くじらについておもう(3)
是恒さくらさんが、「ありふれたくじら」を創作していらっしゃるのは、
『分断されてしまったモノ・コト・ヒトを繋げたい』
ということがあるのだろうか?と唐突に感じた。
彼女は言葉を綴ることは、布を織ることと近いと「ありふれたくじら」の冒頭に書いている。
世界中で捕鯨に反対する人たちが多い中で、昔から伝統的に捕鯨をしてきた方々は、どんな気持ちでいたのだろうか?
誇りを持って捕鯨をしていたと想像するから、反対されるのは辛いことだろう。
捕鯨と反捕鯨
彼女は戦争のこともnoteに書いていらっしゃる。
敵と味方
今日は、東日本大震災からちょうど10年。
被災者と被災していない人
悲しいけれど、
何かでグループ分けしたとたんに、
分断が始まる。
理解はできないかもしれない。
でも、
違う文化もあるということを、
敵にも愛する人がいるということを、
傷の深さと癒える時間は人それぞれだということを、
受け入れることはできるんじゃないだろうか?
そして、
くじらが住まう世界と
人間が暮らす世界が、
お互いに調和する世界。
くじらがもたらす、
災いも、
恵みも、
バランス良く調和している世界。
そういうことを果敢に探求するために、
くじらのフィールドワークに取り組んでいらっしゃるのではないかと、勝手に感じてしまった。
それは、わたしが求めている
自然と、
人とが、
調和している世界と同じだから、
だから、
心が震えたのかもしれない。