注目される『麦焼酎の起源=壱岐』説(2009年8月27日)
(画像は壱岐酒造協同組合のHPから拝借しました。ありがとうございます。壱岐市では毎年7月1日を壱岐焼酎の日とし、壱岐焼酎で乾杯するイベントを開催しているそうです。素晴らしいですね。https://ikishochu.org/cheers-with-iki-shochu-2023/)
久しぶりに酒について書きます。
宗教と同様、酒というのも奥深い世界で、知ったかぶりをすると手痛いしっぺ返しを食らうようなので、できれば避けて通りたいのですが、今日、発行された「渡部亮次郎のメールマガジン・頂門の一針」に、馬場伯明さんが「麦焼酎の起源・壱岐焼酎」について書いているのに刺激されました。
http://www.melma.com/backnumber_108241_4589633/
▽壱岐焼酎蔵元の著書
馬場さんは長崎のご出身で、雲仙ふるさと大使を委嘱されているそうですが、今日のメルマガは、壱岐焼酎の蔵元・山内賢明さんが書いた「壱岐焼酎──蔵本が語る麦焼酎文化私論」を取り上げ、日本の麦焼酎は壱岐で生産され始めたのが最初だ、とする説を紹介しています。
孫引きで簡単にいうと、山内さんの説では、
1、蒸留酒(焼酎等)の日本への伝播ルートは、アラビア(中東)を起点に(1)南方ルート、(2)オアシス:天山山脈ルート、(3)草原の道ルートの3つがある。
2、壱岐への伝播ルートは、(3)のモンゴル・中国・朝鮮半島であると推理される。
3、「朝鮮王朝実録」には1404(永楽2)年、朝鮮李太宗から対馬藩主宗貞茂へ、貢物の返礼として「焼酒十瓶」が贈られたと記録されている。
4、日本では「焼酎」の文献上の初出は1559(永禄2)年。鹿児島県伊佐市の郡山八幡神社から発見された棟木の落書きであるが、この焼酎は米焼酎ではないかと考えられている。
5、1592(文禄元)年に、秀吉の朝鮮出兵に伴い、朝鮮半島ルートの壱岐から焼酎製造技術が伝わったのではないか。
というように、山内さんは推測しているようですが、とくに2005(平成17)年に、韓国・安東市にある麦焼酎の伝統的な酒造所を訪問し、蒸留器(ソジゴリ)が壱岐の蒸留機(かぶと釜)と同じであることを発見した山内さんは、朝鮮・壱岐ルート(説)に、意を強くしたというのです。
▽世界の蒸留酒文化
私が焼酎に興味を持ったのは、屋久島の芋焼酎を飲んでからです。かつては「車夫馬丁の飲み物」だというようにさげすまれた焼酎ですが、とんでもありません。芋臭さもない、すっきりした透明感が私を魅了しました。
その後、内外の蒸留酒を口にするようになりました。バングラデシュ・コックスバザールではビルマ系仏教徒の村で彼らが作る米の焼酎をゆずってもらい、タイ北部の市場でサイダー瓶に入った焼酎を買い、南インドでは海岸に住む漁師の家で自家製の椰子の蒸留酒を呑みました。いちばん美味しかったのは、何といっても、スリランカの国営エアラインで飲んだココナッツ・ウイスキーです。
呑兵衛の旅日記の一端は以前、宗教専門紙に書きました。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/saitohsy/nomubekika.html
焼酎、あるいは広く蒸留酒の起源について語るときのポイントは、(1)蒸留技術の伝播、(2)原料、(3)焼酎という名称、の3つかと思います。
焼酎王国と呼ばれる九州には、米、麦、芋などなど、さまざまな焼酎があります。だとすると、それぞれにルーツが異なる可能性があり、それだけに、馬場さんが紹介する山内さんの麦焼酎起源説は注目されます。
酒の歴史に詳しい菅間誠之助さんの著書によると、紀元前3000年ごろのメソポタミアの遺跡から蒸留器と思われる壺状の土器が発見されているようです。しかし酒を蒸留したという記録はなく、酒と火を最初に結びつけたのは何と哲学者のアリストテレスではないかといいます。
蒸留技術はアレクサンダー大王の東方大遠征でエジプトにもたらされ、やがてアラビア人の手にわたり、アラビア世界の拡大でヨーロッパに伝えられ、13世紀にはブランデーが親しまれるようになったそうです。
▽ポイントは蒸留器の類似性
中国の蒸留酒の起源には漢、唐、元と諸説があるようです。
酒好きで知られる唐の詩人・白楽天は「焼酒はじめて開く琥珀の香」と詠っていて、この焼酒こそ焼酎だろうと解釈されていますが、異説もあります。
確実なのは、元の時代で、文宗の侍医による文献に「上等な酒を蒸留して阿刺吉(あらき)にする」と記されています。阿刺吉はアラビア語の「アラック(酒)」が語源で、アラブ世界の蒸留技術がこの時代に伝えられていたことが分かります。
そしてこの技術が朝鮮半島を経て、壱岐に伝わったというのが山内さんの説ですが、果たしてそうなのかどうか、科学的検証が必要になります。
馬場さんが紹介しているように、『李朝実録』は、太宗4(応永11=1404)年正月に、太宗が「対馬島守護官宗貞茂」に対して、「焼酒10瓶」を返礼に贈ったと記録されています。
ところが、酒は伝わったものの、焼酎の製造がその後、対馬にはない。したがって、中国から朝鮮半島を経て、九州に伝えられたという歴史はない、というように、10年前のにわか勉強では知ったのでした。
けれども、山内さんの説では、秀吉の朝鮮出兵時に壱岐に伝えられた、と推理しています。朝鮮出兵と食文化の伝播ということなら、韓国食文化の代名詞である唐辛子(倭芥子=ウェゲジャ)が日本から朝鮮に伝わったことが知られていますから、可能性はあります。
証拠となり得るのは、山内さんが似ているとおっしゃる蒸留器(ソジゴリ)です。現在だけでなく、時代をさかのぼって共通性が認められるのなら、かなり面白い発見といえそうです。
蛇足ながら、パリの労働者がブランデーを飲むようになったのは17世紀だそうですが、日本で焼酎が大衆化するのはやはり17世紀以降でそのきっかけはサツマイモの伝来です。中南米原産のサツマイモが琉球から九州本土にもたらされるには、感動の物語があるのですが、それは次の機会にします。