そのことを踏まえた上で現代人はどのような「月の神話」を持つことができるのだろうか。神話を持たないわれわれはどう生きたらいいのだろう。
 これに対してキャンベルは「各個人が自分の生活に関わりのある神話的な様相を見つけていく必要があります」と言う。集団で共通の神話を持つ時代は終わり、各個人の責任と努力によって、自分の生き方における「神話的な様相」を見いだしていかねばならないのだ。

『神話の心理学』河合隼雄 P26

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その顔は、歪んでいてはっきりしない。/それなのに、なのか。/だからこそ、なのか。/不鮮明なはずの御顔に、どうしてか、逝ってしまわれたあの人の面影を鮮明に見出す。
私のなかには、人間には、想う力がある。
この力を信じるとき、生きながら私はだれかの心へ静かに浸透する物言わぬ影であり、やがての私のいない風景においても石像が私という生身で動いてくれるのだと思える。
石像は、いつまでも、いつでも、あまたのだれかのままでそこにいた。
どこまでもだれでもあろうとする石像。
見果てぬその御顔。

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ワーズワスが言うには、自然は私たちに永遠なるものを思い出すよすがを無限に与えてくれる。私たちがそれらをもっともよく受け入れるのは子ども時代においてだ。「習慣」が「霜のように重く、ほとんど人生のように深くのしかかる」大人としての生活では、私たちはそのような開放的な心を失うが、それでもまだ、頼りにできるものがある。
『暇なんかないわ たいせつなことを考えるのに忙しくて』アーシュラ・K・ル=グウィン P247

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見つめあう。そそぐまなざし。そそがれるまなざし。ただそれだけがあった。/日々の中で見いだされるなにげない形を、とらえて残す。それによって、私は、何万秒も過ぎた先の私は、あの瞬間がなんと輝いていたことかとうちのめされる。あでやかなさみしさとともに。
万物は変化している。なにも残らない。なにもかも変わっていく。変化していく宿痾を痛感するとき、残された一枚は永遠を帯びる。

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地球には生命が存在している。それだけは確かなことだ。この生命とは地球上のあらゆる動植物を抱含するようなひとつの生命体でもある。何十億年もの時間はそうした生命体を何百万ものフラグメントに分化させたが、結局はそれらがひとつの生命系を構成する各部分であるということは変わらない事実なのだ。
 少なくとも今、判明している限りでは地球以外のこの生命現象を持つ場所はないことからもわかるように、生命は死んでゆく世界のなかの一時的な島であり、このことは実は物の自然な状態とは混沌であり、荒廃であり、無秩序であることを示している。生命はそうした物の自然な状態にあらがおうとする。生命は高度に組織化された物質からできていて、無秩序のなかに秩序を生みだすが、それは崩壊へ向かう力との絶え間ない闘争の成果なのである。
 『生命のざわめき』小坂修平 P38

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友人が亡くなった。/コロナ禍の今、どうしたものかとひどく迷いつつも、やはり最期にひとめ会いたかった。
朝一番の便に乗った。乗客はほとんどいない。飛行機は東京へと向かっている。そこから見た眺めは、青い山脈と海。白い雲がぽかりぽかり。その青さ白さに、鼻孔を抜ける綺麗な空気や……、厳しくも背筋が伸びる冷涼さを……身体が思い出していた。/山の上に広がる深い青空の、またその上に満ちてる宇宙を想った。
「夜の次に朝が来て、冬が去れば春になるという確かさ―—のなかには、かぎりなくわたしたちをいやしてくれるなにかがあるのです。」
『センス・オブ・ワンダー』
ただそのままにあるだけの自然摂理の理の、なんという贅沢さ。それがただありがたかった。

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だれもいない。しかし、気配は存分に残された。気配が記憶をくすぐる。記憶が震えて漂いだす。かつての、古き触覚がよみがえる。
さらさらと手の中を滑りおちる砂。ままごとの準備。おもちゃの手触り。弾むわたしのボール。あらゆる記憶がふつふつと胸の裡から泡立ってたちのぼって、記憶たちが連なり合う。
記憶から呼び覚まされる懐かしい感覚がつぎつぎと手をとりあっていく。
夕暮れの心細さ。夜ご飯の匂い。友達と別れる瞬間。遠くでおぼろに浮かぶ数多の記憶。遠くて懐かしくて、ものすごく近い。うたう記憶の底で最後に残ったあの人影は、だれ?
記憶のなかに潜る気配や記憶、感情たちが睦みあいながらポリフォニーを奏でる。
ここにはだれもない。しかし、みんなここに集っている。

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文字や古文書をもたない社会においては、神話の目的とは、未来が現在と過去に対してできる限り忠実であること――完全に同じであることは明らかに不可能ですが――の保証なのです。

『神話と意味』クロード・レヴィ=ストロース P60

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寒風吹きすさぶ海岸に猫がいた。野良のようだが、近くの人が世話をしているらしく、小さな小屋とエサ箱が置かれていた。/びゅうびゅうびゅう。髪の毛がめちゃくちゃに乱れるほど強くて、身体の芯から震えがくるほど冷たい風が、止むことなく吹いている。猫が私たちの足元にやってきて、するりするりと顔をあててきた。
6つになる神の内の存在がかがみこんで手をのばす。猫は開かれた手の腕の中へおとなしく入り込む。そのまま、風を少しでも避けるように長男の胸の中で丸くなった。初めての出来事に目を丸くしながらも、どてらで優しく猫をくるんで、撫でた。撫でられるたびに猫も彼も目を細める。「あのね、この子ね、あったか〜い」と言う。お互いに、体温をわけあっていた。/別れるとき、神の内の存在は猫を「パラス」と名づけた。情愛は体温を分けあうことから始まる。

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ライターは彼女をまじまじと見つめたが、どうしても思い出せなかった。/「戦争と記憶喪失は深い関係があるのよ」と娘は言った。/そしてこう付け足した。/「記憶喪失というのは、人が記憶を失って何も思い出せなくなること、自分の名前や恋人の名前も思い出せなくなることよ」/さらにこう付け足した。/「恣意的な記憶喪失もあるのよ。その人は何もかもを覚えている、というか、自分では何もかもをおぼえていると思っているけれど、たったひとつ、自分の人生で唯一大切な何かを忘れているのよ」
『2666』ロベルト・ボラーニョ P738

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なにも終わらないし/なにも始まっていない
おまえがそこにおりたつとき/森羅万象がより鮮やかに立ちあがった
素足でそこを歩くと/岩の鋭い切っ先が足裏をいじめる
すこしあるいて/すこしたちどまり/おまえはみあげた
そのままじっとみあげていた
おまえの動く瞬間瞬間が/生命で輝いていて/宇宙だった

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私はナミイと一緒の歌の旅で、いろいろなことを教えられ、いろいろなことに気づかされました。/歌う者が歌の主であるということ、/それはつまり、歌はすべての者に開かれているということ、/歌は神さまを喜ばすためにあるのだということ、/神さまは木にも草にも石にも水にもこの世に存在するすべてものに宿るということ、/われら人間ひとりひとりの頭の上にも神さまはいるのだということ、/歌えば頭の上の神さまが喜んで踊り出すから、人間もまた喜んで踊るのだということ、/だからナミイいわく、頭の上に神を乗せている人間もまた、実は神なのだということ、/そして、どうやら、自分の好きな歌や踊りもわからない者たちは、頭の上の神を失くしてしまった厄介な者たちなのだということ。
 『路傍の反骨、歌の始まり』姜信子・中川五郎 P77

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あなたは あなただ
あなたは わたしではない
あなたは だれでもない
あなたは あなたなのだ
あなたが あなたであることを
わたしは せつに のぞむ
あなたが あなたを
まっとうできるように と
そのため わたしは いきる

あなたは あなたを いきよ

あなたが うまれたばかりのとき
あなたに そそがれた ひかり
あの ひかりの ありようが
わたしにとっての 鑑 だ

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 現在、私と生活をともにしている神のうちの存在は、6歳5ヶ月と3歳6ヶ月。当初考えていた期限の7歳、もとい、7年目がもうすぐやってきます。終わりの見えないコロナパンデミックそして、侵略という名の戦争が起こった年、『神話 七年目』へ進みます。
 彼らが大きくなるにつれ、『どうかすこやかでありますように。あなたも、世界も、だれもがみな』という祈りのごとき願いは深まるばかり。来年も、また、すこやかにお目にかかれますよう、どうか、…ウクライナ、…ロシア、…シリア、…日本、…国家に虐げられるすべての国のみなさま、…ごきげんよう。

2022年4月日 齋藤陽道

冊子について

 今年も出ます。
『神話 六年目』700部限定です。

 「一年目」「二年目」「三年目」「四年目」は、それぞれに、在庫50部という感じで残っています。もってないという方は、ぜひに。

ご入用の方は、「神話6年目、冊子くださいな。こちら(送り先の住所)に送ってくださいよ(郵便番号、必須!)」とメールをください。

ちょっと誤解されているのですが、前々のぶんもおもちくださった方に、ぼくから自動的にお送りする、ということはないです。
毎年、そのつど、新たに、ご連絡もとい、ことばをくださいませ。

コロナ禍でリモートやオンラインが当たり前になってきましたが、年1のとつとつとしたメールのやりとり、やっぱり楽しいので、よろしくおねがいします。

連絡先
info@saitoharumichi.com

メールをいただいたら、まず冊子を送ります。
とどいた冊子のなかに、振込先についての詳細があります。
冊子をみていただいて、写真に出会ってもらって、「ああ、来年はもう7年目なのか。どうなっていくのかしらン」と思っていただけたら、

 冊子の価格は、自由設定です。
「旅費、及び、プリントなどの費用への応援」として、写真から受けたものを、いくらでも構いませんのでお金に換算していただけたら大変ありがたいです。

毎年、本当に、ありがとうございます。お気持ちのおかげで撮影の旅ができています。

来年は、いよいよ、当初の区切りとして考えていた7年目となります。

今後どうするかちょっと考えあぐねています。
撮影自体は続けるけれど、来年も7年目を同じように出して、一旦それで締めるか、数年後とかに7年目の冊子を分厚いもので出すか。。。うーん。

でも『神話』の撮影方法(世界そのものと神のうちの存在がむつみ合う瞬間を見つめる)は、やっぱり7歳ぐらいが限度だなという実感があるので、撮り方も、やり方も、大きく変わってきています。

いつか出したい、でかい写真集のことも考えています。この写真集に関しては、2021年の夏、矢萩多聞さんに相談して快諾いただけたというのが、今の一歩です。これから、これから。。。

コロナで展示ができなくなっているのが全く口惜しいです。ギリギリ。いつかの展示の時には、盛大に、ゆるく、やりたいな。

一体どうなっていくかまるでわかりませんが、最後まで見届けていただけたら、これほど光栄なことはありません。みなさま、本当に、すこやかでありますように。

ではでは、「6年目の冊子、くださいな」の連絡、お待ちしております。

【本文は、ここまでです。以下は、この最近2022年の家族写真22枚があります。見ても見なくても変わりないですが、応援するかんじで、投げ銭的に、見てもらえたらうれしいです。
それがぼくの、コラーゲン代になります。あるいは、まなみの黒糖焼酎「まぁさん」代。またもやのあるいは、いつきさんのねるねるねるね代。さてもやのあるいは、畔さんのラムネ(ぶどう味)代。ありがとう】

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