東アジアは「日清戦争前夜」──大国の狭間で揺れる金大中政権(「神社新報」平成13年8月13日)
歴史教科書問題を発端としてきしみ始めた日本と近隣諸国とりわけ韓国との関係は、いよいよ抜き差しならない状況に陥ったかに見える。
先月(平成13年7月)、訪韓した日本の与党三幹事長は韓国外相から罵倒に近い対応を受け、金大中大統領からは門前払い。数年来の日本大衆文化の開放などは中断され、韓国国会特別委員会は「日本糾弾」を満場一致で決議した。
韓国政府は問題を国連機関に提起する一方で、靖国神社に合祀されている「韓国人位牌」の返還を日本政府に要求し、北方四島周辺水域では韓国漁船によるサンマ漁が日本政府の再三にわたる抗議を無視して始まった。
そのうえ広がるばかりの日韓米の亀裂を尻目に、中露朝同盟は急速に強化されつつある。二進も三進もいかない東アジア情勢。ある著名な韓国人ジャーナリストは「日清戦争前夜」と呼ぶ。
▽レームダックの金大中大統領
▽「反日」先祖返りは「諸刃の刃」
この半年、韓国マスコミをにぎはせている二つの話題がある。
一つはいわずもがな歴史教科書問題。もう一つは金大中政権による「マスコミ弾圧」である。両者は相互に関連している。エスカレートする教科書批判の背後には、政権末期の金大中大統領と野党・マスコミとの暗闘があるといわれる。
韓国国税庁が新聞・テレビの税務調査に乗り出したのは今年2月。野党は「言論弾圧」と息巻いた。
万年野党のリーダーで、マスコミの力を借りて政権を握ったはずの金大中氏が、「言論改革」を名目に、攻守ところを異にして、強権を発動したのは歴史の皮肉というべきか、その背景には目を覆うばかりの支持率低下があると専門家は見ている。
昨年6月の南北首脳会談の直後は、大統領の支持率は7割を超えていたのに、ノーベル賞受賞後はかえって低下し、最近は2割前後を低迷していると伝えられている。
金大中大統領は、いまや「北への一方的譲歩」という厳しい批判に甘んじている。離散家族の再会も軍事的緊張緩和もほとんど進展していない。北朝鮮の金正日総書記のソウル訪問も先送りされるばかり。アメリカのブッシュ政権は「太陽政策」をまったく評価していない。経済政策も完全に破綻した。
金大中氏の任期は再来年2003年2月で切れるが、ある著名な韓国人ジャーナリストによると、「大統領はいまや完全なレームダック」。来年6月には地方選挙を控え、12月には大統領選挙がある。与野党ともすでに選挙モードに入っている。政策が行き詰まった大統領は焦りに焦る。その焦りが大統領を豹変させてしまったのである。
金大中政権を攻め立てる韓国の野党・マスコミにとって「教科書問題」は格好の材料で、「大統領の対日政策は弱腰」と批判を強める。韓国ではつねに「反日」が政争の具に使われてきたが、今回は日本の次代を担ふ子供たちの教育が、とばっちりを受け、利用されているのである。
対日関係重視の「新外交」を推進する金大中氏は当初、教科書問題を穏便におさめる心づもりであったといわれる。
今回の教科書摩擦の引き金となった「新しい歴史教科書をつくる会」主導の教科書は文部科学省の検定によって137カ所の修正を受け、「ごくふつうの教科書」になっている。批判を浴びた「韓国併合は合法的」などとする記述は削除された。
日本側の「努力」を認め、矛をおさめる余地は十分にあった。ところが、野党・マスコミの対日強硬論に引きずられ、「落ち目」の金大中政権は「反日」に踏み切らざるを得なくなった。歴代政権と同様、安易な「反日」外交に先祖帰りしてしまったのは支持率回復、政権延命が目的とみられる。
そんななか7月中旬、韓国国会の「日本の歴史教科書歪曲是正のための特別委員会」は全体会議を開き、「歪曲是正促進」を満場一致で決議した。決議には、「天皇」の呼称を「日王」に変更する、日本の国連安保理常任理事会入りを阻止する、1998年(平成10)の「日韓パートナーシップ共同宣言」を破棄する──などが含まれていると伝えられる。
韓国政府、国会、マスコミを挙げての政治的な「反日」大合唱というほかはないが、韓国専門家はこのキャンペーンを金大中氏自身の首を絞める「諸刃の刃」とみる。
▽北方四島周辺でのサンマ漁開始
▽南北対話を期待し露にすり寄る
他方、8月1日、韓国漁船26隻によるサンマ漁が北方四島周辺海域で始まった。
「日本固有の領土」である北方四島周辺の排他的経済水域には当然、日本の主権がおよぶ。しかし、漁獲高1.5万トンが割り当てられた今回の操業は、「実効支配」するロシア政府の「許可」に基づいている。蚊帳の外に置かれた日本政府は韓国、ロシア両政府に何度も「中止」を申し入れたが、はねのけられた。
韓国側は、この水域でのサンマ漁は民間契約によってすでに過去2年間の実績がある、と主張する。一昨年の漁獲量は1.3万トン、昨年は1.4万トンで、この数字は韓国遠洋サンマ漁の6割以上に当たるという。
また「領土問題」に関しては、「純粋な漁業問題であり、領有権問題とは無関係」「紛争水域での操業は実効支配している国から許可を受けるのが国際慣行」「日本もロシアの実効支配を認め、漁業料(日本は『水産資源保全協力金』と呼ぶ)を支払っている」と一歩も譲らない。
けれども、同じ水域で民間契約による過去の漁業実績があるとしても、なぜ今年は政府間交渉による操業に切り替えたのか。ただでさえ教科書問題で日韓関係が険悪化しているいま、日本がきわめて困難な領土問題を抱える水域で、もっぱらロシア政府との交渉による操業になぜ転換しなければならなかったのか。日本側の神経を逆なでする結果になることは、火を見るよりも明らかなはずである。
ある韓国人ジャーナリストは、金大中政権の業績といえば南北首脳会談しかない。南北対話進展のため、何としてでも金正日氏のソウル訪問を実現させたい一心の金大中氏は、ロシア政府の支援を期待してすり寄っている──と解説する。
ここでは韓国唯一のノーベル平和賞受賞者の名誉がかえって重い足枷になっている。悲願の南北統一を優先課題とするあまり、日韓の亀裂は深まるばかりである。
けれども逆に、北朝鮮にとっては思う壺。訪韓のカードをちらつかせながら、対韓交渉上、優位に立つ金正日氏は、あざ笑うかのように、目下、特別列車による1カ月にわたるロシア訪問の旅を悠然と続けている。
金正日氏は2月には中国を訪問している。中国の江沢民主席は7月にロシアを訪問し、軍事協力を柱とする善隣友好協力条約を21年ぶりに締結した。江沢民氏は9月には平壌を訪問し、中朝協力体制の強化が図られると伝えられる。
中露朝3国の協力関係は急速に進展しつつあるが、きっかけを作ったのはアメリカの軍事政策である。
中露朝は、「ローグ(ならず者)国家」を標的とするアメリカのNMD(本土ミサイル防衛)構想に反対している。一方でブッシュ政権はABM(弾道弾迎撃ミサイル)制限条約廃棄を推進し、ロシアはこれを墨守しようとしているのだが、金大中氏は同盟国アメリカの構想を理解したのかどうか、プーチン大統領の前でABM制限条約評価を表明した。
ロシア寄りの姿勢がアメリカの怒りを買っていることはいふまでもない。笑いが止まらないのは中国、ロシア、北朝鮮である。
金大中氏は対北朝鮮、対米、対日政策で失敗した。韓国は大国のパワーゲームのいはば草刈り場と化している。「反日」の激情にまかせて、国家の方向性を見失い、大国のはざまで右往左往している様は、まさに「日清戦争前夜」と評されても仕方がない。
▽政治的キャンペーンに踊らない
▽冷静な韓国民衆にかすかな希望
「一時代前なら、こんなとき舞台裏で動く大物政治家がいたが、世代交代でいまはいない」という嘆きも聞かれる。韓国の指導層は「反日」教育をたたき込まれた「ハングル世代」で占められている。出口の見えない日韓関係にかすかな希望を見いだすとすれば、民衆の意外な冷静さにある。
教科書問題に関する韓国マスコミの批判はきびしい。なかでも標的の一つとなっているのは「日本の極右勢力の代弁者」とされる産経新聞で、ソウル市内で配られたビラには「抗議先」としてソウル支局の電話・FAX番号が記されている。とすれば、同支局に抗議や脅迫が殺到していると思いきや、実際には「意外にも静か」だという。
マスコミ主導の仮想現実的キャンペーンのゆえか、それとも韓国社会の質的変化なのか、同紙ソウル支局長は自問するのだが、すでにこの連載で紹介したように、教科書問題が沸騰し始めた今年の2、3月、ソウルの街はどこへ行っても日本の尾崎豊の曲「アイ・ラブ・ユー」が流れ、ヒットチャートのトップを独走していた。
韓国民衆は明らかに、政治的プロパガンダとは別の世界に生きている。
そして最近では、「反日」一辺倒の韓国政府・マスコミに対する批判が一般国民のなかから昂然と現れてきた。
韓国の報道によると、ソウル観光のメッカ・明洞(ミョンドン)や南大門市場などでは、例年なら日本人観光客でごった返すこの夏、「お得意さん」が激減し、閑古鳥が鳴いている。ホテルや旅行会社は、相次ぐ団体客や修学旅行の予約取り消しに悲鳴を上げ、「外交問題と民間交流は分けて考えるべきだ」と抗議している。
夏休みに来日を予定していた学生たちも不満を募らせる。韓国人ジャーナリストによると、「こういうときこそ交流が必要なはずだ」と、学生たちは人的交流を中断させた政府を強く批判する。若い世代の方がはるかに冷静といえる。
一般国民の声に押されてか、「対日報復」の一環として「セマウル号」などでの日本語の車内放送を中止した韓国鉄道庁は、舌の根も乾かないうちにこれを撤回した。今月初旬には韓国政府は、「日韓の人的交流が継続して推進されるべきだ」という見解を表明し、日本外務省は直ちに反応して「歓迎」の談話を発表している。
「これでは日韓共同開催のワールドカップの成功はおぼつかない」と危惧された険悪な日韓関係に明るい兆しが見えてきた。
追伸 この記事は「神社新報」平成13年8月13日号に掲載された拙文「東アジアは『日清戦争前夜』──大国の狭間で揺れる金大中政権」に若干の修正を加えたものです。
掲載時から1カ月余り、しかしアメリカでの同時多発テロという大事件の発生は、東アジアを含めて、世界の情勢を一変させてしまい、この記事も何だか、ずいぶん古臭くなってしまったようにも見えます。けれども、今回の歴史教科書問題に端を発した日韓の対立構造は悲しいほどに何も変わっていません。早晩、ぶり返すことになるのではないかと心配しています。
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