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「伝統」とは何かを、まず伝統主義者が理解すること──あらためて女子差別撤廃委員会騒動について(2016年3月31日)
今回の国連女性差別撤廃委勧告騒動をめぐる日本側の反応について、あらためて考えたいと思う。
▽1 小林よしのり氏「差別に決まっている」
漫画家の小林よしのり氏は、「(皇位継承の)男系男子限定は女性差別に決まっている」と決めつけている。
小林氏はその根拠を説明し、明治の典憲体制づくりに深く関わった井上毅を引き合いに出し、井上が女系論を潰したと解説している。
なるほど明治の典範制定過程では女帝容認論が少なくなかったのは事実だし、それが井上らによって最終的に否定されたのも事実であろう。
けれども、その事実は今回の問題とは無関係である。
国連機関の見解案は旧典範ではなくて、現行の皇室典範を問題にしているからである。小林氏の論点はずれている。
ただ、所詮は原稿用紙数枚程度のブログである。小林氏にとってみれば、言い尽くせないところがあるのかも知れない。
▽2 茂木健一郎氏「典範改正は将来、必要かも」
脳学者の茂木健一郎氏は、皇室典範の男系継承主義と男女平等原則は「論理的に独立である」とさすがに冷静である。
しかし、「皇室の安泰の視点から、女性宮家を認め、そこでお生まれになった男子に皇位継承を認める皇室典範の改正は、近い将来に必要になるかもしれないと私は考える」というご主張は何の説明もなく、意味が分からない。
「皇室の安泰」はもっともであるが、そのことを誰よりも強く願ってきたはずの皇室自身が「皇家の家法」として古来、固持されてきたのが男系継承なのであろう。
むろん「近い将来」を考えることも重要である。だが、その前に、なぜ男系継承が守られてきたのか、をまず探求すべきではないのだろうか。
単に「皇室の安泰」が目的なら、明治人は「皇男子孫の継承」を憲法に明記することはなかっただろう。ましてや過去の歴史にない「女性宮家」を創設し、皇室の伝統を破る目的は何だろうか。
茂木氏は何をもって天皇のお役目だとお考えなのだろう。憲法の国事行為をなさり、ご公務をお務めになる立憲君主が天皇だというのであれば、男性だろうが女性だろうが問題はないだろうけれど、そのようにお考えなのだろうか。
▽3 中田宏氏「余計なお世話」
前衆議院議員の中田宏氏は、やはりみずからのブログで、「余計なお世話」と突き放している。
いわく、「男系男子に皇位継承されることは日本の歴史や伝統が背景にあって、差別を目的とするものではありません」。小林氏とは異なり、安倍総理の姿勢を支持している。
そのうえで、安倍総理に対して、「女系・女性天皇について……日本国内でもおかしな方向に行かないように、いまだからこそこの議論にも手を付けるべきだ」と勧めている。
中田氏は一夫多妻の国があることやローマ教皇が男性であることをあげて、「きちんとした見識もないまま人の国の文化・歴史・伝統に勝手に踏み込むと余計なお世話だと言われざるを得ません」と断じている。
もともと、古代の日本から歴史的に形成されてきた皇位継承の男系主義を、現代人類社会の普遍的原理としての男女同権主義をもって、云々するところに無理があると私は思う。中田氏の意見はもっともであり、いまこそ議論すべきだという主張も同意できる。
だが、であればなおのこと、「余計なお世話」では済まないのではないか。
▽4 竹田恒泰氏「理由などどうでもよい」
その点、竹田恒泰氏に私は期待したのである。
竹田氏の場合、お三方とは少し異なり、天皇=「祭り主」と理解する伝統的立場に立っている。皇室の歴史と伝統を十分に踏まえたうえで、なぜ男系男子継承なのか、を説明しうる立場におられると思う。
それで見つけたのが前回、取り上げたコラムだった。
ところが、期待に反して、竹田氏は「理由などどうでもよい」と回答を拒否している。これでは中田氏のように「余計なお世話」と反発するのと大差がない。
「歴史と伝統」を楯に突き放し、「文句を言うのは文句を言う相手に非がある」と言わんばかりに原因を転嫁するなら、開き直りとしか見えないだろう。
きちんとした説明がなければ、正しい理解に導き、納得させ、批判者を理解者に転換することはできない。逆に「差別」を認めたと受け止められ、さらなる反発を呼び、敵を増やすことにならないか。
こちらの「歴史と伝統」を相手が「きちんとした見識」(中田氏)をもって理解してくれるとは限らないし、現代の普遍的原理にどっぷりと浸かっている人たちの方がはるかに多いのである。
他者を理解させるには、自分がより深く理解することが先決である。伝統主義者たちは、何が「伝統」なのか、わが祖先たちが何を「伝統」として選択してきたのか、を読み直す必要があるのではないか。