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これは「生前退位」問題ではない──陛下のビデオ・メッセージを読んで(2016.8.17)

(画像はおことばを述べられる陛下。平成28年8月8日。宮内庁HPから拝借しました。ありがとうございます)


 遅ればせながらですが、今月8日に発表された、陛下のお言葉をあらためて読んでみたいと思います。

 結論から先にいえば、これは巷間伝えられているような、「生前退位」の表明ではないと私は考えます。

 それはお言葉のなかに「生前退位」なる表現がどこにも見当たらないからではありません。制度上の制約を考えれば、「生前退位」の表明などあるはずもないのですが、もともと陛下のお気持ちはほかにあるのだと私は考えます。

 いみじくもお言葉は「象徴としてのお務めについての」と題されています。高齢化社会という現実を踏まえたうえで、「象徴天皇」のあり方について、国民が主権者であるならば、主権者の立場において、国民に深く考えてほしいというのがお気持ちなのでしょう。

 憲法上の制約をわきまえつつ、「個人として」という異例とも思える表現を用いながら、国民に対して呼びかけられたのは、それだけ強い思いがおありなのでしょう。

 それはここ数年の問題というより、戦後70年の「象徴天皇」制度のあり方そのものに対する国民への、じつに率直な問いかけなのだろうと思います。


▽1 歴代3位のご長寿



 議論の前提は「高齢化」です。「天皇もまた高齢となった場合、どのようなあり方が望ましいか」と、陛下は問いかけておられます。

 歴史を振り返ると、推古天皇以後、宝算70歳を超えてご長命なのは12人おられ、そのなかで82歳の今上陛下は、昭和天皇(87歳)、後水尾天皇(84歳)に次いで、歴代3位となられました。

 多くの天皇は若くして退位なさっているため、70歳を超えてなお皇位にあるのは、古代の推古天皇、光仁天皇のほか、昭和天皇、今上天皇のお二方のみであり、75歳を超えられたのは昭和天皇と今上陛下だけです。

 天皇の高齢化はきわめて現代的な現象だということが分かります。明治以後の終身在位制度が重くのしかかっているのと同時に、近代以降の「行動する」天皇のあり方に大きな要因があると考えられます。

 装束を召され、神々の前に端座される祭り主であるだけでなく、洋装し、ときに軍服に身を包むこととなった近代天皇の原理は行動主義です。この原理に立つとき、いずれ否応なしに立ちはだかるのが、ご健康・高齢化問題です。

 実際、「2度の外科手術」をも経験され、お年を召された陛下は、「次第に進む身体の衰えを考慮する時,これまでのように,全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが,難しくなるのではないかと案じて」おられます。


▽2 行動主義



 陛下は「日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましいあり方を、日々模索しつつ過ごしてきた」と仰せです。

 お言葉によれば、天皇のご公務とは、「国事行為」および「象徴的行為」のほか、「伝統」です。「伝統」とはすなわち宮中祭祀でしょうが、慎重な陛下は「祭祀」とは表現されませんでした。

 政府・宮内庁の考えでは、祭祀は「皇室の私事」であり、ご公務として扱われません。

 しかし陛下は「天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来」られたのでした。そしてそのことが重要なのです。

 まず国事行為があるという憲法第一主義ではなくて、「国平らかに、民安かれ」という古来の祭祀の精神に立ち、祈りの延長上に、憲法上の務めがあると陛下はお考えのようです。政府・宮内庁の理解とは異なり、皇室の伝統と憲法の規定とはけっして対立しません。

 今上陛下が皇后陛下とともに、地方を訪ね、国民と親しく交わられることを「大切なもの」とされたのは、祈りが出発点だからでしょう。

 しかし政府・宮内庁による、行動主義に立つ象徴天皇制は、天皇の高齢化という現実に対して、行動主義的ご公務のご負担軽減どころか、皇室の「伝統」に強烈な圧迫を加えたのでした。

 それが昭和の悪しき先例にもとづく、平成の祭祀簡略化でした。陛下の問いかけはこのとき始まったのでしょう。


▽3 祈りの精神



 国事行為ほかご公務を、「限りなく縮小していくことには無理があろう」と陛下はお考えです。

 実際、御在位20年を過ぎて実施された宮内庁のご負担軽減策にもかかわらず、ご公務は逆に増え続けていったことは、当メルマガの読者なら周知のことでしょう。逆に文字通り激減したのは、皇室の伝統たる祭祀のお出ましでした。

 行動主義に立ち、地方へのお出かけや国民との交わりを重視するなら、ご公務はむしろ永遠に拡大し続けるのが宿命です。A県にお出かけになって、B県にはお出ましにならないというのは、民が信じるすべての神々を祀るという祈りの精神に反します。

 選択肢としては摂政を置くという考え方もありますが、陛下は疑問を投げかけました。お言葉では「求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません」と踏み込まれました。

 陛下は、実際に象徴としての務めを十分に果たせる者がその地位にあるべきだとお考えであることは間違いないようです。

 しかしそれは直ちに「生前退位」の表明であるとはいえないでしょう。

 日本国憲法も皇室典範も想定していない「高齢化」という現実を前に、天皇の「あり方」を問題提起しておられるのだと思います。


▽4 戦後の国民主権が問われている



 陛下は続けて、御代替わりの諸儀式にも触れられました。「社会が停滞し,国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます」と語られました。

 ずいぶん衝撃的ですが、さもありなんです。

 昭和から平成への御代替わりのとき、政府は準備らしい準備をしていなかったと聞きます。泥縄的に識者の意見などが参考にされましたが、結局、国家主義華やかなりし大正から昭和への御代替わりがモデルとされました。

 祭祀に造詣の深かったといわれる高松宮宣仁親王は、とくに大嘗祭について、「大嘗宮は要らない。神嘉殿で足りる」というお考えだったようですが、昭和の先例が踏襲され、大がかりな大嘗宮が造営されました。

 英知を結集し、時間をかけて、現代に相応しい制度作りができなかったからです。

 明治の時代は、宮務法の頂点に立つ皇室典範の制定から約20年後に皇室祭祀令が裁定されたほか、皇室法の体系が順次、整備されました。

 しかし戦後は皇室典範自体が一般法となり、皇室令はすべて廃止され、もっとも重要な皇位継承でさえ抽象的な規定しかなく、原理原則を失ったまま、何十年もの時間が空費されました。政府・宮内庁が正式に御代替わりの準備を始めたのは昭和63年夏でした。

 平成になってからも同様です。朝日新聞は、陛下のお言葉を受け、翌日の社説で、「政治の側が重ねてきた不作為と怠慢」を指摘し、とくに安倍内閣の消極性を批判していますが、ものごとをけっして矮小化すべきではないと思います。

 問われているのは、個々の内閣の取り組みではなくて、明文法的基準を失った戦後70年の象徴天皇制のあり方そのものではないでしょうか。不作為と怠慢は、主権者たる国民とその代表者すべてに帰せられるべきでしょう。

 むろん天皇・皇族のお出ましをイベント・ビジネスに利用してきたメディアもまた、追及を免れることはできないでしょう。


▽5 誘導される世論



 前回、「生前退位」論議には、以下の4つの問題があると申し上げました。

(1)「退位」「譲位」と異なる「生前退位」は、いつ、誰が、なぜ言い出したのか?

(2)NHKのスクープをリークした「宮内庁関係者」の目的は何か?

(3)陛下の本当のお気持ちはどこにあるのか?

(4)「生前退位」実現には皇室典範改正など何が求められるのか?

 スクープ以後の議論がもっぱら(4)に集中している歪さも指摘しましたが、今回、謎がもうひとつ増えました。

 すなわち、(5)陛下のお言葉が発せられるようになった理由は何か、です。

 すでに指摘したように、陛下のお気持ちは「生前退位」ではないと思います。陛下のお気持ちを、「生前退位」と意図的に表現したうえで、メディアにリークした「宮内庁関係者」がいるということでしょう。

 そのことと、陛下みずから語られることになったこととは、いかなる関係にあるのでしょうか。

 メディアの議論は、お言葉以後もなお、「生前退位」に集中しています。日経の世論調査では、「生前退位」を「認めるべきだ」がじつに89%に達したと伝えられています。

 陛下のお気持ち表明にもかかわらず、これとは別に、「生前退位」の創作者によって世論は誘導され続けています。

 今上陛下が「生前退位」したとしても、陛下の問題提起は何ら解決されないのです。

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