「人間宣言」とは何だったのか──阪本是丸教授の講演資料を読む 前編 by 佐藤雉鳴(2018年7月28日)
今月上旬、阪本是丸國學院大學教授(近代神道史、国学)の講演資料を当メルマガに載せました。島薗進東大名誉教授(宗教学)の天皇論、国家神道論への批判を含むものでした。
そこで島薗先生に反論をお勧めしたのですが、よんどころない事情がおありとのことで、残念ながら、すぐには実現できないことになりました。
次善の策として、以前、当メルマガで、教育勅語、国家神道をテーマに、島薗先生と対論していただいた佐藤雉鳴さんに寄稿を依頼することにしました。
阪本教授の資料を読んで、いまさらながら気づいたことですが、阪本・島薗両先生の天皇論、国家神道論は、一見すると両極にあるように見えて、じつは似た者同士ではないのかとの疑いを持ちました。
天皇を「現人神」とする考え方、もっぱら近代史を探究する「国家神道」論は両者に共通しています。発想も手法も同じなら、議論は深まるでしょうか。
御代替わりを来年に控えて、混乱した議論を整理し、あるべき姿を取り戻すには、天皇論の学問的な深まりが急務であり、最大のテーマは「国家神道」です。無理を言って、佐藤さんに執筆をお願いしたゆえんです。
あらかじめお断りしておきますが、目的は批判のための批判ではありません。あくまで学問的真理の探究です。
以下、本文です。(斎藤吉久)
▽1 昭和史資料との整合性がない
当メルマガに、阪本是丸・国学院大学教授の、氷川神社における講演資料が掲載されました。歴代天皇の「敬神」のこと、御代替わりのこと、近世から現代までの神社と神道の歴史等々、さまざま学ぶところがありました。
ただどうも、資料の文中にある「現神」や引用された「国家神道」には、違和感が否めません。私が読んできた昭和史、特に終戦前からGHQによる占領初期の史料とは乖離があるように思えてなりません。なぜでしょうか。
我が国は昭和20年8月、ポツダム宣言を受諾し、その後はGHQの占領するところとなりました。そして同年12月、GHQから神道指令が発せられ、翌21年元旦には、いわゆる「人間宣言」が渙発されました。続いて1月4日には、ポツダム宣言第6項を実現するための公職追放令が出たことは歴史の示すところです。
これらの史実に関し、さまざまな文献が遺されています。しかしそれらの史料と阪本教授の「現神」や文中に引用されている「国家神道」には、どうしても整合性が確認できません。歴史を辿ってこの乖離を検証してみようと思います。
▽2 「現御神」を否定した「人間宣言」
終戦の翌年、昭和21年元旦に「新日本建設に関する詔書」が発せられました。
「朕と爾等国民との間の紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とに依りて結ばれ、単なる神話と伝説とに依りて生ぜるものに非ず、天皇を以て現御神とし、且日本国民を以て他の民族に優越せる民族にして、延て世界を支配すべき運命を有すとの架空なる観念に基づくものにも非ず」
この部分をもって、この詔書は「人間宣言」とも称されています。しかし、それまで天皇は本当に現御神(あきつみかみ)だったのでしょうか。
▽3 木下道雄侍従次長の「現御神(と)」論
木下道雄は戦後すぐに侍従次長となった人です。そしてこの「人間宣言」の草稿に深く関与しました。それらは『側近日誌』や『宮中見聞録』(昭和43年版)で知ることができます。
「『現御神と』は「天皇」を形容する形容詞ではなく、『しろしめす』に冠する副詞であったのである」(『宮中見聞録』)
阪本教授の講演資料にあるとおり、「現御神」は孝徳天皇紀や文武天皇紀をはじめとして、「みことのり」には頻繁に登場します。そこで阪本教授の次の文章です。
「天皇を『明神。現神。現御神』(あきつみかみ)と形容することは孝徳天皇大化元年七月の高麗使への詔に見える」
これからすると、阪本教授は天皇=現御神です。しかし木下道雄は、天皇=現御神ではありません。「現御神(と)」は「しろしめす」の副詞です。
「現御神止大八嶋国所知天皇大命良麻止詔大命乎(あきつみかみとおほやしまくにしろしめすすめらがおほみことらまとのりたまふおほみことを)」
これは文武天皇・即位の宣命の冒頭部分です。現御神云々等は律令の「公式令」という文書規定に定めがありました。木下道雄はこれらの文章について、以下のように記しています。
「いずれも、現御神、現神、明神の字の下に必ず「と」をつけて読むことになっている。これは『として』の意味で、『神の、み心を心として』天(あめ)の下しろしめす天皇という、至って慎み深い、祈りをこめた天皇御自身の自称であった」(『宮中見聞録』)
▽4 本居宣長の「現御神と」と池辺義象の「明神御宇」
池辺義象(いけべ・よしたか)の『皇室』(大正2年)によれば、これらの宣命は宣命太夫が定められていて、式場で拝読したといいます。ほかに宣命使というのもいたようです。したがって木下道雄の「天皇御自身の自称」は違っているかもしれません。
「現御神と大八嶋国所知(おほやしまくにしろしめす)天皇大命良麻止(すめらがおほみことらまと)詔大命乎(のりたまふおほみことを)、集侍皇子等(うごなはれるみこたち)・王(おほきみたち)・臣(おみたち)・百官人等(もものつかさのひとたち)天下公民(あめのしたおほみたから)・諸食(もろもろきこしめ)さへと詔(の)る」
これを現代語訳すると、次のようになると思います。
「現御神として大八嶋国をご統治なさっている、(その)天皇の大事なお言葉を、ご参集の皇子たち、王たち、臣たち、百官たち、そしてすべての民よ、皆お聞きなさいとのお告げである」
そして、これに続けて天皇のお言葉が直接話法で語られる構成になっています。また本居宣長『直毘霊』には以下のように記されています。
「現御神と大八洲国しろしめすと申すも、其ノ御世々々の天皇の御政(みおさめ)、やがて神の御政なる意なり、万葉集の歌などに、神随云々とあるも同じこころぞ」
「現御神と大八洲国しろしめすと申すも、」と読点があって、「現御神と」が「しろしめす」の副詞であることを明確に表現しています。
池辺義象(小中村義象)は、大日本帝国憲法や教育勅語の草案を書いた明治の碩学、井上毅の助手役でした。その著書『皇室』から引用します。
「『明神御宇』とはあきつみかみと、あめのしたしろしめすと訓ず、あきは現にて天皇は現在の神として天下を統治したまふといふ義、これは蓋し我が上古以来、詔旨には必ず唱へ来った詞とおもふ。この古来よりの詞をここに漢文に訳して「明神御宇」とせられたことであらう」
この解説はあくまで「明神御宇」であり、明神天皇ではありません。つまり「あきつみかみと、あめのしたしろしめす」は、「現御神と」が「しろしめす」の副詞であることの説明と解釈して妥当だろうと思います。
文法的に言えば、「現御神と」の「と」は、上接の語と一体となって副詞を構成し、次にくる動詞を修飾しています。「山と積まれた薪」の「山と」が薪ではなく、「積まれた」状態を表している(修飾している)のと同じ用法です。
▽5 津田左右吉は「現御神天皇」論に納得しなかった
津田左右吉も多くの学者と同様に、上代においては「政治的君主としての天皇の地位の呼称」と考えていました(「神代と人代」)。しかしどう読んでも、自身は納得できませんでした。
「けれども、記紀はもとよりのこと、その他の文献に於いても、現つ神または現人神の呼称を有せられ神性をもたれるやうに考へられていた天皇も、宗教的崇拝の対象となっていられたやうなことは、少しも記されていない。我が国には、上代に於いても、天皇崇拝の風習があったやうな形迹は、全く見えないのである」(同)
当然だろうと思います。天皇=現御神ではありませんから、国典に記述のあるはずがありません。六国史などにおいても、天皇が自らを神と宣言された文書は一つも存在しません。
ちなみに、木下道雄は「尤も、万葉の歌の中には、天皇を神とした歌が、二つ三つあるが、これは宣命というが如き公式のものではなく、個人の感情を云い表したものと見るのが妥当であろう」と文芸作品と宣命を明確に区別しています。(つづく)
[筆者プロフィール]
佐藤雉鳴(さとう・ちめい) 昭和25年生まれ。国体論探求者。著書に『本居宣長の古道論』『繙読「教育勅語」─曲解された二文字「中外」』『国家神道は生きている』『日米の錯誤・神道指令』