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わが美しき故郷よ ~5年間の私の選択~
おばんです。
portal of nature 齋藤朱美です。
2016-03-11 のブログを再掲します。
この時は、東日本大震災から5年目でした。
13年目の今日。
いまだから、感じること
いまだから、ことばにできることは、
なんだろう。
…〜…〜…〜…〜…〜…〜…〜…〜…〜…〜
ちょうど夕方の帰宅時間に「夜のプレイリスト」というラジオ番組をしています。
その日は、森本千絵さんという方が、畠山美由紀さんのアルバムを
まるごと一枚紹介していました。
恥ずかしながら、私は、森本千絵さんも、畠山美由紀さんも存じ上げませんでした。
畠山美由紀さんは、気仙沼出身のシンガーソングライターでした。
気仙沼は、5年前の震災で、津波の被害にあった地域です。
震災から、そんなに時間が経たない2011年に、このアルバムがリリースされたようでした。
森本千絵さんは、当時、このアルバムを大量に買い込み、会う人、会う人に配っていた、とおっしゃっていました。
あの時、気持ちを言葉にすることができなかった。
だから、音楽で伝えたかった。
という感じのことをおっしゃっていました。
優しい歌声で、母性そのもの。
赤ちゃんが安心していられる子宮のようだと表現していたような気がします。
ラジオから流れてくるその歌声、波動を忘れることができなくて、
その後、わたしもアルバムを購入しました。
最近CDを買うことなんて、滅多になかったのです。
「わが美しき故郷よ」
という、アルバムのタイトルと同じ曲がありました。
同じ名前の朗読も入っていました。
東北弁が、ところどころ入る、その朗読は、
美しい気仙沼の海辺の風景が、キラキラと輝いて目に浮かんでくるようでした。
歌もそうでした。
故郷を慈しむ、気持ちが満ちていました。
涙が溢れてきました。
朗読の後半、
「遅い 遅い いつでも遅すぎる
こんなことになるまでそれをわからなかった
わたしの愚かさを
どうかお許し下さい」
とありました。
あの、5年前の震災が私に教えてくれたこと
震災が起こった時、原発が爆発したとき、
私にとっては、世界が、
「このままでは、いけないよ。」
と教えてくれたように思えたのでした。
私の住む地域は、東北だけど、被害はほとんどありませんでした。
でも、震災をきっかけに、生き方そのものを変えた人に何人もお会いしました。
石油を使うようになる前の暮らし方、食べ物、文化を見直そうとしている人々
木や風や水の自然なエネルギーを使っていこうとする人々
小さな生業を何個か組み合わせて地域に貢献できる起業をしようとする人々
みんな、自分で感じ、自分で考え、自分で決めて、動いている
そんな方々に共感し、
わたしも少しずつではありますが、一緒に過ごさせていただいたりもしました。
5年間の私の選択は、どうだっただろうか?
私は現実を見ているだろうか?
前に進んでいるだろうか?
…〜…〜…〜…〜…〜…〜…〜…〜…〜…〜
(今はyoutubeで聴くことができるのですね)
この後、いろんなことが起こり、変わり、
能登でも震災が起きて。
私は、大切な人たちと過ごす愛おしい日々が、あたりまえではないということを、前よりも強く感じている。
最近は、現実逃避している時間が増えてしまったような気もするけれど(推し活?)
新しい景色に出会い、胸躍らせている自分を妄想しながら、私はこれからも、いろんなことに挑戦するんだ。